・「平氏」が「平家」になっていく
室町時代に成立したとされる「太平記」の記述がある。新田義貞(源氏)が鎌倉幕府を滅ぼした場面である。
「元弘三年五月二十二日と申すに、平家九代の繁昌一時に滅亡して、源氏多年の蟄懐、一朝に開くる事を得たり」(1333年5月22日、平家九代の栄華は一瞬にして滅び去り、源氏が多年にわたり心に抱いてきた憤りを、たちまちに解き放つことができた)
「平家九代の繁昌一時に滅亡」とあり、なぜかまた平家が滅びている。
実はここでいう「平家」とは、鎌倉幕府で長年に渡って執権を務めていた北条氏のこと。
北条はカテゴリーではもともと「3、地方の平氏」に入っていたはずなのだが、「太閤記」でははっきりと「平家」と呼ばれている。
壇ノ浦の合戦以降、徐々に「平家」と「平氏」の使い分けは流動的なものとなっていき、本来ならば「平氏」と呼ばれていた者も、次第に「平家」と呼ばれるようになったようだ。
現在、「自分は平家の子孫」という人たちの中には「3、地方の平氏」のカテゴリーに入っていた人たちの子孫というケースもあるということになる。
・まとめ
「平家が壇ノ浦で滅びた」という表現は、「1185年に平家政権が終了した」という意味では本当だが、「一族がすべて死に絶えた」という文脈で読んでは誤りということになる。
余談だが、現在このような会がある。
全国平家会
平家の子孫の方や、そのゆかりの方で組織された、各地に残る文化を継承する団体である。
「平家」という歴史的文化遺産を後の世へ受け継いでゆくべく、様々な取り組みをされている実在の組織。
会の活動を拝見すると、安易に「平家が滅びた」とは言えないのではないだろうか。
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三浦藩の末裔で現在の福島県相馬市に相馬城を築城に関係しているのか。教えてください。