宮城県亘理町にお住いの亀井繁さん、その妻と次女は2011年、東日本大震災で津波の犠牲となりました。
以下は、亀井さんの述懐のまとめです。
目次
成仏なんかしないで
二人が発見されたのは、震災の日から2週間経ったころ
「私はその間、風呂に入れなかった。
二人が冷たい水にさらされている中、自分だけ温かいお風呂につかるなんてとっても申しわけないと思いました。
納骨しないと成仏しないと言われましたが、成仏してどっかに行っちゃうんだったら成仏などしない方がいい。
そばにいて、いつでも出てきてほしい。
ある日夢で、暗闇のなか輪郭だけ見え、『私がいないとつまんない?』と。
別の日にはまた夢の中で、『今は何もしてあげられないよ。でも信頼している。急がないから。待ってる。』
私にとっての希望は、自分が死んだときに妻や娘に逢えるということだけ。
それには『魂』があってほしい。
魂があってこそ、逢える。
それがなかったら、何を目標に生きていけばよいのか。
死んだ先でも私を待ってくれているという妻の言葉こそ、本当の希望なんです。」
悲しみを乗り越えるサポートとしての「グリーフケア」
人は誰しもいずれ死ぬ。
これはゆるぎない事実として、それではその死の先に、あなたは何があると想像しますか?
死後の世界は存在するでしょうか
今は亡きあの人は、今どんな景色を見てどんな生活をしているのでしょうか。
もちろん中にはいろんな事情から、「一切合切なにもかも無くなってほしい、消えてなくなりたい」と思う人もいるでしょう。
しかし、死を肉体のみの死滅ととらえ、肉体からは独立に存在する魂の永続性、そしてその延長上にすでに他界していた肉親との再会を希求する人がいるのもまた事実。
この亀井さんのように。
肉親との死別の悲哀とそれに伴う心理的な負担、苦しみを軽減させるためのワークは「グリーフケア」と呼ばれ、それを行う多様な団体があります。
それらは大別すると
1)宗教的なもの、
2)心理学によるもの、
3)催眠術を利用するもの、
の3つに大別することができます。
必要と感じられた時、自分にフィットすると思うものを選べばよいでしょう。
その意味では、選択肢は多いほど良いと言えます。
私はここに第4の選択肢、「科学的グリーフケア」を加えたいのです。
2008年の実母の他界をきっかけに私は、死後なお精神活動が存続する可能性を示す実証的(唯物論的)な理論モデルが構築できないかと、大学の職を辞して独自の研究活動を開始。
2013年にPF(Parasite Fermion)理論を発表しました。
物理学的にはあり得ないと一蹴されている死後存続について、多くの克服すべき課題は付随しつつも、その可能性があり得ることを示した点において画期的と自負しています。
興味ある方は、拙著をご覧ください。『脳は心を創らない』
科学的グリーフケアの意義は、単に「選択肢が増える」だけではありません。
死後の永続性に望みをつなぎ、かつ科学の力に信頼を寄せるすべての人の期待に応えることになります。
そして更に、そこには他の3つのグリーフケア活動にはない、独自の大きな特長があります。
それは、それが肉親・知人の死に対する悲哀の軽減のみならず、自身の死に対する恐怖の軽減にもつながる、ということ。
これって、大きいですよね!
生まれ変わり研究の取り組み
改めて考えてみましょう、死のその後に我々の精神活動が停止しない可能性を。
現代脳科学では、私たちの精神活動、意識、記憶、感情や感覚の発現などは、脳の活動の所産、脳細胞間の電気的・化学的信号のやりとりの結果とされます。
だから脳がその活動を停止すれば、それらのものは一切失われるはず。
まして荼毘に付された後の、灰と化した脳に何らかの認知機能を発揮することなど期待できるはずがありません。
現代科学の常識に従えば、死はその人の「人としての存在」の完全消滅を意味します。
「だが、それは本当なのだろうか?」
この常識に疑問を投げかけ、追究している人々がいます。
例えば「生まれ変わり」現象の研究者たちです。
アメリカ・ヴァージニア大学を拠点とし、世界中の「前世記憶」証言を収集しています。
彼らは前世記憶をしゃべる子供の傾向として、35か月頃にしゃべり始め7歳くらいでしゃべるのをやめること、そして知能指数が高い傾向があることを指摘しています。
そして「生まれ変わり」を科学の議題とする上で注目すべき点は、35か国の事例で前世記憶として語られた証言内容と一致する人物が特定できた、という事実です。
証言内容を事実と認めるには?
