エンタメ

ホープフルステークスの歴史 【超光速の粒子 アグネスタキオン】

ホープフルステークスの歴史

サートゥルナーリア(第35回ホープフルステークス出走時)。中山競馬場にて。wiki c Ogiyoshisan

ホープフルステークス(2歳オープン 牡・牝 国際・指定 馬齢 2000m芝・右)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場で12月28日あたりに施行する重賞競走(GⅠ)である。ホープフル(Hopeful)は「希望に満ちた」「望みを持つ」を意味する英語である。

2017年(平成29年)にGⅠに昇格した2歳中距離王者決定戦であり、3歳牡馬クラシック1戦目の皐月賞と同じ競馬場、同じ距離で行なわれることから来年のクラシック戦線を占うレースでもある。

このホープフルステークスについて創設からの歴史をひもといてみる。

なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事ではレース名以外は現在の表記で記す。

2歳中距離王決定戦の誕生

2012年(平成24年)にJRAは2歳戦の充実を狙い、開催日程を東京優駿(日本ダービー)(GⅠ 東京・芝2400m)の翌週から2歳の新馬戦が始められるよう変更した。これにより2歳馬の入厩時期が早まった。

また競馬距離体系が多様化したため、各陣営でその馬に適した距離のレースに絞って出走させる意欲が高まった。

2歳馬路線の整備に伴い、2014年(平成26年)に朝日杯フューチュリティステークス(GⅠ 中山・芝1600m)が阪神競馬場へ移り、代わって阪神競馬場から中山競馬場に「ラジオNIKKEI杯2歳ステークス」(GIII 芝2000m)を移してGIIに昇格させ、名称を「ホープフルステークス」に改めた。

それまで12月始めに開催される阪神ジュベナイルフィリーズ(GⅠ 阪神・芝1600m)と朝日杯フューチュリティステークスが2歳馬の最終目標とされていた。

しかし阪神ジュベナイルフィリーズは春の桜花賞と同じ舞台だが、朝日杯フューチュリティステークスは距離が違うなどの理由で3歳クラシック戦線を狙う有力馬に回避され、翌週に行なわれるラジオNIKKEI杯2歳ステークスに集まることが多くなった。

そこでラジオNIKKEI杯2歳ステークスを2017年(平成29年)にGⅠに昇格させ、2歳の中距離王決定戦に位置づけられることになった。

また2017年(平成29年)に競馬法施行規則が改正され、12月28日は曜日を問わず中央競馬の開催が可能になった。GⅠのホープフルステークスがこの日のメインレースとなった。

ラジオたんぱ杯からのあゆみ

ホープフルステークス(旧 ラジオNIKKEI杯2歳ステークス)の前身は、1984年(昭和59年)に創設された阪神競馬場の芝1600mのGIII競走「ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークス」である。

この年にグレード制が施行され、2歳牝馬の重賞競走としてこのレースと中山競馬場に同距離の「テレビ東京賞3歳牝馬ステークス(現 フェアリーステークス)」が設置された。

第1回ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスの優勝馬はニホンピロビッキー(牝2)である。この年のJRA賞最優秀3歳牝馬に輝いた。

1991年(平成3年)(第8回)、関東・関西の2歳馬王者決定戦から牡馬・牝馬別々の王者決定戦に変更された。
阪神3歳ステークス(現 阪神ジュベナイルフィリーズ)は牝馬限定に、朝日杯3歳ステークス(現 朝日杯フューチュリティステークス)は牡馬・騸馬限定になった。

ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスも牡馬・騸馬限定、距離芝2000mの「ラジオたんぱ杯3歳ステークス」になった。

2000年(平成12年)(第17回)牝馬も出走が可能になり、2001年(平成13年)(第18回)競走馬の年齢表記の変更に伴いレース名も「ラジオたんぱ杯2歳ステークス」に変更された。

寄贈杯を提供する日本短波放送は日経ラジオ社に社名変更し、愛称がラジオたんぱからラジオNIKKEIに変更されたことから、レース名も2006年(平成18年)(第23回)から「ラジオNIKKEI杯2歳ステークス」と変わった。

