人物(作家)

シャネルの創設者、ココ・シャネルについて調べてみた

ココ・シャネル(1883~1971)といえば、世界中でも有数の高級ブランドである【CHANEL】の創設者である。

数々の名言を残し、その生き様は多くの人々に勇気を与え、亡くなった現在でも、憧れの的となっている人物である。

今回は、そんなココ・シャネルの生涯や、彼女の残した名言、さらにはブランド【CHANEL】の特徴についてなど、詳しくご紹介していきたい。

ココ・シャネルの生涯

ココ・シャネル

“Coco” Chanel, 1920 wiki(c)Time / Getty 

本名は、ガブリエル・ボンヌール・シャネル

1883年8月19日、フランスのソミュールという街にある救済病院で生まれたココは、歌手を夢見て、キャバレーで歌い手の仕事をしていた。

その時に歌っていた彼女の十八番が『ココ』という曲名で、その曲にちなみ、「ココ・シャネル」というニックネームがつけられた、と言われている。

美しい彼女にはファンが多く、連日多くの客が押し寄せていたようである。

そんなココは、12歳の頃から、姉のジュリアと妹のアントワネットと共に、孤児院で育つことになる。
母が若くして肺結核で亡くなり、子供たちに無関心だった父親は、子供を捨て自由に生きていくことを選んだのである。

苦労の多かった幼少期であるが、キャバレーで歌手として活動したあとは、1910年に帽子専門店を開店する。

続いて、1920年代には香水の販売を始めると、その後、着心地の良さを重視した、”シャネルスーツ”と”リトルブラックドレス”を発表した。

ココ・シャネル

シャネルスーツとリトルブラックドレス wiki(c)Mabalu Peter Duhon

この”シャネルスーツ”と”リトルブラックドレス”が大当たりし、シンプルで洗練された洋服と、真珠のネックレスを組み合わせるスタイルが、【CHANEL】の象徴的なスタイルとなっていった。

洋服だけではなく、【CHANEL】は香水の開発にも着手した。

1920年代に発表された香水、「シャネルNO.5」は、それまでファッションの観点からは注目されていなかった、香水という分野を、ファッションの一部と見なしたのである。

1930年代、世界恐慌の影響で、【CHANEL】の事業も落ち込み、さらには1940年代の第二次世界大戦が勃発したせいで、【CHANEL】は一部店舗を残し、全てのビジネスを閉鎖することになった。

当時4000人以上の従業員を抱えていた【CHANEL】にとっては、かなりの打撃だったに違いない。

このことにより、ココは、ファッション業界から一時引退することになった。

1954年、当時70歳になっていたココは、再びファッション業界に復帰し、女性らしいシルエット、かつ着心地のよいたくさんの優れた新作を発表すると、見事に返り咲いた。

そして、1971年1月10日、滞在中のホテルで急死する。

当時、87歳であった。

彼女の葬儀に参列した多くの人々は、ココに敬意を示すため、彼女がデザインした【CHANEL】のスーツを着用していたという。

ココ・シャネルと恋人たち

ココ・シャネルといえば、その奔放な恋愛遍歴も有名である。

ファッションへの情熱と同じくらいに、結婚への願望も強かったというココは、その人生の中で数々の恋人と浮名を流してきた。

クラブの歌手時代には、フランス軍の元騎兵将校であり、繊維業者の息子であったエティエンヌ・バルサンと出会った。

Étienne Balsan wiki

彼はココの生活の面倒を見る、パトロン的役割も果たしていたという。

その後、イギリス軍大尉であるアーサー・エドワード・ボーイ・カペルと恋仲になったココは、ボーイの援助により、パリで暮らし始める。

ボーイは女性関係が派手で、かつファッションにもこだわりがあったボーイのセンスは、ココの創作意欲に大きく火をつけたという。

ココにとって、ボーイは、生涯の中でもっとも愛した恋人であり、「私の父であり、兄であり、家族そのものでした」と語っている。

シャネルとアーサー・カペル「ボーイ」を描いた風刺画。(1913年)

その後、ボーイは自動車事故によって亡くなってしまうが、その2年後には、ロシアのドミトリ・パブロヴィッチ大公と交際を始めたココ。

大公から教えられたロシアの文化が、彼女にとって、作品作りの大きなインスピレーションとなった。

その他にもココはあらゆる芸術家を恋人に持ち、時には同時に複数人と愛人関係を持っていて、その恋愛遍歴は非常に華やかなものであった。

歴代のココの恋人の中で、特筆すべきは、第二次世界大戦中に恋人関係にあったハンス・グンター・フォン・ディンクレイジ男爵である。

彼は当時、ナチス軍のスパイとして諜報活動を行っており、そんな男爵と交際していたココもまた、終戦後にスパイ容疑をかけられていた。

スパイ容疑をかけられていたココは、戦後しばらくスイスに亡命し、裁判から逃れたものの、再びファッション業界に復帰した際には、多くのバッシングを受けている。

ココは、男性との恋愛について、「本当の男の愛というのは、結婚すること」を発言している。

結婚願望が強く、星の数ほどの恋人と付き合っていた彼女だが、結局誰一人、ココを妻にはせず、彼女は生涯独身を貫き通した。

ココ・シャネルの名言

ココ・シャネル

ココ・シャネル(1970年)

ここからは、現在の私たちにも通じる、ココ・シャネルの名言について、ご紹介していきたいと思う。

“20歳の顔は自然の贈り物。50歳の顔はあなたの功績。”

“今もなお、最も勇気のいる行動とは、自分の頭で考え続けること。そしてそれを声に出すこと。”

“私は贅沢が大好きです。贅沢とは、お金を持っていることや、けばけばしく飾り立てることではなく、下品でないことをいうのです。下品こそ、もっともみにくい言葉です。私はこれと闘う仕事をしています。”

“美しさは女性の「武器」であり、装いは「知恵」であり、謙虚さは「エレガント」である。”

“侯爵夫人はほかにもいたけれど、ココ・シャネルはただひとり。”

いかがだろうか。
ココ・シャネルの言葉には、他にも数多くの名言・格言があるが、筆者は特に、上記で紹介した名言に感銘を受けた。

自分自身に正直に生き続けたココ・シャネルの言葉は、現代を生きる多くの人々にとって、今もなお、勇気を与えてくれることだろう。

 

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アオノハナ

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日本史、アジア史、西洋史問わず愛読しております。

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