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軍人で作家で政治家・辻政信

怪人物 辻政信

辻政信

※辻政信

辻政信(つじまさのぶ)は、大日本帝国陸軍の軍人であり、戦後はベストセラー作家から政治家へと転身、その最後は訪問先のラオスで失踪という、まさに波乱に満ちた人生を送った怪人物です。

終戦までの期間、陸軍で主に作戦参謀を務めた辻は、その役職においても評価が分かれる人物でした。

軍事作戦として結果が良いといえるのは緒戦のマレー半島における作戦ですが、悪い方のノモンハン事件やガダルカナル島の作戦がよく知られています。

人物としての評価に加えて、旧軍の体質としての精神論や、失敗の責任をとらない机上の秀才・参謀として語られることも多い人物でした。

ノモンハン事件での辻

辻は、1902年(明治35年)に現在の石川県加賀市の村に、炭焼きを生業とする比較的裕福な家庭に生まれました。

1918年(大正7年)に名古屋陸軍地方幼年学校に入学し首席で卒業し、1924年(大正13年)7月には陸軍士官学校も主席で卒業、続く陸軍大学校は、1931年(昭和6年)11月に3番目の成績で卒業しました。これらの成績からは、非常に頭脳明晰な人物であったことが窺えます。

1936年(昭和11年)4月、関東軍参謀部付となった辻はここで参謀本部で戦争指導課長であった石原莞爾と出会い、師と仰ぐことになりました。

※ノモンハン事件 ソ連軍の戦車・装甲車を捕獲して万歳する日本軍兵士

辻が少佐として関東軍作戦参謀の職にあった1939年(昭和14年)5月、ノモンハン事件が発生しました。

これは外蒙古と満州国とが、互いに領有権を主張していたハルハ河の東岸において発生した武力衝突でした。
ノモンハン事件そのものは、近年の研究では一方的な日本側の敗北とは言えず、ソ連側の被害も甚大であったことも判明してきています。

この事件で辻が問題視されたのは、自らの北進論故か、東京の参謀本部からの紛争の中止指令を無視して、独断でその続行を推し進めたとされることや、自殺を強要された将校が発生したという風聞からでした。

また、1941年(昭和16年)秋頃には、北進論者だった辻は南進論者に転向し、且つ師と仰いだ石原莞爾と対立する関係にあった東条英機に近づくなど、首尾一貫しない行動がみられることなどからでした。

マレー作戦での辻

※イギリス領マレーのクアラルンプールに突入する日本軍部隊

1941年12月8日、海軍の真珠湾攻撃と並行して、陸軍第5師団はマレー半島北端への上陸奇襲作戦を敢行しました。

この時、辻は陣頭に立って直接指揮を行うなど、命令系統を無視したスタンドプレー的な行動を取ったとされ、第25軍司令官・山下中将も激しい批判をしています。

進撃を続けた陸軍は、イギリスのシンガポールを占領しました。このとき検挙され抗日勢力とみなされた人物を大量に処刑したとされる、シンガポール華僑粛清事件が発生しました。

この事件は辻が起案した命令が元であったとされており、その対象となった華僑たちも、何ら抗日の確証があった訳でもなく、多分に恣意的な判断で処刑されたものであったとも言われています。

劇的な作家デビュー

その後もガダルカナル島を巡る作戦などに関与した辻でしたが、バンコクの第18方面軍高級参謀のときに終戦を迎えました。

辻はイギリスが自分に戦犯の容疑を追求してくることを察知して、偽名を使って日本人僧侶に変装、タイ国内へと潜伏しました。
その後、中国へと逃れた辻は、国民党政権の庇護を受けていましたが共産党との内戦でそこも危うくなると、1948年(昭和23年)に上海を経由して日本へと帰国し、戦犯として訴追されるのを避けて、国内を転々として潜伏生活を送りました。

ようやく1950年(昭和25年)、戦犯への指定から逃げ切った辻は、自らのそれまでの潜伏期間を綴つた『潜行三千里』を発表、一躍ベストセラー作家として世にカムバックを果たしまし、その後も次々と著作を発表して有名人となりました。

政治家への転身と失踪

※石川県加賀市の「辻政信之碑」wikiより

辻は作家としての知名度を生かして、GHQによる追放が解除された1952年(昭和27年)に選挙へ出馬、衆議院議員への初当選を果たしました。

所属政党は自由党を経て、保守合同を果たした自由民主党でした。

1955年(昭和30年)には、岸信介を批判したため、自民党を除名処分となり一旦議員も辞職しましたが、参議院議員(全国区)へと鞍替えし当選を果たしています。

しかし意外な結末が突然訪れました。1961年(昭和36年)4月、辻は参議院に東南アジア視察を行うとして40日の休暇を申請し日本を出発しました。辻が5月半ばになっても戻らなかったことから、家族を通して外務省が現地への調査を指示しました。

辻の目撃情報は、4月21日を最後に消息不明なままで、1968年7月20日付の死亡宣告を東京地裁が行って幕を閉じました。

関連記事:
満州事変と石原莞爾について調べてみた

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