人から神になった男
インターネット上の書き込みを見ると、スポーツ選手やアーティスト、芸能人といった有名人に対する尊敬の意味を込めて「神」という言葉が使われる事が多々ある。
27年来のレッズサポである筆者もミスターレッズと呼ばれていた福田正博を子供の頃から神として尊敬しており、引退から20年近く経った今でも憧れの存在である。
ここまでは尊敬の対象として使われる「神」という言葉に対して自分の思い出を交えながら書いて来たが、世間一般では信仰の対象として使われる事が多い。
そして、筆者の推し武将である関羽も現代では関帝聖君(その他多数の呼び名あり)として信仰の対象になっている。
正史を見ても目立った実績のない関羽が何故神となったのだろうか。
今回は、関羽信仰の歴史を辿る。
関羽信仰の始まり
関羽信仰の起源は古く、8世紀の唐まで遡る。
782年、唐は太公望を「武成王」とした武成王廟を作り、古今の名将からともに祀られる64人の武将(武廟六十四将)が選ばれ、蜀からは関羽と張飛が選ばれた。
もっとも、この時は64人の名将の一人という扱いで厳密には信仰の対象ではなかった訳だが、宋の時代に入り内乱や戦争が起こると、国を守って貰うため、関羽に称号を与えるようになった。
関羽信仰の成立と神号
明の時代になると関羽の神格化は決定的なものとなり、三国志演義では「関羽」という名前は登場せず、敬意を払うため「関公」と呼ばれる特別扱いを受けていた。
また、関羽に神号を贈る流れは継続しており
「三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君」(万暦帝)
「三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君」(天啓帝)
「忠義神武関聖大帝」(順治帝)
「忠義神武霊佑関聖大帝」(乾隆帝)
「忠義神武霊佑仁勇関聖大帝」(嘉慶帝)
「忠義神武霊佑仁勇威顕関聖大帝」(道光帝)
と、歴代の明の皇帝から数々の神号が贈られた。
この手の称号は長いものほど高位であり、歴代の皇帝が競って神号を贈ったところに関羽の人気ぶりが見られる。
商売の神の仕掛人
ここまでは関羽が武神(軍神)として認知されるまでを書いて来たが、関羽信仰を語る上で欠かせないのは、関羽が「商売の神」となった理由だ。
尊敬の意味を込めて関羽を「軍神」と呼ぶ事は多々あるが、今日ではむしろ商売の神として知られている。
演義のイメージから信頼第一の商売に於いて決して裏切らない「義の象徴」として商売の神になった訳だが、どのように広がったのだろうか。
ここで関わって来るのが、関羽の出身地と塩である。
サラリー(salary)という言葉の語源にもなる通り、昔から塩は高級品であり、それは中国も例外ではなかった。
そして、中国最大の塩湖である解池がある解県は関羽の出身地としても知られている。
過去に何度も書いている通り、関羽には正史で大した記述が書かれていない。
関羽は本当に強かったのか?【活躍のどれが史実でどれが創作なのか】
https://kusanomido.com/study/history/chinese/sangoku/46527/
地元にいた頃の話も書かれておらず、どのようにして劉備や張飛と知り合ったのかも不明だが、謎の多い関羽の生涯は、故郷である山西省の商人にとって伝説を作るのに好都合だった。
劉備達と出会う前の関羽の動向は不明だが、解池から842.5キロも離れた涿州市まで逃れるのは何かあったとしか思えない。
塩の産地から逃げて来たという過去を考えると、関羽も塩の密売に関わっていたか、塩絡みの事件に巻き込まれた可能性が高いと考えるのが自然である。(塩の密売人を殺して涿郡まで逃げて来たという伝説もある)
関羽の過去に何があったのかは非常に気になるところだが、解県の塩商人からすると、地元の英雄であり、神格化されていた関羽を利用しない手はない。
軍神として崇められていた関羽は地元商人の守り神となり、演義の人物像から商売の神として売り出される事になった。
塩商人の影響力
商人の力によって商売の神となった関羽だが、この時代の商人の力はかなり強く、我々の想像する以上の影響力と役割を持っていた。
武将の活躍ばかりに注目していると見逃しがちだが、戦争には武器に防具、兵器に食料etcと、とにかく金が掛かる。
物資の調達には商人が必要であり、商人がいなければ軍が成り立たないといっても過言ではない。(余談だが、ゲームの『三國志13』では商人として勢力に介入して国を裏から操るルートが存在する)
少々大袈裟な話になったが、関羽を神とした商人は各地を渡り歩き、関羽信仰を広めて回った。
それと同時に関羽が算盤を発明したという伝説も広まった訳だが、それはさておき、1000年以上前に生きていた人間を商売の神にして、それを中国全土に関羽信仰を広め、関帝聖君を今日まで守って来た商人の力と役割は大きかった。
現在の関羽信仰
また、関羽信仰はアジアの他国にも広がり、日本、韓国、台湾、ベトナム、マレーシア、シンガポールといった広い範囲に関帝廟が存在する。日本では関羽の誕生日とされる旧暦6月24日に合わせて夏に「關帝誕」という大規模なイベントが行われる。
これまで横浜には一回しか行った事がないが、一度は関羽を尊敬する者として参加したいと思う。
すみません、「関羽信仰の始まり」にある「関羽と張飛」と注釈のある画像ですが、彼は周倉(もしくは周蒼)です。
関羽の青龍偃月刀を持って側に控えています。
修正させていただきました!ありがとうございます!