2010年(平成22年)(第27回)国際競争に指定されて外国調教馬の出走が可能になり、国際格付のGIIIに格付け表記が変更された。

2014年(平成26年)(第31回)から舞台を中山競馬場に移してホープフルステークス(GII)となり、競走条件が牡馬・牝馬に変更されて騸馬が出走できなくなった。
またラジオNIKKEIの社杯は京都競馬場で行なわれている京都2歳ステークス(GIII 芝2000m)に提供されることになった。

2017年(平成29年)(第34回)GI昇格後の最初のホープフルステークスの優勝馬はタイムフライヤー(牡2)である。3歳時は結果が出せず、4歳になってダート路線に変更。5歳の今年(2020年)エルムステークス(GIII 札幌・ダート1700m)で優勝した。

超光速の粒子 アグネスタキオン

ホープフルステークスの歴史

アグネスタキオン ラジオたんぱ杯3歳ステークス出走時

2000年(平成12年)第17回の1番人気のクロフネはデビュー2戦めと前走のエリカ賞をレコード勝ちした外国産馬。2番人気のアグネスタキオンは12月にデビューしたばかりだが、ダービー馬アグネスフライトを全兄に持つ良血馬。3番人気のジャングルポケットは前走の札幌3歳ステークスをレコード勝ち。この三つ巴を制したのはアグネスタキオンだった。

馬群の中程から静かに上がっていき、直線に入って一気に加速。前を走っていたクロフネも、追いすがるジャングルポケットも置き去りにしてレコード勝利した。なんと置き去りにされたクロフネもジャングルポケットも4着以降に大差を付けてレコードタイムで走破していたという「伝説のレース」となった。

三冠も夢ではないと思われたが、デビュー4戦目の第61回皐月賞(GⅠ 中山・芝2000m)の勝利後に左前浅屈腱炎を発症して引退してしまった。

クロフネは第6回NHKマイルカップ(GⅠ 東京・芝1600m)と第2回ジャパンカップダート(GⅠ 東京・ダート2100m)に勝利したのち、右前浅屈腱炎を発症して3歳で引退。

ジャングルポケットも第68回日本ダービー(GⅠ 東京・芝2400m)と第21回ジャパンカップ(GⅠ 東京・芝2400m)に勝利したが4歳で引退した。

3頭とも種牡馬としても大成功している。まさに第17回ラジオたんぱ杯3歳ステークスはレベルの高いレースだった。

 

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. BOØWY(氷室京介)のモノマネ日本一!? 【じぐろ京介さんに…
  2. オリンピックに懸けた日本人達 ~「マラソンの父」金栗四三の軌跡~…
  3. ドン・ジョヴァンニについて調べてみた【騎士団長殺し】
  4. ソ連に行くはずが…?数奇な運命を辿り南極への道を作った船「宗谷」…
  5. 朝日杯フューチュリティステークスの歴史《夢のスーパーカー マルゼ…
  6. トム・クルーズの人気の秘密 【なぜ衰えない?】
  7. 秋華賞の歴史を調べてみた「フラッシュ厳禁」 エアグルーヴ
  8. 高松宮記念の歴史を調べてみた

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

なぜ伊勢神宮が全神社の頂点に立ち、日本国民の総氏神とされるのか?

現在、神社の数は、全国でおよそ8万8,000社以上に上るといわれる。これは、日本人の多くが信…

エクソシストの真実 【悪魔体験談】

「あなたは悪魔を信じますか?」97年6月、アメリカ「ニューズタイムス」誌が、抜き打ち…

ネアンデルタール人と私たちの歴史 「そしてヒトが生き残った」

この世界に人種は様々です。「我々日本人と外国人」との違いといった本は沢山あります。違いを追い…

ある1人の死体が第二次世界大戦の勝敗を決めた!? 【ミンスミート作戦】

はじめに第二次世界大戦は、まさに人類の明暗を決める戦いでした。もしナチス・ドイツ(ヒトラ…

皇帝になることを拒否した男〜 劉虞 「人望はあったが戦が下手すぎた幻の皇帝候補」※正史三国志

皇族の座を拒否した男天下を狙って多くの人物が現れては消えた後漢末期、皇帝の座を拒否した劉…

アーカイブ

PAGE TOP