日本史

『歴史に消えた製法』古代ローマと日本に存在した「幻の加工食品」

画像 : チーズは紀元前より作られている加工食品の一つである pixabay cc0

太古の人類は、狩猟で得た獣肉や採取した木の実を、生のまま食べていた。

やがて火の使用を覚えたことで、腹を壊さずに安全に食材を摂取する手段、すなわち調理という技術が成立した。

これによって食の幅は大きく広がり、やがて食そのものが文化として発展していった。

一方、乾燥地帯や寒冷地など、慢性的に食料不足に陥りやすい地域では、限られた食材を長く保存するために加工技術が発達した。

燻製や干物はその代表格であり、太古より受け継がれてきた加工食品といえる。

しかし長い歴史の中には、次第に作られなくなったり、製造方法そのものが失われてしまった食品も少なくない。

今回は、そうした忘れられた古代の加工食品について見ていきたい。

古代ローマの加工食品

画像 : ガルム瓶の絵図 wiki c Claus Ableiter

ローマ帝国といえば古代において、群を抜いて近代的な国家であったことは疑いようがなく、それは多様な食文化にも表れている。

広大な領地に住む人々の腹を満たすため、食品の保存技術は発達を極めており、独自のユニークな食文化が形成されていた。

古代ローマを代表する加工食品の一つに、ガルム(garum)が挙げられる。

サバやイワシなどの内臓を塩水につけ発酵させ、染み出た液体を抽出して作る、いわゆる魚醤のようなものであった。

ガルムは栄養価が高く、多くの病気に効能があると信じられていた。
特に原料や熟成法にこだわった高級品は高値で取引され、ワインや香水と並ぶ富裕層の象徴でもあった。

古代ローマ料理書『アピキウス』には、さまざまな料理にガルムを加える指示が記されている。

ガルムはローマ人にとって日常的な調味料であり、現代日本における味噌や醤油に相当する存在であったと考えられる。

ガルム製造はローマ帝国の主要産業の一つとして発展し、帝国の繁栄にも寄与した。
しかし帝国崩壊後、西方世界では次第に姿を消し、古代の製法は失われたとされる。

近年では当時のレシピをもとに復元が試みられ、実際に商品化される例も見られる。

ガルムは広く用いられた調味料であったが、庶民以下の貧困層にとっては容易に手が出る価格ではなかった。

そのため、彼らはガルムを抽出した後に残るアッレク(allec)と呼ばれる固形残渣を食していたとされる。

また、奴隷や兵士など低所得の肉体労働者は、酢と水を混ぜただけの安価な飲料ポスカ(Posca)を常飲していた。

画像 : ポスカ wiki c Allyson Batis

酸味が強くそのままでは飲みにくいため、通常はハーブで香り付けをしていたという。

新約聖書には、酸いぶどう酒を含ませた海綿がイエスの口に差し出されたと記されており、これがローマ兵の飲んでいたポスカであったとする説もある。

神託のワイン

ローマといえば、ワインの名産地としても名高い。

古代ローマ人が好んで飲んだ銘柄の一つに、ファレルヌム(Falernum)が挙げられる。

ファレルヌムはアルコール度数が15%近くに達したとされる、かなり強い白ワインであった。

博物学者ガイウス・プリニウス・セクンドゥス(23~79年)は著作『博物誌』において、「火を当てると燃える」などと記しており、その烈しさを物語っている。

このファレルヌムには、次のような伝説が残されている。

画像 : 酒の神バッカス 同じく酒の神であるリベルと同一視された public domain

(意訳・要約)

かつてマッシコという山に、ファレルノという老人が住んでいた。

ある日ファレルノの元に、謎の男が訪ねてきた。
ファレルノはワインすら買えない貧しい老人であったが、この謎の男を怪しむこともなく、持てる限りの財力で盛大にもてなした。

