南北朝時代

お役所仕事を合理化!日本「三大悪人」高師直が導入した新システム「執事施行状」

日本史上に残る三大悪人と言えば、鎌倉幕府の御家人・梶原景時(かじわらの かげとき)、足利将軍を暗殺した松永久秀(まつなが ひさひで)、そして南北朝時代に活躍した高師直(こうの もろなお)が有名ですね(諸説あり)。

室町幕府の初代将軍・足利尊氏(あしかが たかうじ)の執事として重用された高師直は、権勢に驕った野卑で粗暴な人物として描かれています。

伝・高師直騎馬像。Wikipediaより

しかしそのイメージは軍記物語『太平記(たいへいき)』の影響によるところが大きく、実際には先進的な政治システムの導入など高い実務能力を示していました。

今回はその代表的な一つ「執事施行状(しつじしぎょうじょう)」を紹介したいと思います。

恩賞の土地がより確実に

将軍「そなたにドコソコの土地を与える」

御家人「ははあ、有り難き仕合わせにございまする」

……源頼朝(みなもとの よりとも)公以来、臣下の各種「奉公」に対して主君が領地や財物などの恩賞すなわち「御恩」で報いる君臣の絆(封建制度)が武士の世を支えて来たことは、歴史の授業でご記憶のことと思います。

しかし、鎌倉幕府における領地の授与は「与える」と言うだけ、つまり「将軍(後に執権)様のお墨付き」すなわち土地を得る大義名分を与えるだけでした。

これはつまり、例えば

「そなたにドコソコの土地を与える……が、現地がどうなっているかは判らないから、もし誰かが不法占拠しておった場合は、自力で追い出すなり、何とかせよ」

ということで、実際に土地を確保するまで安心できない、確保できなければ泣き寝入りか訴訟です(その訴訟にしても、司法が公正中立とは限らない時代です)。

こうした事態は世が乱れるにつれて深刻化し、恩賞に対する信頼すなわち主君の権威が脅かされるようになりました。

「恩賞として土地を与える……が、その確保は自分でするように」

「いくら土地をくれると言っても、実際に手に入るまでは安心できない!」

御恩があてにならないと思われてしまったら、御家人たちからの奉公も期待できなくなり、主従関係が崩壊してしまう……それを危惧した高師直は、主君が与えた土地について、その権利を守護が保証するシステムを考案。

要するに「万が一不法占拠されていた場合は、守護が力づくでも奪還して確実に与える」ことを約束。この強制執行を沙汰付(さたしつけ)と言い、これによって勢力の弱い御家人であっても、確実に土地を拝領できる安心感が生まれました。

その約束状を執事が発給したため執事施行状と呼ばれましたが、読み方が「せこう」「せぎょう」でなく「しぎょう」なのは、貧しい人々への施しと勘違いしないためだそうです(確かに「土地を恵んでやる」などと言われたら、やる気をなくしてしまいますよね)。

また、この執事施行状は土地を与える当人だけでなく現地の守護にも写しを渡したため、現地で土地の管理をしやすくなり、うっかり間違えて「同じ土地を複数名に与えてしまう」トラブルも防ぎやすくなったと言います。

建武の新政からアイディアを改良

後醍醐天皇。Wikipediaより

ちなみにこのシステムは完全なオリジナルではなく、後醍醐天皇(ごだいごてんのう)が主導した建武の新政(正慶2・1333年~建武3・1336年)において導入された「雑訴決断所牒(ざっそけつだんじょちょう)」を元にしたもので、高師直がこの雑訴決断所に勤めていた経験から改良を思いついたそうです。

雑訴決断所牒の発給には天皇陛下の綸旨(りんじ。命令)を受けてから30日以内に関連資料を添付して申請書類の審査を受ける必要があり、また取得後も現地における名目上の支配者である国司と、実質的な支配者である守護の双方に届出をしなければならず、その手続きは非常に面倒でした。

何だか現代にも通じる日本のお役所仕事と言った感じで、不正がないようしっかりとチェックする目的があったとは言え、あまりに理想的すぎて現実社会には即していなかったようです。

これを高師直は大幅に簡略化、場合によっては将軍の下文(くだしぶみ。命令書)のみで執事施行状を発給し、担当部署も守護に一本化。実務のスピードが格段に向上したと言います。

エピローグ・保守派との対立

こうした改革によって「恩賞の土地を確実に与えてくれる」足利尊氏の求心力を高め、その勢力基盤を固めると共に、高師直の影響力も強まっていきました。

しかしそれは朝廷の権威を相対的に軽んじることにもつながってしまい、保守的だった尊氏の弟・足利直義(ただよし)らと対立。

足利直義。Wikipediaより

「兄者の権力は、あくまでも朝廷の権威を奉戴することによって成り立つもの。それを軽んじることがあってはならぬ!」

かくして保守派と急進派で争い(観応の擾乱。観応元・1350年~正平7・1352年)が勃発、政争に敗れた高師直らは滅ぼされ、「負ければ賊軍」とばかりにあることないこと悪名をかぶせられてしまったのでした。

現代であれば間違いなく支持を得られたであろう行政手続きの合理化ですが、高師直の実績が認められるには、まだ時代が早すぎたのかも知れませんね。

※参考文献:

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角田晶生(つのだ あきお)

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