沖縄アクターズスクールの創業者であるマキノ正幸氏が、2024年6月28日に死去しました。83歳でした。
1941年に生まれたマキノ氏は、日本を代表する芸能一家の血を引く人物でした。
祖父は「日本映画の父」と呼ばれる牧野省三、父は「早撮り監督」の異名を持つマキノ雅弘で、高倉健など多くのスターを育てています。
母は宝塚出身の映画女優・轟夕起子でした。さらに従兄弟には俳優の長門裕之、津川雅彦がいるなど、まさに芸能一家の中で育ちました。
マキノ氏が沖縄と出会ったのは、本土復帰前年の1971年(30歳)のときでした。東京の自宅を売却し、2億5千万円という大金を持って沖縄に移住したのです。
沖縄アクターズスクールの輝かしい功績
1983年、マキノ氏は沖縄アクターズスクールを開校します。「芸能学校はおいしいぞ」という友人の何気ない一言がきっかけでした。
沖縄のポテンシャルに惚れ込んだマキノ氏は、沖縄の子どもたちを次々と発掘・開花させ、芸能界への道を切り開いていきます。アクターズスクールは、日本の芸能界に多くの人材を輩出し、とくに1990年代後半のJ-POPシーンに大きな影響を与えました。
代表的な卒業生には、安室奈美恵、MAX、SPEED、DA PUMP、三浦大知、満島ひかり、山田優、黒木メイサなどがいます。
安室奈美恵との運命的な出会い
マキノ氏は自著『才能』の中で、安室奈美恵を初めて見たときの衝撃を以下のように述べています。
その少女は、他の子供たちとまったく違っていた。ふっと身体を揺らすだけで、もう違う。
普通の子なら、身体を動かすと、脚もスカートのすそも同じ方向に揺れる。
ところが、その少女は、腰にタメを作って自然に身体をひねるから、スカートのすそがひるがえって、身体にまとわりつくような動きになる。 『才能』
1987年、当時10歳だった安室奈美恵は友達に連れられて、那覇市の国際通りにあった沖縄アクターズスクールに見学のため訪れました。
マキノ氏は、彼女のスパニッシュ系の顔立ち、シャープな身体の動き、そしてどんなに激しい動きでも頭が全くぶれないダンスに圧倒され、彼女はスターになるために生まれてきたと確信したそうです。
「この子を逃したら、これ以上才能のある子に会うことはないだろう。この子を絶対に逃してはいけない。」
そう考えたマキノ氏は、見学に来ただけの彼女に賭けてみることを決意します。その場で母親に電話をかけさせ、特待生として入学をオファーしました。
ところが、ちょっと目を離したすきに、彼女は一人で帰ってしまった。
僕は慌ててスタッフに後を追いかけさせ、バス停から彼女を連れ戻した。そしてその場で母親に電話をかけさせた。
「ぜひうちに通わせてください。特待生にします。授業料はいりません」
僕はそう言って、母親にすぐ来てもらった。運命的な出会いだった。『才能』
当時の彼女はあまり裕福な暮らしではなかったそうです。
母親は昼間は保母、夜はスナックで働き、兄妹を含めて4人暮らしで、三畳と四畳半のアパートで生活していました。
アクターズスクールに通うためのバス代(260円)を捻出することも難しいため、片道1時間半の道のりを歩いて通っていたというエピソードがあります。
そして安室奈美恵の目覚ましい活躍は、多くの方がご存知だと思います。
しかし残念ながら、彼女の母は再婚相手である夫の弟に殺害されています。1999年3月の出来事で、まさに絶頂期を迎えていた際に訪れた悲劇でした。
そして2018年9月、沖縄コンベンションセンターのライブを最後として、彼女は芸能界を引退しました。
沖縄芸能界の課題とは? 本土への依存と才能の流出
マキノ氏は、沖縄の芸能界が東京の芸能事務所に強く依存しており、沖縄出身タレントが東京(本土)にコントロールされている現状を憂慮していました。
その中でも芸能界を牛耳る「バーニングプロダクション」は、多くの沖縄出身タレントを抱え、沖縄の芸能界に大きな影響力を持っているとされています。
NHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」で国民的人気者となった国仲涼子も、バーニングのグループ企業である「ライジング」に所属しています。
当初、マキノ氏とバーニング(ライジング)の関係は良好でした。
1992年から両者は協力関係を結び、同年には安室奈美恵率いる「SUPER MONKEY’S」をデビューさせました。その後、安室がソロ活動を開始し、他のメンバーは「MAX」として活動を続けます。
さらにSPEEDやDA PUMPなど数々のアーティストをスターへと押し上げ、1990年代後半から2000年代初頭にかけて、日本の音楽シーンに沖縄ブームを巻き起こしました。
しかし安室奈美恵のプロモーション(起用方針)をめぐって関係が悪化し、マキノ氏は東京の芸能界から姿を消すこととなりました。
沖縄アクターズスクールと本土芸能プロダクションの間にある、複雑な力関係を浮き彫りにした出来事だったと言えるでしょう。
芸能界の発展に大きく寄与された、マキノ正幸氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
参考文献:
マキノ正幸(1998)『才能』講談社
佐野眞一(2011)『沖縄 – だれにも書かれたくなかった戦後史・下』集英社
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