平安時代

天才仏師・運慶と源頼朝 「東大寺再建に挑んだ二人」

平安の天才仏師

平安時代の末期から鎌倉時代へと移り行く激動の中で、仏像を彫ることを生業とした1人の天才仏師が活躍した。

その名は運慶(うんけい)である。

運慶は日本史上最も有名なカリスマ仏師で、現存する運慶の作品はすべて国宝か重要文化財に指定されている。

当時、主流派と呼ばれた京都の円派や院派とは異なる、奈良仏師の棟梁の子として生まれた運慶は、それまでには無かった「リアリティ」を追求した。
鎌倉幕府初代将軍・源頼朝に認められた運慶は、平家によって焼かれたしまった東大寺の再建という一大プロジェクトに挑むことになる。

今回は天才仏師・運慶と源頼朝とのつながりについて解説する。

運慶とは

天才仏師・運慶と源頼朝

運慶

運慶は、奈良の興福寺を拠点に活躍した奈良仏師・康慶(こうけい)の息子として生まれたが、生い立ちなど詳細なことは分かってはいない。

飛鳥・奈良時代の仏像は、中国や朝鮮半島から渡って来た仏師を中心に造られ、平安時代中期に仏師・定朝(じょうちょう)が日本独自の仏像表現を生み出した。
それは絵画の様に彫が浅く、穏やかで荘厳な表情の仏像は「定朝様(じょうちょうよう)」として京都の円派と院派、そして奈良仏師に受け継がれていた。

その後、初めて定朝の血縁ではない奈良仏師の棟梁となったのが、運慶の父・康慶(こうけい)である。

平安時代末期の貴族は京都の円派と院派に仏像造りを依頼するため、奈良仏師は貴族からの依頼がないために弱小工房であった。
そのため奈良仏師は「定朝様」を受け継ぎながらも、それを独自に発展させ眼に水晶をはめる玉眼を使用するなど、自由な仏像表現を追求していったのである。

衝撃のデビュー作

父・康慶の指導のもと腕を上げた運慶が独り立ちしたのは20代半ばの頃、奈良・円成寺の「大日如来坐像」(国宝)が現存する最初の作品とされている。

天才仏師・運慶と源頼朝

円成寺大日如来像

この大日如来坐像は、当時の仏像とはまったく異なる衝撃のデビュー作と言われている。

それまでの「定朝様」とは異なり、まるで生きている人間のような「リアリティ」を追求した本作品は、11か月をかけて運慶1人で造ったとされている。
今までにはなかった細部に至るまでの繊細なもので、胸の張りなど立体的で表情や体つきがリアルに造られている。

「定朝様」にない自由な気風が受け継がれたこの作品は、巧みに彫り上げた衣のしわやあぐらをかいた足の重みまで計算されていた。

運慶は誰にも負けない匠の技を持っていたのだ。

東国武士をイメージした作品

天才仏師・運慶と源頼朝

源頼朝

この頃は源平合戦が行われ、平家を滅亡させた源頼朝が鎌倉に幕府を開いた激動の時代であった。

鎌倉幕府からの依頼を受けた同じ奈良仏師の成朝(せいちょう)が、頼朝の勝長寿院本尊阿弥陀如来像を造るために鎌倉に行った。
なぜ運慶ではなく成朝だったかというと、成朝の血筋が本家筋であったからだ。

その後、鎌倉幕府初代執権・北条時政が今までにはなかった武士の世を象徴するような作品を成朝に依頼したが、成朝にはその要望に応えるだけの腕がなく、運慶がその代わりを務めることになった。

出来上がった仏像を見た北条時政や源頼朝は、今までには無かった力強くて繊細な運慶の作品を一目で気に入った。
運慶は東国武士の持つ力強さをイメージし、それをあえて前面に出した。
かつ繊細な匠の技と独特な人間らしい「リアリティ」で高い評価を得たのである。

北条時政からの発注を機に運慶は鎌倉幕府お抱えの仏師となり、東国の仏像造りを手掛けるようになった。

東国には行かずに奈良で仏像を造ることも出来たはずだが、運慶は頼朝の依頼で7年間に渡って鎌倉で仏像を造り厚い信頼を得て「東国仏師」とも呼ばれ、この後、頼朝の依頼で運慶は一大プロジェクトに携わることになる。

