貞子の母のモデル 御船千鶴子
御船千鶴子(みふねちづこ)は、透視能力「千里眼」を有する超能力者という触れ込みで明治時代の世に現れ、東大助教授であった福来友吉(ふくらいともきち)博士の実験に協力した人物です。
日本中で大ブームを巻き起こしたホラー映画「リング」の山村貞子の母親・山村志津子のモデルとなったとも言われています。
福来博士の実験によってマスコミに取り上げられたた千鶴子でしたが、24歳にして自ら服毒自殺を遂げました。
果たして彼女の「千里眼」騒動とは何だったのでしょうか?
万田炭鉱を発見
千鶴子は明治19年(1886年)に熊本に生まれました。
17歳の頃に義兄にかけられた催眠術をきっかけとして、超能力を発現させたと伝えられています。
千鶴子は炭鉱を経営する会社からの要望を受けて福岡県の大牟田市で透視を行うと、万田炭鉱の存在を言い当てて謝礼2万円(現在の価値で約2000万円)を得ました。
こうしたことが噂となって次第に世に知られるようになり、明治43年(1910年)頃に福来博士が研究を始めるに至ったのです。
公開実験でのすり替え疑惑
こうして同年9月14日に、福来博士が主催する「千鶴子の公開実験」が東京で行われました。
この実験は、千鶴子の家族や、当時の物理学の権威だった東大元総長・山川健次郎、各新聞社の記者も招かれた注目の実験となりました。
この実験では、山川が用意した平にした鉛の管の中に文字の書かれた紙を入れ、それを両側から厳重にハンダ付けし、中身の文字を当てるという透視が行われました。
紙の入った鉛の管は20個が準備されました。
しかし鶴子が透視した結果は、山川が準備したものではなく、福来が練習のために千鶴子に渡していたものと一致するという微妙なものだったのです。
この鉛菅がすり替わったという事態に、各新聞の論調は千鶴子の能力について疑問を呈するものとなりました。
再度の実験実施
公開実験から2ヶ月経った明治43年の11月17日・18日両日、千鶴子の地元である熊本において、再び福来博士による実験が行われました。
映画「リング」を始めとするイメージから、マスコミでバッシングを受けた千鶴子はすぐに自殺したかのような印象がありますが、その後も福来博士による研究は続けられています。
この時は煙草の箱に2つのサイコロを入れて封をし、その目を当てるというものでした。
一応5回中、3回を的中させたとされていますが確率からの類推も可能なもので、その真意の程は不明という他ありませんでした。
自殺の原因
千鶴子は明治44年(1911年)1月18日に自ら毒を飲んで自殺を図り、翌19日の朝に24歳で死亡しました。
毒薬自体も千鶴子自身が購入したもので、一時は一命を取り留めたかに見えましたが手当の甲斐なく亡くなりました。
千鶴子は自殺の理由を明らかにせずに亡くなったため、マスコミを中心に様々な風説が飛び交いました。
その中で当時も最も可能性が高いとされた説は、自身の能力を巡る親族間でのトラブルというものでした。
千鶴子の父と義兄の間で、「金の生る木」と化した千鶴子を奪い合う争いとなり、その渦中に置かれた事を気に病んだという説です。
千鶴子は当初から義兄の治療院で透視を行い、その噂が高まったことで義兄の商売は盛況を極めていたました。
それを横目にした千鶴子の父が自らも利益を得ようと画策し、義兄との軋轢が生じたと言われています。
福来博士はその後も超能力者とされる人物を相手に実験を続けましたが、1914年、東京帝国大学を追放されました。
能力が本物であったかどうかは闇の中ですが、少なくとも深く関わった人たちは幸せとは言えない結果となったのです。
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