日本史

日本にも「異族」がいた?「まつろわぬ民」はどのような人々だったのか

「日本」は古来から、海に囲まれた島国として歴史を刻んできた。

日本の歴史上、まったく異なる文化や民族と領土と接する大陸のように、いわゆる「異民族との戦い」が長期間にわたって行われてきたようなことはないと理解されてきた。

しかしながら、「日本」という国が現在の日本地図と領域を同じくしていなかった時代には、いわゆる「まつろわぬ民」として、中央政権と対立してきた勢力があった。

これらは当初「異族」とされ、それらが討伐・平定されたあとには日本の一部となり、今日の日本国の領土の中にある。

この記事では、日本が歩んできた統治の歴史と、それに抵抗した地方の勢力について解説してみよう。

日本国内も統一されていなかった時代

まつろわぬ民
「日本」という国が現在の日本地図と同じ領域を支配したのは、歴史的に見れば意外にも最近のことである。

たとえば北海道の全域が日本人によって統治されるための行政機関が初めておかれたのは1885年(明治18年)のことで、このときは「函館県・札幌県・根室県」という3県が設けられていた(翌年には北海道庁として全道を管理することになる)。

また、目を南に向けると沖縄県はもともと「琉球」と呼ばれていたが、これが「沖縄県」と呼ばれることになったのは1879年のことで、このときまでは琉球の「」の位が存在した。

さらに歴史を遡り古代日本に目を向けると、「大和政権」は、中心地から離れるほど当然支配力は弱く、その地域が大和政権に下るまでは、各地の勢力は「日本」という領域・国家をイメージすることもなく、その地域を支配していたであろうことは想像に難くない。

「土蜘蛛」は妖怪?それとも「異族」のこと?

まつろわぬ民

源頼光土蜘蛛の妖怪を切る図

日本の中心を担った大和民族がその領域を広げるにあたり、当時はまず近隣諸国と「共立」を選んだ。いわゆる小勢力の連合政権といったものだろう。

このような状況は『魏志』倭人伝に見られ、当時の邪馬台国が周辺の小国と連合して統治組織を構成していた旨の記述がある。では、それに従わなかった豪族・勢力はというと、歴史の常ともいえる「討伐」を受けることとなった。こうした勢力は「土蜘蛛」と呼ばれた。一説によれば、「蜘蛛」の由来は、穴の中(横穴)に住んでいる様子からきているようだ。

さて、日本には「土蜘蛛」と呼ばれる妖怪伝説がある。おおむね巨大な蜘蛛で人々を食らう化け物といった性質を持ち、これを登場人物が倒して平和が得られるといった類の展開である。この「土蜘蛛」は、実は大和政権の支配に従わなかった勢力を指す「土蜘蛛」との関連性は「薄い」とされるが、たとえば能楽作品の「土蜘蛛」に登場する蜘蛛は、「君が代に障りを成さん」として頼光に近づいたというのが能楽作品としてのストーリーであるように、王土王民思想の現れと見られるものもある。

しかしながら、この能楽の元となった「平家物語」(剣巻)のエピソードでは、ただ単に頼光が瘧病に冒された原因が「山蜘蛛」(または土蜘蛛)という妖怪であり、その蜘蛛を切った刀を「蜘蛛切」と号したという話であって、蜘蛛は「君が代に~」という台詞がないばかりか、そもそも一言も発することなく出番を終えている。単に「奇怪なもの」の具現化として蜘蛛の姿の妖怪が創作されたエピソードが、当時の周辺勢力の征伐を語るにあたって利用された可能性はあるだろう。

すなわち、為政者側の正当性をもたせる目的や、「巨大な化け蜘蛛」を討伐させることで大和朝廷の権威付けをするという意図があって「土蜘蛛妖怪」の創作をした人物がいたかもしれないということだ。

「もののけ姫」にも登場、「蝦夷(エミシ)」と「アイヌ」

映画「もののけ姫」のアシタカは、森深い地域で自然とともに暮らし、日本人が当時使っていた太刀とは異なる刀(蕨手刀)を持ち、服装も生活習慣も異なっていた。

劇中で彼自身が「東と北の間」と出身地を明かしており、彼が日本から見て「蝦夷」と呼ばれる民族の出身であることが示唆されている。

アイヌ蝦夷の関係については様々な説があるが、当時の大和朝廷から見て関東・東北・北海道に至る一帯の勢力や住民を指して「蝦夷」と呼んでいたのであり、その中には今日では「アイヌ」と呼ばれる人々も含まれていたであろうが、必ずしも今日の「アイヌ」と同一の民族ではないだろうと推察できる。

