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ブロンテ姉妹とは(シャーロット、エミリー、アン)【全員短命の天才小説家】

ブロンテ姉妹とは

(ブロンテ姉妹。左からアン、エミリ、シャーロット)

ブロンテ姉妹とは

ブロンテ姉妹とは、長女のシャーロット・ブロンテ(1816~1855)、次女のエミリ・ブブロンテ(1818~1848)、そして三女のアン・ブロンテの三姉妹のことで、彼女ら3人はいずれも、イギリスの文学史を代表する小説家である。

有名な作品には、『嵐が丘』や『ジェイン・エア』などがあり、英米文学に詳しくない方にも聞いたことのある作品は多いことだろう。

3姉妹は、父が牧師を務めていたウエスト・ヨークシャーにある牧師館で育ち、幼い頃から雑誌や物語を作って遊んでいたという。

3姉妹が全員小説家として活動するという、世界中でも類を見ない珍しい例であるが、今回はそんなブロンテ姉妹について、詳しく見ていきたいと思う。

女性に対する社会通念に反逆した『ジェイン・エア』を書いたシャーロット

ブロンテ姉妹とは

(シャーロット・ブロンテ)

ブロンテ姉妹の長姉であるシャーロットは、1816年、ブロンテ家の三女として生まれた。

実はシャーロットはブロンテ家の長女ではなく、彼女の上には2人の姉がいたのである。
しかし、寄宿舎に入学した2人の姉は、劣悪な校内環境のせいで結核に感染し、わずか11歳と10歳という幼さでこの世から去ってしまった。

シャーロットは32歳頃から、教師としてロウ・ヘッド・スクールに赴任。
教壇に立つ傍ら、自身の小説を書き進めていく。

1947年には、代表作である「ジェイン・エア」を、カラー・ベルというペンネームで刊行。
(ちなみに、カラー・ベルとは男性名だった)

この物語は、孤児である主人公・ジェーンが、家庭教師として住み込んだ家の主人と結ばれるまでを描いた作品である。

当時、小説の中のヒロインと言えば、たいていが美人だという設定が多かったが、ジェーンは美人ではなく、また男女平等を唱えたり、当時はありえないとされていた女性からの告白をやってのけたり、また、自由恋愛で結婚するなど、かなり画期的なヒロインとして描かれている。

ブロンテ姉妹が存命していた頃のイギリスは、ヴィクトリア女王が統治する、いわゆるヴィクトリア朝と呼ばれていた時代のことで、当時は小説の中でさえ、男女が自由に恋愛した結果、結婚に結びつくということはありえない考えだったのである。

シャーロットは、「ジェイン・エア」の中で登場する“ローウッド学院”は、実際にシャーロットの姉2人が通って死亡した学校をモデルに描かれており、そのことが発覚したことで大きな社会問題に発展した。

シャーロットは、短命だった他の姉妹たちに比べると長生きしたが、牧師のアーサー・ニコルズという男性と結婚した直後、妊娠中毒症により、わずか38歳でこの世を去った。

しかし、シャーロットの死後、彼女の大親友であったエリザベス・ギャスケルが『シャーロット・ブロンテの生涯』を執筆し、ブロンテ姉妹の生涯は後世まで語り継がれることになった。(エリザベス・ギャスケル自身も小説家として活動していた。)

英文学の三大悲劇のひとつ、『嵐が丘』を書いたエミリ

ブロンテ姉妹とは

(エミリ・ブロンテ)

エミリは「最後のロマン主義作家」といわれ、歴史上に大きく名前を残した小説家である。

彼女が生涯の中で唯一書いた長編小説『嵐が丘』は、『リア王』『白鯨』と並んで英文学の三大悲劇と呼ばれるほどである。

そんな華々しい評価を受けるエミリだが、彼女の存命中、『嵐が丘』は酷評され、評価が高まったのはエミリの死後だと言われている。

『嵐が丘』は、ジプシーの孤児であるヒースクリフが、拾われた先の一人娘であるキャサリンと惹かれあうも、2人の運命の糸がこじれ、やがてヒースクリフは復讐を考えるようになる…という、人間の業を生々しく描いた小説である。

人間の複雑な心理描写を巧みに描いたエミリだが、実は彼女は人生の中でほとんど社会と接することなく、家族にのみ囲まれて過ごしていたという。
結婚もせず、一度は音楽教師として勤めに出るも、わずか半年で職を辞してしまった。

つまりエミリは、想像力のみを働かせ、この雄大で重厚な人間ドラマを書き上げたといえよう。

そんな類まれなる才能を持つエミリであったが、1848年、自身の兄の葬儀の際、風邪をひいたことが元で結核にかかり、わずか30歳という若さでこの世を去ってしまった。

ガヴァネスの経験を生かした『アグネス・グレイ』を書いたアン

(アン・ブロンテ)

姉たちの知名度に比べるとやや劣るものの、アンも小説家としての立派なキャリアを持っていた。

彼女は、19歳の時から6年間、ガヴァネスと呼ばれる、現在の家庭教師のような仕事につとめていた。

家庭教師といっても、当時は裕福な家庭では、学校教育よりも自身の家庭内で子供を教育するということが一般的で、ガヴァネスと呼ばれる女性たちは子供たち(特に女の子)の教育・教養を教えることを任されていた。

この時の経験を生かし、アンの最初の作品である『アグネス・グレイ』が執筆されたと言われている。

この作品は、アンの自伝的小説で、カヴァネスとしての日々と、夫エドワードと結婚するまでの道のりを、自身の日記をもとに編集し、物語として書き直しているものである。

アンの作品は、情熱的なシャーロットやロマン主義のエミリの作品とは一線を画すもので、そのリアルで現実的な描写はしばしば、ジェーン・オースティンと比較される。

アンは1849年、病気のため29歳で死去した。

短命であった姉妹たち

シャーロットは38歳、エミリは30歳、アンは29歳と、彼女たち3人は全員、若いうちに命を落としている。

彼女らはぜんぶで6人兄妹であったが、どの子供たちも自らの子孫を残すことはなく、ブロンテ家の血筋は途絶えてしまったと言われている。

しかし、短命であるがこその情熱や、豊かな想像力によって、彼女らの素晴らしい作品が後世に遺ったのは事実である。

そんな彼女らのそれぞれに違った味わいのある作品たちを、ぜひ一度読んでいただければ幸いである。

 

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アオノハナ

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歴史小説が好きで、月に数冊読んでおります。
日本史、アジア史、西洋史問わず愛読しております。

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