鎌倉時代

義時の死から北条時宗まで見届けた北条政村の40余年……篠目九葉「或る執権の話」読了【鎌倉殿後伝】

以前、鎌倉で開催された“限界鎌倉御家人オタクによる交流・ぷちぷち同人即売会企画「イザ鎌 IZA★KAMA」”を見学した際、頂いてきた同人誌を拝読しました。

今回はその中の一冊、篠目九葉「或る執権の話」を紹介(※)。鎌倉幕府の第7代執権・北条政村(ほうじょう まさむら)が主人公となっています。

「或る執権の話」果たして、この後ろ姿は政村か、それとも政村が追っている泰時の背中か。

果たして、どんなドラマが繰り広げられるのでしょうか。

(※)本作は基本的にフィクションという位置づけですが、本稿では作品のベースとなった史実などについてまとめています。

義時の後継者争い(伊賀氏の変)から二月騒動まで

マンガを詳しく紹介するのは難しいのですが、ざっくりストーリーを場面分けすると(1)伊賀氏の変(2)宝治合戦(3)執権就任(4)執権交代、そして二月騒動へ……と言った40年以上にわたる歳月を12ページに圧縮(※表紙から1ページとカウント)。

(1)伊賀氏の変

時は貞応3年(1224年)、鎌倉幕府の第2代執権・北条義時(よしとき)が急死すると後継者争いが勃発。

後継者の有力候補は、義時の長男だけど側室の子・北条泰時(やすとき)と、五男ではあるが嫡男の北条政村。

常識で考えればここは嫡男が継ぐべきですが、尼将軍こと北条政子(まさこ)のゴリ押しで泰時が勝利。

政村の母・伊賀氏(伊賀の方)とその一味は流罪となりますが流血沙汰≒戦さは避けられ、また怨みを残さぬよう泰時は政村兄弟を助けます。

泰時の機転と度量によって流血が避けられた鎌倉(イメージ)

政村(兄のやり方を次世代に伝えることが俺の役目-)

※本文より(以下、特に記載のない限り本作からの引用)

戦さのない鎌倉を創り守ろうとする泰時の態度に感銘を受けた政村は、母と死に別れたことも弟・北条実泰(さねやす)の自害未遂も怨まず、その精神を受け継ぐことを決意したのでした。

(2)宝治合戦

時は流れて宝治元年(1247年)。時の執権・北条時頼(ときより。泰時の孫)は三浦一族との武力衝突を避けるため奔走しますが、三浦にも北条にも理解してもらえません。

苦悩する時頼に、大叔父となった政村は厳しい言葉を投げかけます。

時頼「私は御爺様のように戦のない鎌倉を創りたいだけなのに」
政村「お前が思ってるほど甘いモンじゃねぇよ」「兄上も」「この鎌倉も」

※時頼の言う御爺様と、政村の言う兄上はどちらも泰時を指す。

結局戦さは避けられず、三浦一族を滅ぼした時頼ですが、これも泰時の精神を実現するためと腹をくくりました。

時頼「こうする他なかったとは思いたくありません」「でも これが祖父の見ていた世界なら」「私はもっと強くなりたい…!」

※時頼が泰時を呼ぶ表現が「御爺様」から「祖父」に代わり、ちょっと甘さが抜けた感じが出ていますね。

苦悩と葛藤を乗り越えた時頼の成長を、政村は満足げに見守るのでした。

(3)執権就任

月日は流れて文永元年(1264年。弘長4年)。かつて泰時に譲らざるを得なかった執権職が、40年越しで政村に回ってきました。

政村「もう40年も経ったんだな」

※恐らく物語のスタート時点からと推測されます。

そろそろ引退しようか……なんて甥の北条実時(さねとき。実泰の子)と軽口を叩いていた政村ですが、まだ14歳の北条時宗(ときむね。泰時の曾孫)が成長するまでの教育係として重い腰を上げるのでした。