「日本書紀」にみる蝦夷は、優れた狩猟技術と短弓を用いた弓術、そして騎射を得意としている記載が見られる。また、ヤマトタケルの東夷征討にあたっては、「山に登るときは飛ぶ鳥のように速く、草原を走るときは逃げる獣のように速い」と、当時の蝦夷の身体能力の高さを指摘している。

これらの特徴を見ると、「もののけ姫」のアシタカが容易に想起される。まさにイメージどおりの「蝦夷」が描かれたのであろう。

武人の象徴だった「隼人(ハヤト)」と「熊襲(クマソ)」

まつろわぬ民

熊襲の穴の門

日本の歴史に登場する「邪馬台国」には、現在に至るまでその場所がどこであったのかという論争がある。

主流となっている説は「九州」と「畿内」である。また、「九州で成立した邪馬台国が、機内に移動してヤマト政権を築いた」というものや、「邪馬台国が、畿内のヤマト政権に滅ぼされた」というものもあり、議論は複雑化している。

さて、その邪馬台国があったという説がある九州にも、当時「異族」とされた人々がいる。それが「隼人」「熊襲」と呼ばれる人々だ。「熊襲」と「隼人」は同じ人々を指しているという説もあるが、九州南部にヤマト政権に従わない部族が複数あり、それを総称して呼んだとする説や、熊襲が大和朝廷の支配下におかれるようになってから「隼人」と呼ばれるようになったという説もある。

「クマ」という名前だが、これは勇猛なるものの象徴であるとか、あるいは「球磨」の地名を指すとされる。また、「隼」は「ハヤブサのような」という意味だとする説と、「吠える人」という意味を持つのだという説もあるが、いずれも猛々しく勇ましいイメージだ。

現代でも、「薩摩隼人(さつまはやと)」として、鹿児島出身の男性に対して強く猛々しいイメージを語る際に使われる言葉だ。

ベトナムやインドネシアの人かも?「海人族(アマ・ワタツミ)」

まつろわぬ民

海人は、「あま」または「わたつみ」とよむ。漁を行う女性を指す「海女」や、沖縄の言葉である「うみんちゅ」とは異なる。

おもに海人族が活動したのは弥生前期時代と言われ、主に沿岸での海上輸送や航海、そして漁業を生業とした。この「海人族」の出自については多くの説があり、中国、朝鮮といった比較的日本と古くから関わりのある民族のほかにも、インドネシアやインド、ベトナムの人々が潮に乗って日本にやってきていたのではないかとする説もある。

龍や蛇といった対象への信仰があったとされる。龍といえば中国をイメージしやすいが、ほかにも太陽信仰や、鳥・鰐などへの信仰の形跡も見られることから、「海人族」と呼ばれる人々も複数の民族や地域から訪れた人々の集団であったのかもしれない。

ちなみに、海人族の征伐に関しては日本書紀に記載があり、「処処の海人、訕哤きて命に従はず」とあり、これに対して、「大浜宿禰を遣して、其の訕哤を平ぐ。」とある。特定の領域を支配しているわけではないと思われる海人族ではあったが、当時の日本の朝廷にとって、航海術や操船技術、そして漁業といった技術をもつ海人族を支配下におきたいという思惑があったことだろう。

海人族は紀伊国・淡路国などに存在していたようであるが、一部は隼人として九州にも定住したという説もあるようだ。

おわりに

まつろわぬ民

日本は古代から海で大陸と隔てられてきた。しかし、航海技術や操船技術の未熟だった古代から、現代で言うところの「外国」との交流は続いており、当然人の行き来もあっただろう。また、陸地についても、初期の大和民族の国家は日本列島の中でもごく限られた地域でしかなかった。

この記事であえてそうした「異族」とされた人々の出自がどこであるのか、それを掘り下げて日本が古来から単一民族国家であるのかを詳細に語る必要はないが、少なくとも当時の「ヤマト」から見て、「中心の外にあるもの」つまり、「まつろわぬ民」たちがいたことは間違いない。そうした人々の築いた文化や生活様式は、当然それぞれに異なったものであったろう。

こうした研究がさらに進めば、日本が「閉ざされた島国」ではなく、周囲との様々な関わりの中で築いてきた文化の起源や、周辺国との交流の歴史が今後さらに明らかになるかもしれない。

 

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