お笑いが大好きな関西人、寡黙で辛抱強い東北人、とにかく熱血な九州人……と言った具合に、日本全国津々浦々、地域によるステレオタイプなイメージってあると思います。
そういう「県民性」とか「お国柄」は昔から話題になっていたようで、今回は室町時代の「お国柄情報」をまとめた『六十六州人国記(ろくじゅうろくしゅうじんこくき)』を紹介。
すべて列挙すると長くなってしまうため、ここでは畿内五か国のみサンプルとしますが、興味の湧いた方は「自分の地元・故郷はどんな感じかな」と読んでみるのも一興でしょう。
※以下、現代語による意訳です。
目次
山城(やましろ)国…京都府の中心部
流水のように洗練された美しい言葉を話すので聞き取りやすい。また水質がよいため鮮やかで上質な染物が仕上がり、女性は肌の滑らかな美人が多い。
しかし男は軟弱で管弦など翫(もてあそ)び、武士として好ましからぬ者が多いが、これは雅やかな公家たちと近しいゆえであろう。
また、商人たちは商魂たくましく、遠くまで出張しては口先で客を騙し、荒稼ぎするような手合いばかり。
ごくまれに誠実な人がいても(あるいはやって来ても)、やがて悪しき風習に染まらぬ者はいない。
総じてこの国の人々は誠実さがなくて義理を知らず、武士の心得を説いたところで他人事、チャラチャラとした軟弱者ばかりである。
大和(やまと)国…奈良県
京都に近い地域の人たちは目立ちたがりが多く、遠ざかるほど陰キャ(陰気なキャラ。根暗な性格)が多くなっていく。基本的には山城国と似ているけど、京都に比べると、ややぶっきらぼうで垢抜けない印象。
舌先三寸で楽して出世することを願い、二枚舌を使いこなす下劣な連中が多いが、芳野山中(吉野。南部の山岳地域)の人々だけは別である。
この辺りは畿内五か国でも特に純粋な人々が住んでいる。しかし純粋すぎるが故に物の道理を知らない愚か者が多い。
河内(かわち)国…大阪府の南東部
この国の人々は、曲げても折れない柳の枝のような性格で、世渡り上手が多い。しかしちょっと出世すると驕り高ぶって人を見下すところがある。
以下、地域ごとで性格に違いが見られる。
上河内郡:山城国と違わない。
下河内郡:誠実でまっすぐな性格、頼もしいところがある。
丹南郡、石川郡:知恵も誠実さもあるけど、やや卑劣である。
これらの人々を従わせるには、規制を緩めにした方がスムーズに行く。権威を振りかざすようなことをすると恨みを買い、ここ一番で裏切られる恐れがある。
和泉(いずみ)国…大阪府の南西部
この国は、河内国と紀伊国(現:和歌山県)の余った土地でつくった国らしい。
人々は他人を誑かすことに長けており、僧侶でさえ他人の財産を狙うが、その手口は関東人のような強盗殺人ではなく、フレンドリーに近づいて油断させた隙に剥ぎとるのを得意とする。
喩えるなら刃のついていない剃刀のようなもので使い道がなく、千人に一人の逸材がいても、垢のようにこびりついた「お国柄」は削ぎ落としようもなく、結局ダメになってしまう。
また、この国には疱瘡(ほうそう。天然痘によるあばた面の)人が多く、篠田明神(信太森葛葉稲荷神社。現:和泉市)には狐が多い。
(※両者の関係性は不明ながら、もしかすると作者は狐が天然痘を媒介していると思っていたのかも知れません)
ここの狐はよく人を化かすので、なるほどそれで住民もよく人を誑かすのだと納得。つまりここの連中は、狐が服を着たようなものなのである。
この国を征服するには5日もあれば十分で、権威づくで脅せば数日と持ちこたえられまい。
摂津(せっつ)国…大阪府の北部、および兵庫県南東部
武士は町人や百姓のまねごとをしたがって本業の武芸をおろそかにし、性根は腐って偽りや諂(へつら)いごとが多い。
一方で町人は武士気取りでコスプレ用の武具を取りそろえて「武士どもはまるでなってない」と陰口を叩き、中二病デザインの刀剣を特注する。
とかく見栄っ張りな性格で、百貫の身上があれば千貫持っているかのように振る舞い、それがゆえに貧乏して他人にも迷惑をかける者が多い。
和泉国に比べればはるかにマシだけど、百人中の九十人は強欲で、全体的に軟弱で中身のないお国柄なので、支配するのに武力は必要あるまい。
……こんな感じで六十六州、あなたの地元は?
以上、『六十六州人国記』のうち畿内五か国を紹介してみましたが、どこをとっても基本ボロッカスにこき下ろされています。
作者は鎌倉幕府の第5代執権・北条時頼(ほうじょう ときより)、彼が出家してから全国を漫遊した感想をまとめたものだと言われています。
しかし実際には室町時代後期から戦国時代初期に書かれたそうで、恐らく各地からのバッシングを恐れて「いや、時頼が書いたものだから……」という逃げ道を作ったのでしょう。
ちなみに、この当時は北海道(蝦夷地)と沖縄県(琉球国)は正式に日本と見なされていなかったため収録されていませんが、こんなボロッカスなら、むしろ書かれなくて良かったのかも知れません。
正直「誰得(誰が得をするの)?」と思ってしまいますが、こうしたゴシップ的なネタ情報が密かに喜ばれるのは、今も昔も変わらないようです。
※参考文献:
北条時頼『六十六州人国記』東京洛陽堂、明治44年5月
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