科学研究において個人的な体験談は、研究のきっかけにはなるかも知れません。
しかし、それだけで「事実認定」されることはありません。
あなたがいくら確信をもって「私は○○を見た」と証言しても、その○○が大谷のホームランであろうが、車の衝突事故であろうが、はたまた幽霊であったとしても、あなたが主張しているという限りにおいては、科学的に事実とは認定されないのです。
事実認定されるためのキーワードは「共有可能性」。
「誰でもがそれと認めうる、共有できる体験」であるとき、初めてその現象が事実認定される可能性が出てきます。
一般の人が目にする機会はほとんどないかも知れませんが、研究の現場で研究者間でのコミュニケーションに用いられる学術論文を例にとりましょう。
例えば実験結果の報告では、それがどんな条件下でどんな材料を調達し、測定にはどんな機器を使用したかについて、つぶさに記録されています。
機器についてはその製造者から型番、製造日時・番号まで、そして必要なら実験日の温度や湿度などなど、実験の条件がこと細かに記されます。
何のため?
もちろん実験の結果を共有可能なものとするためです。
誰でもが同じ条件で追試が可能であるように情報が公開され、実際に追試が繰り返されます。
そして、同じ条件のもと誤差の範囲内で同じ結果が得られることが確認されれば、晴れてそれは正しい結果であると認められます。
生まれ変わりのエビデンスを求めて
誰が見ても同じ結果を共有できる事象、これが「エビデンス」。
ここで問題です。
生まれ変わりの研究においては、なにがエビデンスとなり得るのでしょう?
もうお分かりでしょうが、「私の前世は○○です」などという自己申告だけではエビデンス足りえません。
でも、もしその前世記憶証言で語られている前世の人物、それが誰なのかが特定できたとすると、どうでしょうか?
前世記憶では、氏名や年齢、職業だけでなく、どこの国に住んでいた人物か、誰とどこへ行ったか、どんな家に住んでいたか、庭にはどんな木が植えられていたか、子供の頃こんなことして遊んだ、どんな事故で死んだのかなどなど、さまざまな具体的なエピソードが詳細に語られることがあります。
そしてそれらのエピソードが一致する、「過去に実在した人物が実際に見つかるケースが少なからずある」と研究者たちは主張しているのです。
この場合その証言は、単なる個人的な主張の域を越えます。
証言者と過去に実在したその人物との間に、何らかのつながりがあることを示している可能性が浮上するのです。
現在でも生まれ変わりを示す実証データとして、世界中で収集活動が続けられています。
例えば生まれ変わり研究の第一人者・ヴァージニア大学のジム・タッカー教授。
彼は前任の故イアン・スティーブンソン博士とともに、世界各地で2600を越える前世記憶証言を収集してきました。
その中には過去生人物の特定に成功した事例も数多く含まれます。
ここではその中の一つ、「ライアン君」の事例を見てみましょう。
前世記憶証言の事例:ライアンの場合
ライアン君は2004年7月、米・オクラホマ州生まれ。
5歳になった2009年、母親のシンディに「秘密」を語り始めました。
その内容はというと、
○自分は昔、ハリウッドスターだった
○庭にプールのある大きな家に住んでいた
○カウボーイの親友がいて、その人はタバコのCMにも出ていた
○「ファイブ議員」がとんでもない奴で大嫌い
等々です。
1つ1つが具体的で、人物の名前や周辺事情などが事細かに語られます。
シンディは驚きつつも、ハリウッドに関するたくさんの本をライアンに見せてみました。
するとその中にあった1枚の写真を、ライアン君は指さしたのです。
その写真は1932年公開のハリウッド映画、”Night after Night”(日本語タイトル「夜毎来る女」)という映画のワンシーンでした。
相対峙する6人のギャングの中の右端に写っている人物(矢印)が自分だ、と言うのです。
しかし、この人物が誰なのかを特定することはできず、ここへきて夫妻はタッカー教授に連絡を取り、相談することにしました。
そして、タッカー教授はライアン君と面談します。
その結果、教授は「嘘や、やらせの類ではない」と結論づけ、その人物の特定に乗り出しました。
このころタッカー教授の研究をTV番組にする動きがあり、番組製作スタッフも独自に調査を開始、苦労の末その人物をマーティ・マーティンという俳優と特定しました。
この人物はスターどころかセリフもないエキストラで、俳優としての知名度は低く、その特定に手間がかかったのは無理もないことでした。
