強きを挫いて弱きを助け、富める者から奪って貧しい者に分け与える。
そんな台湾の義賊伝説が元になったゲーム「TIAN DING 添丁の伝説」が令和3年(2021年)11月2日に発売されました。
本作は主人公の廖添丁(りょう てんてい)が悪徳商人や官憲を相手に暴れ回る冒険活劇(アクションゲーム)で、日本統治下(明治時代後期。20世紀初頭)の台湾が舞台となっています。
この廖添丁は実在の人物なのですが、いったいどんな活躍をしたのでしょうか。
今回はそんな廖添丁の生涯について調べ、紹介したいと思います。
苦しい境遇から、犯罪に手を染める
廖添丁は清(しん)王朝末期の光緒9年(1883年)5月21日、台湾道台湾府大肚上堡秀水庄(現:台中市)に住む漢族・廖江水(りょう こうすい)と王足(おう そく)の子として誕生しました。
光緒17年(1891年)に8歳で父を亡くし、母は再婚。継父の関係が上手くいかなかったのか、叔母に育てられることになります。
やがて12歳となった光緒21年(1895年)、日清戦争に敗れた清王朝は日本に対して台湾を割譲。ここに台湾道は台湾県となり、年号も明治28年(1895年)と変わりました。
このことが廖添丁のアイデンティティにどの程度影響を与えたかは定かではありませんが、ともあれ成長した廖添丁は苦力(クーリー。肉体労働者)となって鉄道建設や炭鉱業務に従事します。
働けど働けど、暮らしは依然苦しいまま……苦力とはよく言ったものですが、そんな生活に嫌気が差したのか、廖添丁は犯罪に手を染めるようになるのでした。
明治35年(1902年)、19歳となった廖添丁は3度にわたる窃盗の罪で逮捕され、懲役10カ月と15日の刑に処されます。
孤独で冴えない盗賊稼業
一人じゃ大した獲物も狙えない……そこで出獄から間もない明治37年(1904年)、21歳となった廖添丁は張福(ちょう ふく)と共謀してお茶商人の店へ強盗に入りました。
現代日本の感覚だとお茶屋さんなんてそれほど儲かるイメージもないと思いますが、当時から台湾のお茶は19世紀末からアメリカやイギリスに輸出されるブランドとして、大きな富をもたらしていたのです。
「やべぇ、サツだ!」
通報を受けて捕縛に駆けつけた警察と格闘になりますが、廖添丁は凶器の包丁で応戦していたところ、勢い余って張福に斬りつけてしまいます。
「ぎゃあ……っ!」
「あ、いけね」
痛みに苦しむ張福を見捨てて廖添丁は脱出。恐らく負傷によって動きの鈍った張福が警察に逮捕されたことで、包囲が薄くなって突破できたのでしょう。
「裏切り者ぉ……っ!」
しばらく潜伏していた廖添丁でしたが、翌明治38年(1905年)に再び強盗を企て、逮捕・投獄されてしまいました。
やっぱり一人じゃダメだ……でも、負傷した仲間を見捨てたことが江湖に知れ渡っていたのか、その後もケチな窃盗によって入出獄を繰り返したと言います。
更生の決意忘れて大暴れ
「看守さん、お世話になりました……」
「あぁ……お前もまだ若いんだから、これが最後のチャンスと思って、一から真面目にやり直せよ」
「はい……」
月日は過ぎて明治42年(1909年)3月8日、出獄した廖添丁は25歳になっていました。
苦力が嫌で飛び込んではみたけれど、アウトローの世界も楽じゃない……もう今度こそ、お天道様の下でまっとうに暮らすのだ……と思ったかはともかく、出獄してしばらくは大人しくしていた廖添丁でしたが、その忍耐も長くは続きませんでした。
7月21日に士林街(現:台北市)の茶商・王文長(おう ぶんちょう)を襲撃。続く8月19日には不適にも日新街(同)の派出所から銃と弾薬、サーベルを盗み出します。
「これで勝てる!」
と思ったか廖添丁は翌8月20日に大稲埕(現:台北市)の富豪・林本源(りん ほんげん)の襲撃を計画したものの、さすがに昨日の今日では警戒も厳重だったためか、やむなく退散しました。
こうして暴れ回る廖添丁の悪名が高まるにつれ、次第にその周りに集まる者が現れます。
「大哥(兄貴)、一生ついていきますぜ!」
しかし、その中には官憲の密偵も紛れ込んでいたようで、廖添丁は9月5日に陳良久(ちん りょうきゅう)を基隆(キールン)で射殺しました。
古来「類は友を呼ぶ」とのごとく、悪いことばかりしていればロクな友など集まらない……相も変わらず根無し草生活をしていた廖添丁は、貯えが尽きたのか11月4日に八里坌堡五股坑庄(現:新北市)の保正(庄屋)をしていた李紅(り こう)を襲撃。
「これでまた、しばらくは遊んで暮らせるな!」
戦利品をアジトに持ち帰った廖添丁たちでしたが、よほどの大金を独り占めしたかったのか、仲間の楊林(よう りん)に鍬で撲殺されてしまいます。
時に明治42年(1909年)11月19日、まだ26歳という若さでした。
死後に生まれた義賊伝説、台湾の国民的ヒーローに
「稀代の兇賊廖添丁の最期」
「絕代兇賊廖添丁之末日(比類なき兇賊・廖添丁最期の日)」
「積惡身亡(悪を積んで身を亡ぼす)」
「台湾日日新報」はじめメディアは廖添丁の死を大々的に報道。まさに「悪を積んで身を亡ぼす」人生の終幕に、人々は胸を撫で下ろしたことでしょう。
しかし、いつの時代も判官贔屓はいるもので、日本人の高松豊次郎(たかまつ とよじろう)が朝日座劇場で廖添丁を英雄視・義賊化した創作オペラ「遼天嶺」を上演。
廖添丁はLiào tiāndīng(リィァォ ティアンディン)、遼天嶺はLiáo tiān lǐng(リィァォ ティアンリン)、韻を踏みかつ「はるか(遼)なる天嶺」という壮大なロマンを感じさせるタイトルに、庶民人気も高まりました。
日本でも鼠小僧次郎吉(ねずみこぞう じろきち)がそうであるように、実態とはかけ離れた英雄・義賊扱いにあの世の本人も戸惑っていることでしょう。
やがて日本が大東亜戦争に敗れて台湾を去り、代わって国民党が台湾を統治するようになると、漢族であった廖添丁は「中華民族の誇りをかけて日本支配に抵抗した『抗日』英雄」として祀り上げられ、台湾の民間伝承を織り交ぜながら国民的ヒーローになっていきます。
現代でも映画やドラマ、コミックやゲームなど様々なメディアで活躍し、各地に廖添丁を祀る寺院があるなど、その人気は不動のようです。
ちなみにゲームの原題サブタイトル「稀代凶賊の最期(绝代凶贼的末路)」は当時の報道紙面からとられたものですが、果たしてゲームの廖添丁は、史実の通り孤独な最期を遂げるのか、それともハッピーエンドを迎えられるのか……どっちなんでしょうね。
※参考:
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