纏足とはなにか
纏足(てんそく)とは、中国南唐後主の時代に宮廷に仕える女性から始まったとされる、女性の足を小さくする中国の習慣である。
その後、宋の時代に宮廷から民間へ伝わったとされ、宋の末期には「女性の足は小さければ小さいほどよい」とう風潮になった。爪先から踵まで10cmほどが理想であり、3~4歳の頃から女児の両足を布で骨格が変わるほどきつく縛る。足を大きく成長させないよう固定するのである。
足が大きくなってくると足の裏を脱臼させてさらにきつく縛った。子供の足を押さえつけて大人の精一杯の力で押さえつけるのだから、その苦痛は想像を絶するものであろう。
それにより成長が止まり奇形足が出来上がる。そして死ぬまで縛り続けるのである。寝る時ももちろん布を緩めることはない。布が解けないようにするために夜は就寝用の靴を履く。足の爪は普通に伸びるので、巻き爪になって化膿したり炎症を起こすこともあったという。
苦痛に泣き叫ぶ子供を押さえつけて酷い痛みを伴う纏足を子供に施すのだから、母親にとっても苦痛である。
母親は一般的にはこういって娘をなだめたという。
「これをしないと一人前の女性になれない。今は痛いかもしれないけど、あなたのためなのよ。」
纏足を施された足のレントゲンを見てみると、親指以外の四本の指が布で圧迫されてまるで一つに塊のようである。
なぜ纏足をしたのか?
その理由については各説あるが、大きな理由として最も知られているのは「女性美」のためである。
纏足を施された女性は当然のことながら足に力が入らず、正常に歩くことができない。体の中心が定まらず左右にゆらゆら揺れながら歩く。纏足がうまく施されていない女性は誰かに付き添ってもらわないと歩くことができないほどであったという。
纏足をすることで、女性の下半身が発達するなどといった話も信じられていた。
男性重視の時代、女性は男性の欲求を満たすのが責務だった。小さい足の女性は良い家庭に嫁ぐことができるとされていた。そのために裕福な家庭だけではなく貧しい家庭の女児も纏足をほどこされ、足の小ささを競ったという。
そのころの風潮はとても保守的で女性は外出せず、家にいて家事をするのが良いといったものだった。つまり長く遠いところまで歩く必要もないという訳である。
このような理由で纏足は長い間人々の習慣として引き継がれてきたが、言うまでもなく沢山の弊害をもたらすこととなる。
筆者の台湾人の友人は纏足を「現代でいうハイヒールだった」と言っている。
ハイヒールで歩くことは決して心地いいものではいが、現代でも美のために多くの女性はハイヒールを履く。
纏足もそう考えると少しは理解できるかもしれない。
纏足の美の条件と生まれた言葉
美しい纏足の条件は7つあった。
瘦(痩せてほっそりしていること)
小 (小さいこと)
尖(尖っていること)
彎(親指以外の指が綺麗に曲がっていること)
香(良い香りがすること)
軟(柔らかいこと)
正(形が真っ直ぐで美しいこと)
どれも達成する為には相当の痛みを伴ったことであろう。
「裏䳾布」とは纏足に使われた布だが、長さは最長で3m、幅は10cm、巻く時にただれや化膿を潰してしまうことから、子供たちはこう歌ってからかったという。
「老太婆的裏䳾布,又臭又長」(おばあちゃんの纏足布は臭くて長い)
纏足をしているかどうかは、女性のステータスであり、結婚の条件でもあった。
「婦人䳾大為恥,䳾小為榮」 (女性の大足は恥、女性の小足は誉れ)
纏足の女性は裕福な良い家庭に嫁ぐことができる。当時の風習がこの言葉に現れている。
「男子以讀書,女子以纏足與否」 (男は勉強ができるかどうか、女は纏足をしているかどうか)
纏足をしていない女性は「社会的」に論外であった。
「大䳾是婢,小䳾是娘」(大足は婢女「召使い」、小足はお嬢様)
このような当時の風習から、親もこの痛ましい「纏足」を子供に施すしかなかったのである。
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逃げれないようにするためでしょ
自分がたまたま目にして気に入ったたった一つの理由でひとつの文化が何百年も続くと思ってる人、乙です
立てるの❔