東大寺の再建と最高傑作

治承4年(1180年)の平家の兵火(南都焼討)で奈良の町が火に包まれ、運慶のいた興福寺や仏教の殿堂でもある東大寺大仏殿なども焼失してしまう。
興福寺の再興造像には円派・院派と奈良仏師らが分担して行った。

仏教の象徴であった東大寺の再建は後白河法皇の命で行われており大仏は再造されたが、後白河法皇の崩御によって中断された。その後に東大寺の再建に動いたのが頼朝だった。頼朝は運慶と奈良仏師にその大役を任せた。

運慶は東大寺大仏の両脇侍像(如意輪観音・虚空蔵菩薩)と大仏殿四隅に安置する約14mに及ぶ四天王像の造立という大仕事に携わる。

運慶は父・康慶と共に虚空蔵菩薩像の大仏師を務め、四天王像のうち増長天の大仏師を担当し見事に造り上げた。
そして運慶の最高傑作となる東大寺南大門の金剛力士立像(仁王)を造ることになる。

天才仏師・運慶と源頼朝

東大寺木造金剛力士像

南大門の正面から見て門の左側には口を開いた阿形像、右側には口をへの字に結んだ吽形像が、東大寺南大門では阿吽が通常とは異なり左右逆になっており、門の内側に向かい合わせに安置されている。

阿形像を運慶と快慶、吽形像を定覚と湛慶が主に担当し、運慶は製作総指揮者として2体の全体を統括した。

建仁3年(1203年)7月に造立が始まり、わずか69日という驚異的なスピードで造り上げられた。
高さは8mを越え、約3,000ものパーツを造りそれを組み合わせている。

台頭した東国武士による新しい時代の開始を告げるかのような力強い造形と迫真的なリアリズムは、時代の息吹を敏感に感じ取った運慶とその一門の仏師たちの最高傑作となった。

おわりに

運慶が造ったとされる仏像のうち現存するものは31体あるとされている。
31体に追加して、興福寺南円堂の四天王立像4躯も運慶の作として35体とする説も有力である。

弱小工房であったために自由な仏像表現を許された運慶は、貴族の世から武士の世となったことをいち早く感じ取った。

それを仏像造りに活かし、東国武士の力強さに「リアリティ」を加えたことで天才仏師と呼ばれ、源頼朝の厚い信頼を得て東大寺の再建を見事成功に導いたのである。

 

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日本史が得意です。

コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2021年 5月 26日

    私は神社仏閣巡りが好きで、京都や奈良の仏像を多数見て京都の仏像の表情が柔らかく、逆に奈良の仏像の表情はリアルさがあると感じていました。
    実は東大寺南大門の阿吽像を見たことがありますが、今回のこの記事を読んで筋肉隆々の阿吽像の力強さは運慶が作りプロヂュースしたものだと知りました。
    京都と奈良の仏像の違いの謎がとけました。ありがとうございました。

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  2. アバター
    • 名無しさん
    • 2021年 5月 26日

    南都焼き討ちにの呪いによって平清盛は原因不明の高熱にかかったと言われている。
    そんなこともあって源頼朝は東大寺の再建に尽力し、運慶の力を借りて成し遂げたのですね。
    この記事はとてもためになりました。

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  3. アバター
    • 名無しさん
    • 2021年 5月 26日

    南都焼き討ちの祟りで平清盛が原因不明の高熱で亡くなった。
    だから、源頼朝が東大寺の再建に手を貸し、運慶はそれに応えたのですね。

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  4. アバター
    • 歴史大好きおじさん
    • 2021年 5月 26日

    南都焼き討ちの祟りによって平清盛は原因不明の高熱によって亡くなった。
    だから、源氏の棟梁・頼朝は運慶という天才仏師を使って東大寺を再建させたのですね。

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  5. アバター
    • 仏像大好きっ子
    • 2021年 5月 28日

    いつの時代にも天才と呼ばれる人物がいた。
    鎌倉時代初期の運慶は仏像造りに新しい風を吹かせたまさに天才の一人。
    尊敬しかないが、それを源氏の棟梁・源頼朝が認めたというのもロマンがある話ですね。

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