スタッフはその結果をライアン家族には伝えず、タッカー教授にだけ伝えました。
タッカー教授はその結果を受けて、ライアン君に再度面会し再調査することに。
マーティン本人は1964年にすでに亡くなっているので、写真を使った「認識テスト」を行いました。
まず4人の女性の写真を置き、「見覚えのある女性は?」と質問します。
するとライアン君は、1枚を指さしました。
それはマーティンの妻の写真でした。
今度は4枚の男性の写真を見せ、「ファイブ議員はどれ?」と質問します。
するとライアン君は、また1枚を指さしました。
実は当時ファイブと言う名前の議員は存在せず、似た名前の「アイブズ」という議員の写真を入れておいたのですが、ライアン君は見事そのアイブズ議員を指さしたのです。つまり、正確にはファイブという名ではなく、アイブスという名だったのでしょう。
次にまた4枚の男性の写真を見せると、ライアン君はテニスラケットを持った人物を指さしました。
それは紛れもない、マーティンその人だったのです。
同様のやり方で、「ジョン・ジョンソン」、「ウィリー・ウィルソン」、「マーティ・マーティン」、および「ロバート・ロバートソン」と書いた4枚を見せ1枚を選択させました。
ライアン君はこれも見事に、マーティ・マーティンを選びました。
共和党支持者で、端役として映画に出る一方で、タレント斡旋会社を運営し、豪邸に住み世界旅行もしていた等々、タッカー教授が調査したマーティンの多くのエピソードが、ライアン君の証言と一致していました。
アイブズ議員とマーティンとの確執の事実については確認できませんでしたが、一緒に写っている写真が残っており、知己があったことは確認できました。
マーティンの死亡証明書は彼が59歳の時に亡くなったことを示していましたが、ライアン君は「自分は61歳で死んだ」とかたくなに主張。
その後の調査で、ライアン君の方が正しいことが裏付けられました。
さらに、マーティンの実娘・マリサさん(54)との面会を通じて、家族しか知らないと思えるエピソードも証言内容と一致したのです。
日本における生まれ変わり研究第一人者の中部大学・大門正幸教授は、
1) 語られている記憶の量・振る舞いや感情の的確さが群を抜いている
2) 生まれ変わりを認めない文化圏であり、名声のためのでっち上げとは考えにくい
3) 両親が公職に就いており、虚偽報告の可能性は低い
4) 特に研究者介入後は、虚偽報告の可能性は排除できる
などの理由により、ライアン君の事例は生まれ変わりの明確な証拠である、と指摘します。
一方、心理学者の明星大学・藤井靖准教授はこれに対し、子供の語る「前世記憶」は生まれ変わりの証左とはならないとし、子供特有の創造力や思い込みの強さ、記憶違い、社会性への不慣れなどに原因を求めています。
藤井氏はこの中で子供特有の心理として、「社会的参照」を挙げています。
これは社会性に不慣れな子供の特質として、目新しいものに対する対応を親に依拠し、親の言動によって行動を変化させる傾向が強い、というもの。
例えばタッカー教授との面談時、幼少でやむを得ないとはいえ、ライアン君の脇には必ず両親が同席しました。
これにより、親が何らかの合図を送った可能性は排除できなくなります。
過去生の人物が特定できた前世記憶の実例について、ここでは敢えて賛成・反対の2つの立場を示しました。
どちらが正しいのでしょう?
私は、子供の心理特有の作用などに帰着されない形で、もっと多くの事例を収集する必要があると思っています。
タッカー教授のグループ以外の研究者が事例収集に参加し、そして学問的な議論をもっと活発化させる必要もあるでしょう。
現状では、これをもって生まれ変わりのエビデンスがそろった、と断ずるのは早急な気がします。
あなたはどう思いますか?
参考:
『脳は心を創らない 著 種市孝』
『魂でもいいから、そばにいて 3・11後の霊体験を聞く 著 奥野修司』
『Dr. Jim B. Tuckerホームページ(英語)(』
『「生まれ変わりはある」と言わざるをえない 著 大門正幸』
文 / 種市孝(たねいちたかし) 校正 / 草の実堂編集部
テレビでもたびたび生まれ変わりの事例が取り上げられていて、妄想や偶然の一致以上の事象があることは覚えていて損はないと思う。
大切なのは“子どもの言うこと”と決めつけずに真摯に向き合うこと。生まれ変わりという可能性が存在していることを覚えておけば、それで悩む子ども自身や両親の気持ちの救いになるかもしれない。