(4)執権交代、そして二月騒動へ

かくして政村が執権となって4年が経った文永5年(1268年)。第8代執権に就任した北条時宗は、曾祖叔父の政村に重大決心を打ち明けます。

元寇を前に鎌倉と日本をまとめるため、反対派の粛清を決断する北条時宗。菊池容斎『前賢故実』より

異母兄・北条時輔(ときすけ。式部大夫)と、族叔祖父に当たる名越兄弟(泰時の弟・北条朝時の息子たち)=北条時章(ときあきら。尾張入道)と北条教時(のりとき。遠江守)を討伐しようと言うのです。

これには流石の政村も少なからずためらいを隠せませんが、元(モンゴル帝国)からの国書(臣従さもなくば全面戦争の選択)を突きつけられた以上、日本が一つにまとまるために(たとえ肉親であろうと、反対勢力の粛清殲滅を)決断せねばなりません。

政村「それが北条のため 鎌倉のため そして日本のためになるのなら…私はどんな協力も惜しみませんよ」

まだ18歳で実に頼もしい限り。時宗ならば鎌倉を力強くまとめ上げ、戦さのない世を実現してくれるかも知れない……そう確信しての同意でしょう。しかし。

(こいつは俺が死んだ後も鎌倉を固く束ねてくれるだろう)
(そんな安堵と共に何か取り返しのつかないことをしてしまったような底知れない不安に襲われた)

※セリフではなく、いわゆる心の声

ここで物語は裁ち切られ、果たして時宗は文永9年(1272年)。鎌倉で名越兄弟、京都で異母兄の時輔を討伐して反対勢力を粛清殲滅。鎌倉殿を擁する得宗家(義時・泰時の嫡流家系)の絶対専制をより強固なものとするのでした。

拝読した雑感

以上、ごくざっくりながらストーリーをたどってきました。

楽しく拝読して、とりあえず感じたことをまとめます。

一、伊賀氏の変・宝治合戦・二月騒動などに関する予備知識を少しでも作中で補足してあげて欲しい。

一、キャラクターが見分けにくい。髪型やトーンの模様など描き分けの工夫もあるが、より強調した方がいいかも。
※特にひとコマしか出ない人物については横に名前を書き添えてあげる(最悪、割愛・主要キャラとの統合)なども一案。

一、避けられなかった宝治合戦の戦闘シーンの描写にもうひと工夫欲しい(燃え盛る法華堂や乱戦など)。

一、全面にトーンを貼ったコマは回想の表現と思われるが、出来れば駒若丸(後の三浦光村)と北条時村(ときむら。政村の嫡男)の描写をもう少し手を入れて欲しい(友情?の育まれていた感の演出など。セリフ一つでも違いそう)。

……などなど。とりとめもなく言ってみたものの、偉大なる泰時の精神を受け継ごうと葛藤し、時頼・時宗を見守りながら老成していく政村の様子が活き活きと描かれていました。

終わりに

『義烈百人一首』より北条政村。和歌に巧みだったという。

最後に紹介されていた政村の和歌もいいですね。

けふまでは うきもつらきも 忍びきぬ
猶世をしたふ 心よわさに

※『新拾遺和歌集』

【意訳】今日までずっと、憂さも辛さも耐えて来たのは、俗世を捨て切れぬ未練ゆえだ。
※意訳は筆者による。

かつて執権への道を閉ざされ、しかし泰時の偉大な精神を受け継ぎ、4代経時・5代時頼・6代長時そして8代時宗と歴代執権に薫陶を与え続けた長老・政村。

40数年の長きにわたる彼の苦悩と葛藤を支え続けたのは、ひとえに鎌倉を思う志、その詠むところの「猶世をしたふ心よわさ」ゆえだったのでしょう。

そんな政村の魅力を伝える1冊として、大変興味深く拝読いたしました。今後ますますのご活躍を祈念致します。

※参考資料:

  • 篠目九葉「或る執権の話」2022年7月
  • 北条氏研究会 編『北条氏系譜人名辞典』新人物往来社、2001年6月
  • 菊池紳一 監修『鎌倉北条氏人名辞典』勉誠出版、2019年10月
  • 野口実 編『図説 鎌倉北条氏』戎光祥出版、2021年9月
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角田晶生(つのだ あきお)

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