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NHKマイルカップの歴史を調べてみた

NHKマイルカップ

※第14回NHKマイルカップ wiki(c)Goki (talk)

NHKマイルカップ(3歳オープン 国際・指定 牡・牝 定量 1600m芝・左)は、日本中央競馬会(JRA)が東京競馬場で毎年5月上旬に施行する重賞競走(GⅠ)である。発走前のファンファーレをNHK交響楽団の有志で結成された「NHK交響楽団とその仲間たちによる金管アンサンブル」が生演奏するのが恒例になっている。

このNHKマイルカップについて創設からの歴史をひもといてみる。
なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事では現在の表記で記す。

NHKマイルカップの創設

NHKマイルカップは1996年(平成8年)に創設された。
前身は1953年(昭和28年)から1995年(平成7年)まで施行されていたNHK杯(GII)である。

NHK杯は東京競馬場の芝2000mのコースを使用し、東京優駿(日本ダービー)のトライアルレースとして行なわれた。
出走できるのは3歳の内国産の牡馬・牝馬限定で、外国産馬と騸(セン)馬は出走できなかった。

日本では1990年代前半からアメリカやオセアニアからの競走馬の輸入が急増した。

外国産馬は内国産馬よりも仕上がりが早いため各レースを席巻し、3歳のクラシックレース(皐月賞・日本ダービー・菊花賞・桜花賞・オークス)の外国産馬への開放の圧力が強まっていった。

また世界的にスピードが重視されるようになり、短距離の適性のある馬と外国産馬の目標となるべく、NHKマイルカップが創設された。

マル外ダービー

JRA(日本中央競馬会)では外国産馬の名前を表記する際に○の中に「」の文字を入れた記号を付けている。
この○の中に「外」を入れた記号を「マル外(がい)」といい、外国産馬自身のことも「マル外」と呼ぶ。

1996年(平成8年)の第1回NHKマイルカップでの出走馬は、実に全16頭中14頭が「マル外」だった。優勝馬はアメリカ生まれのタイキフォーチュン(牡 父シアトルダンサー)である。

2001年(平成13年)第6回まで外国産馬の優位が続き、彼らの出走できない日本ダービーの代わりのレースという意味で「マル外ダービー」と揶揄された。

日本生まれの馬の台頭

他のGⅠレースと同様に、日本ダービーも国際化の流れで2001年(平成13年)以降、外国産馬の出走が認められた。
NHKマイルカップの方にも変化が生じ、2002年(平成14年)第7回以降は内国産馬が優勝している。

1990年代前半には種牡馬も活発に輸入された。トニービン、ブライアンズタイム、サンデーサイレンスがその代表格で、その産駒たちが重賞競走を席巻した。

NHKマイルカップ

※トニービン wiki(c)OUKA 

第7回の優勝馬のテレグノシス(牡)の父はトニービンである。

これ以降2019年(令和元年)まで、日本生まれの馬や父も日本生まれの馬(父内国産馬)が優勝し続けている。

1990年代後半から外国産馬の輸入が大幅に減少したことと、サンデーサイレンス系の種牡馬の活躍により、現在のNHKマイルカップに「マル外ダービー」の面影はない。

「国民のアイドル」 怪物ハイセイコー

NHKマイルカップ

※ハイセイコーの銅像 wiki(c)Ozizo

NHK杯(GII)の歴史の中で最も注目されたのは1973年(昭和48年)第21回の優勝馬ハイセイコー(牡)だろう。

ハイセイコーは地方競馬の大井競馬場でデビューした。2歳夏にデビューして6戦6勝し、「日本ダービーに挑戦させたい」と1973年にJRAに移籍した。

地方から出てきた馬が中央のエリート馬たちをなぎ倒していくさまは、競馬を知らない人の間でも人気沸騰し「ハイセイコーブーム」が巻き起こった。

ダービーの舞台の東京競馬場に慣れさせるために出走したNHK杯では、長い直線に入っても4~5番手からなかなか抜け出せなかった。ゴールまで残り200mのところから加速して、カネイコマ(牡)をやっとアタマの差で交わして勝利した。

日本ダービーでは連戦の疲れが溜まっていたのか、3着に敗れてしまった。

ちなみにハイセイコーは地方競馬出身馬なので、○の中に「地」の文字を入れた記号が付けられる。

変則二冠

栗東トレーニングセンターに所属する松田国英調教師はさまざまなポリシーを持って競走馬を育成しているが、そのうちの一つに「変則二冠」がある。
1600mのNHKマイルカップと中2週間後の2400mの日本ダービーの両方に勝てば種牡馬としての価値が上がるというもので、「マツクニローテ」などと呼ばれる。

NHKマイルカップ

※クロフネ(2001年5月6日、東京競馬場にて撮影)撮影者:Goki

初めてマツクニローテで挑んだのは2001年(平成13年)第6回優勝馬のクロフネ(牡)。ダービーでは5着に敗れてしまったが、このNHKマイルカップ勝利は松田国英厩舎が開業して初のGⅠ勝利である。

翌2002年(平成14年)第7回はタニノギムレット(牡)が挑んだが、テレグノシス(牡)の斜行に遭い3着に敗れる。ダービーではテレグノシスを11着に退けて優勝した。

※キングカメハメハ号 wiki(c)TRJN

やっと変則二冠を達成したのは、2004年(平成16年)第9回の優勝馬キングカメハメハ(牡)である。二冠ともレースレコードを叩き出す圧勝だった。

2006年(平成18年)第11回はフサイチリシャール(牡)が1番人気に推されたのに6着。ダービーは8着。
2008年(平成20年)第13回はブラックシェル(牡)が出走したが2着。ダービーは3着。

2010年(平成22年)第15回の優勝馬ダノンシャンティ(牡)も挑んだが、ダービー前日に右後脚の骨折が判明したため出走を取り消した。

2011年(平成23年)第16回以降は、松田国英厩舎からは1頭もNHKマイルカップに出走していない。

 

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