平安時代

兄嫁だって構わない!頼朝がゲットしそびれた第4の女?祥寿姫のエピソード【鎌倉殿の13人】

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」、皆さんも観ていますか?

初めての妻・八重姫(演:新垣結衣)から北条政子(演:小池栄子)に乗り換えたと思ったら、今度は第3の女・(演:江口のりこ)にも触手をのばす性欲旺盛な源頼朝(演:大泉洋)。

頼朝の浮気に激怒する政子(イメージ)

「まぁ、性欲は生命力に比例しますから、天に守られている佐殿らしいと言えば言えなくも……ゴホン」なんて、安達盛長(演:野添義弘)あたりが苦しいフォローを入れそうな気がします(もちろんフィクションです)。

その浮気が後に鎌倉政権の分裂危機を招くことになるのですが(亀の前事件)、実は亀と浮気していた同時期に、第4の女にも手を出しかけていました。

彼女は御家人・新田義重(にった よししげ)の娘である祥寿姫(しょうじゅひめ)。どのようにして頼朝の毒牙を逃れたのでしょうか。

政子の嫉妬を恐れるあまり……

祥寿姫は生年不詳、幼くして頼朝の異母兄・源義平(みなもとの よしひら)に嫁ぎます。

悪いヤツほどよく眠る……豪胆な源義平。菊池容斎『前賢故実』より

義平はその強さから悪源太(あくげんた。にくらしいほど強い源氏の長男)と呼ばれた豪傑ですが、平治の乱に敗れ謀叛人として処刑されてしまいました。

早くも未亡人となってしまった祥寿姫は永らく独身で過ごしたようですが、謀叛人の未亡人など引き取りたい物好きはいなかったのでしょう。

それから歳月は流れて治承4年(1180年)8月、義平の異母弟で「源氏の嫡流」を自称する頼朝が挙兵した時、源氏一族である父・義重にも当然誘いがありました。

……が、伊豆の片田舎で半ば自暴自棄気味に挙兵した頼朝に、勝ち目があるとも思えません。

加勢すべきか否か迷っている内、月日は流れて12月。ようやく鎌倉へ馳せ参じたものの「遅すぎだバカ者!」と大目玉を食らいます。

「まぁ、それはそうとして……」

「は?」

月日は流れて寿永元年(1182年)、頼朝は御家人の伏見広綱(ふしみ ひろつな)に命じて祥寿姫に艶書(えんしょ。ラブレター)を送っていました。

兄の未亡人?そんなの関係ないし、むしろその方がお好みだったのかも知れません。

「俺は兄嫁だって未亡人だって構わず食っちまう男なんだぜ!」

しかし祥寿姫は頼朝の正室・政子の嫉妬深さを知っており、トラブルに巻き込まれてはたまらないとアプローチを断ります。

「何だよ、どいつもこいつも政子なんか恐がりおって(まぁ、自分も怖いけど)……よし、父親から説得させよう!」

と言う訳で頼朝は権力を振りかざし、義重に祥寿姫の説得を命じました。

「……以前、挙兵に遅参した借りを、そなたはいつ返してくれるのかのぅ?」

「何とかします!」

頼朝からの要請に悩む新田義重。菊池容斎『前賢故実』より

とその場を切り抜けた義重でしたが、やはり政子の悋気は怖しい……よし。娘のためなら、この父があえて汚名を受けよう!

「姫よ、そなたを師六郎(もろの ろくろう)に嫁がせる!」

「父上……申し訳ございませぬ!」

師六郎は詳細不明ですが、新田の本拠地が上野国(現:群馬県)であることから、地元の豪族と考えられます。

※現代の群馬県利根郡みなかみ町の大字「師田(もろだ)」に関係している可能性も。

かくして頼朝の毒牙を逃れた祥寿姫ですが、それを知った頼朝が「ハイそうですか」と引き下がる筈もありません。言うまでもなく大激怒です。

「貴様……ただで済むと思うなよ!」

「申し開きようもございませぬ!煮るなり焼くなりご存分になされませ……!」

可愛い娘を守るためなら、もはや命も惜しまぬ……とは言いつつガクブルしながら処分を待っていたところ、同年11月に「亀の前事件」が発生。

鎌倉じゅうがてんやわんやの大騒ぎになったドサクサか、義重に対する処分はなかったようです。

エピローグ

壽永元年七月大十四日壬午。新田冠者義重主蒙御氣色。是彼息女者。惡源太殿 武衛舎兄 後室也。而武衛。此間以伏見冠者廣綱。潜雖被通御艶書。更無御許容氣之間。直被仰父主之處。義重元自於事依廻思慮。憚御臺所御後聞。俄以令嫁件女子於師六郎□□之故也。

※『吾妻鏡』寿永元年(1182年)7月14日条より

【意訳】新田義重が頼朝の怒りを買った。彼の娘は悪源太の未亡人である。前に伏見広綱に艶書を送らせたが受け入れられず、父親から説得させようとした。しかし政子の嫉妬が恐ろしく、あわてて師六郎某(なにがし)に嫁がせてしまった。それで頼朝が怒ったのである。

……ちなみに祥寿姫という名前は彼女が眠る曹源寺の伝承によるもので、『吾妻鏡』では単に義重の娘として扱われています。

この件によって新田氏は冷遇され、師六郎に嫁いだ祥寿姫は数年後に亡くなりました。義重は文治3年(1187年)、姫の菩提を弔うために六角堂を建立、これが曹源寺の起源なのだとか。

義重は十数年後の建仁2年(1202年)1月14日に亡くなっているため、父に先立ってしまったことになります。

政子の嫉妬から逃れられたことがせめてもの救い。師六郎との結婚生活が、少しでも幸せであったことを願うばかりです。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」には……たぶん登場しないでしょうね。ただでさえヒロインが多くて火花を散らしているのに、これ以上増えたらまさにカオス。

さすがに登場しません……よね?ね?

※参考文献:

  • 久保田純一『新田義重 北関東の治承・寿永内乱』戎光祥出版、2013年11月
  • 五味文彦ら編『現代語訳 吾妻鏡 1 頼朝の挙兵』吉川弘文館、2007年11月
角田晶生(つのだ あきお)

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