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サッカーワールドカップ中継の歴史【放映権はいくらなのか?】

サッカーワールドカップは大会のたびに世界中で大きな盛り上がりをみせます。

世界でも有数のイベントのテレビ中継ともなれば、大きなお金が動きます。その辺りのことを調べてみました。

日本初の中継は東京12チャンネル

ワールドカップ
日本でW杯を初めて中継したのは、東京12チャンネル(現テレビ東京)で、1970年の第9回FIFA(国際サッカー連盟)W杯メキシコ大会でした。現在とは違って1局の単独放送で、放送権料は約8,000万円、録画中継です。

初めて生中継したのも東京12チャンネルです。1974年第10回W杯西ドイツ大会の決勝戦を、ミュンヘンのオリンピックスタジアムから中継しました。

試合は開催国西ドイツが2−1でオランダを破り優勝、開催国勝利とあって西ドイツ国内は大いに盛り上がりましたが、出場メンバーも“爆撃機ミュラー”“皇帝ベッケンバウアー”“フライング・ダッチマンヨハン・クライフ”とレジェンドが勢ぞろい。

日本時間7月7日の23時50分から始まった試合を、終了後の表彰式・選手たちのビクトリーランまで初の衛星中継で伝えました。中継そのものもドイツ放送局(ZDF)の協力の元、美しい画像、ノートラブルで送ることが出来ました。みんなで母国を応援しようと赤坂のレストランに駆け付けたドイツ人たちの、朝までのドンチャン騒ぎも引き起こしましたが。

この時の放送権料ですが東京12チャンネルが支払ったのは、決勝戦の生中継料と残りの録画放送権料合わせて約2億円でした。

ワールドカップ 放送権料の高騰

ワールドカップ

その後放送権料は天井知らずの高騰を続けます。現在はNHKと民放が共同で番組を制作するジャパン・コンソーシアム(JC)方式を取っており、広告代理店最大手の電通が間に入って、FIFAから放送権を購入しています。今回ロシア大会でJCがFIFAに支払うお金は600億円、前回ブラジル大会と比べても1.5倍の高値です。

観戦チケットはこの30年間で3~5倍の値上がりに過ぎないのに、放送権料は約180倍にも達しているのです。W杯のテレビ中継が始まったのは1954年W杯スイス大会からですが、そのころ放送権は開催国の組織委員会が持っていました。

いくつかの変遷を経たのち1978年W杯アルゼンチン大会からは、この放送権をFIFAが直接販売するようになりました。対して購入側はEBU(ヨーロッパ放送連合)を中心とした放送連合が、ITC(インターナショナル・テレビジョン・コンソーシアム)と言う更に大きな集合体を組織し、ここがFIFAと交渉します。この頃から2大会あるいは2~3大会のパッケージ販売が行われます。つまり抱き合わせですね。これはW杯を安定して継続的に開くための手段ですが、これが放送権料の高騰を呼びました。

しかしこれでもオリンピック中継に比べると割安だったのです。1992年バルセロナ五輪の放送権料は、1990年W杯イタリア大会の8倍でした。当然FIFA内部では不満が出ます。この声を受けてFIFAはITCとの交渉をやめ、公開入札制度を取り入れ現在ではFIFAが直接販売管理、幾つかの国と地域では代理店を通しての販売法になっています。

2014年ブラジル大会では、テレビ放映権料やスポンサー料を合わせてFIFAは5,000億円近くを手にしました。

このようにFIFAに大きなお金を払うためには、スポンサー企業に番組を高く買ってもらう必要があります。スポンサーも、W杯は高視聴率が見込める優良コンテンツ、せっせとCMを入れて元が取れれば高いお金を払おうと思います。しかしこのCMの入れ方にも変化が有りました。

マルチボールシステムがCMタイムを変えた

ワールドカップ

現在のサッカー中継では、前半・後半の試合時間45分間+アディショナルタイムの間は、コマーシャルは入りません。馬鹿高いお金を払って時間枠を買ったスポンサーとしては、どんどんコマーシャルを入れたいところですが、CMタイムの間に重要なゴールが決まってしまっては大変。

野球やボクシングの中継なら、攻守交替やインターバルタイムの間にCMを挟めますが、一瞬が勝負のサッカー中継、へたな事をすればせっかく宣伝した商品が売れるどころか、総スカンを喰らってしまいます。

そこで考え出されたのが、30秒のCMを前半に3回、後半に3回挿入するシステムでした。「いや、30秒も中断しちゃダメっしょ」との声が聞こえてきますが、以前はこれがなんとか出来たのです。

と言うのは、以前のサッカーは「ワンボールシステム」を採用していたからです。これは文字通り1回の試合中はそのボールが破損でもしない限り、1個のボールのみを使用すると言うものです。ボールが観客席に飛び込めば、そのボールを回収してから試合を続行しました。しかしこれではボールの回収に手間がかかりますし、試合内容によっては贔屓チームの有利になるよう、サポーターがボールを隠してしまう事態もたびたび発生しました。

これを防ぐために採用されたのが「マルチボールシステム」です。これは1試合に付き通常7個のボールを用意し、ピッチ外に出たボールを回収するのに時間がかかりそうな時は、すぐさま別のボールで試合を再開するものです。

おかげで試合運びはスムーズになりましたが、困ったのはテレビ局。以前はボールがピッチ外に出た瞬間(ボールデッド)を見計らって30秒CMを放り込みましたが、この芸当が出来なくなったのです。30秒の間でも決定的なシーンは起こりますが、そこはなんとか中継アナウンサーの話芸と、決定的シーンのVTRで乗り切りました。

この「マルチボールシステム」は、アトランタオリンピックアジア地区最終予選の途中から、いきなり採用されました。事前通告を受けていなかったテレビ局はかなりとまどったとか。

こうして30秒CMを放り込めなくなった現在は、前半・後半CM無しの試合を楽しめるのですが、その分試合の前後は長~~~いCMタイムになりました。もっともその間正直にテレビの前に座って居る義理はありませんけどね。

関連記事:
1994 アメリカワールドカップでの3つの悲劇
旧ソ連・北朝鮮の巨大建造物について調べてみた

コメント

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    すいませんこんにちはさて此方の記事の内容のに関する情報が先日NHK様の番組で嘘の情報と言う形で取り上げられて居りましたのでご報告申し上げます(本記事の情報が正しい内容です

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