戦国時代

平安時代に活躍した「陰陽師」 〜戦国時代以降どうなった?

陰陽師

平安時代には、安倍晴明蘆屋道満などの名だたる陰陽師が存在していました。

しかし1500年代に入ると、陰陽道にまつわる人々の名前は全く聞こえてきません。陰陽師はいなくなってしまったのでしょうか?

今回は、戦国時代以降の陰陽師について掘り下げていきたいと思います。

戦国時代の陰陽師の立ち位置は微妙

陰陽師

平安時代には、国の運営機関の一つとして『陰陽寮』が存在し、国家の運営にも関わる権力を持っていました。

しかし、元寇が終結し1500年代に入ると、本格的な武士の時代が到来し、これらの権威や権力はかなり削がれ、その影響力は大幅に低下しました。

武士たちは陰陽師の知識を、自らの策を決定する際の参考として利用していましたが、陰陽師は平安時代のように大きな権力を持つことはできませんでした。

それでも、陰陽師が完全に廃れたわけではありません。
名だたる武家の中には、陰陽師ではなくとも陰陽道の知識を持つ者が身近にいたという記録が残っています。

平安時代と比べると廃れてしまった理由は?

なぜ平安時代と比べて陰陽師がここまで衰退してしまったのかを見ていきましょう。これには複合的な理由があり、それらが絡み合ってこのような状況が形成されたのです。簡単にまとめると以下の通りです。

① 時代の流れにより、かつては妖怪や怨霊の仕業とされていた事象がある程度解明され、陰陽師への依存が減少したため。

② 安倍晴明の直系である土御門家が陰陽師の力を独占しすぎた結果、陰陽師の普及が妨げられたことが影響。

③ 武力で問題を解決できる時代になった。

これらの要因が大きな理由と考えられます。それぞれを詳しく解説していきましょう。

陰陽師の役割が低下

これは現代の日本を見てもわかりやすいでしょう。かつては『神の御業』や『奇蹟』、『魔術』と呼ばれていた出来事が、現代では科学、物理学などの知識によって解明されるようになりました。

現代ほどでは極端ではありませんが、戦国時代でも似たような現象が起こったと考えられます。

陰陽師たちは、かつては妖怪や祟り、呪い、怨霊などの存在を解釈して対処してきましたが、戦国時代には武士たちによって否定されることが多くなりました。その結果、陰陽師の力が平安時代と比べて低下したと考えられます。

土御門家の陰陽師独占

安倍晴明の一族である『安倍家』は後に名前を変えて『土御門家(つちみかどけ)』になりました。『土御門家』の血筋はその後も途絶えることなく政治を支える立場にありました。

そして、ライバルであった『加茂家』は『勘解由小路家』と改名後、直系が殺害されてしまったために後継者が途絶えてしまったのです。

その結果、政治に携わる陰陽師のほとんどが土御門家に集中し、陰陽師は一家独占状態が長期間続きました。競争相手がいない状況下で土御門家は徐々に衰退していったのです。同時に陰陽師も衰退していきました。

武力で解決できる時代になったため

武士の時代は武力こそ至上であり、祈祷や占いは二の次となりました。

その大きかきっかけとなったのが元寇です。

元寇では多くの陰陽師が祈祷や呪術などで日本の窮地を救おうとしましたが、対馬、壱岐、肥前など日本の被害は大きかったのです。

まさに陰陽道的な台風によって勝利がもたらされたとされていますが、最前線で戦った者たちは、陰陽師に頼るよりも武器を取るという現実的な考え方に切り替わる大きなきっかけとなったのです。

それでも武士の周りに陰陽師はいた?

このように、戦国時代では陰陽師が廃れていきましたが、それでも武士たちの周りには陰陽師が存在したとされています。正確には、占いができる人物が近くにいたと言った方が適切でしょう。

というのも、戦国時代は些細なミスが命取りになる時代であり、願掛け文化が非常に根付いていたからです。その願掛けの中には陰陽道から来る占いも含まれていました。武士たちは、陰陽術の知識を持つ人々が「○○だから吉!」と告げれば、行動しやすかったのです。

また、豊臣秀吉が天下を取っていた時代には、陰陽師の頭領である『陰陽頭』と呼ばれる役職が存在したことがわかっています。
『陰陽頭』の地位には、土御門家の人物が就いていました。

しかし、有名な秀次切腹事件において、彼らは『秀次の謀反に陰陽術を使った』として流罪に処されました。

他に有名なのが徳川家康で、彼のご先祖の中には陰陽師がいたと言われています。そのため、家康は土御門家を復興し、陰陽師復興のために精力的に活動しました。

また、江戸の街作りには陰陽道に関連する『風水』や『五行』の考え方を取り入れ、陰陽道に詳しい人材をアドバイザーとして採用しました。

最後に

平安時代以降、印象が薄くなった陰陽師ですが、彼らは大きな力を持たなくなったというだけで存在し続けていました。

現代でも「占い」が絶えていないように、いつの時代においても人は「説明できない不思議な力」に畏怖し続けるのでしょう。

参考 : 陰陽の日本史

 

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草の実堂編集部

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