謎の男はファレルノの心意気に甚く感動し、差し出されたミルクを摩訶不思議な力でワインへと変えた。

そう、彼はワインの神リベル(またの名をバッカス)の化身だったのだ。

リベルはマッシコ山全体をブドウ畑へと変え、以来この地はワインの名産地となった。

ファレルヌムもまた、ローマ滅亡とともに製法消滅の憂き目にあったが、やはり現代人による再現が試みられている。

日本における謎の加工食品

画像 : 蘇の再現品 写真AC cc0

日本は自然災害が多い国である。

地震や台風によって農作物が壊滅することも珍しくなく、食料の保存や加工技術の発展は必然であった。

味噌や漬物、魚の干物など、現代においても庶民の食卓を支える保存食品は少なくないが、長い歴史の中でその製法が失われたものも多い。

飛鳥から平安時代にかけての文献には、(そ)という謎めいた食材がしばしば登場する。

貴族だけが口にできた高級食品であり、保存性の高い固形乳製品であったと考えられている。

『延喜式』には、生乳1斗(約18L)を煮詰めて1升(約1.8L)の蘇を得ると記されている。

牛乳を長時間加熱して濃縮した食品であったと推測されるが、加熱時間や工程の詳細は不明であり、当時の味や食感を完全に再現することは困難とされる。

画像 : 醍醐を味わう古代日本人 草の実堂作成(AI)

もう一つ、牛乳から作られる食材に醍醐(だいご)が知られている。

『大般涅槃経』には「乳→酪→生蘇→熟蘇→醍醐」という乳製品の精製過程が説かれており、醍醐はその最上位に置かれている。

日本では、蘇をさらに精製した油脂に近い乳製品であったと考えられるが、具体的な温度や工程の詳細は伝わっておらず、完全な再現は難しいとされる。

まさしく、歴史の中に消えた幻の食品である。

かつて人々の暮らしを支え、特別な価値を持った食材は、今なお私たちの想像力を刺激し続けている。

失われた味を追い求める試みは、過去への憧れであると同時に、食文化を未来へとつなぐ営みでもあるだろう。

参考 :『アピキウス』『新約聖書』『博物誌』『大般涅槃経』他
文 / 草の実堂編集部

草の実堂編集部

投稿者の記事一覧

草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く
Audible で聴く

コメント

    • 名無しさん
    • 2025年 12月 06日 9:05am

    醍醐は今ならモンゴルの羊の乳を団子状にされた物がいちばん近いものであると思われる
    鼻の曲がるようなかほりと濃厚な味であると思われている
    現代日本人には食すのは難しい代物でしょうね

    よく使われる醍醐味とはそこからきているのを知ってる人がどのくらい居るのだろうか?

    0 1
    0%
    100%
    • 七志
    • 2025年 12月 06日 2:23pm

    「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と詠んだ藤原道長は、醍醐が大好物でそればかり食べた結果、飲水病(糖尿病)を患ったようです。平均的な栄養摂取量が少ない当時、生活習慣が原因で糖尿病になったのは、彼ぐらいではなかったかなと思います。

    1 0
    100%
    0%
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. みかんの白いすじ について調べてみた
  2. 体のエンジンをしっかり回す食品【疲れない体を作ろう】
  3. 戦国時代の驚くべき裁判方法~ 湯起請と火起請とは 【焼けた鉄を長…
  4. 失敗や偶然から生まれた大ヒット商品 「柿の種、とんこつラーメン、…
  5. 東京ドーム移転のはなしも? 東京ドームシティ周辺おすすめスポット…
  6. 本当は怖い日本昔話 【桃太郎は捨てられて流された子だった?】
  7. つけ麺の歴史と「東京のつけ麺」10選
  8. 明治・大正時代の洋菓子について調べてみた

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

奈良の名僧、若き僧侶への嫉妬で地獄行き「なぜあいつばかり…!」

元興寺とは元興寺(がんごうじ)は「古都・奈良の文化財」の一つとして世界文化遺産に登録され…

伊勢と日向 ~戦艦と航空母艦のまさかのハイブリッド航空戦艦

航空戦艦と呼ばれた軍艦「伊勢」と「日向」は大日本帝国海軍によって建造された伊勢型戦艦の1…

【死罪のほうがマシ?】江戸時代の過酷すぎる牢暮らしとは ~脱獄や自害した知識人たち

数多くの時代劇に登場する「伝馬町牢屋敷(てんまちょうろうやしき)」。江戸時代に実在し…

三島由紀夫と盾の会 【大作家の割腹自決】

大作家の割腹自決三島由紀夫(みしまゆきお)は、昭和を代表する作家として誰もが知る存在では…

色々な「サラダの種類」について調べてみた

サラダが「ダイエットや健康のために仕方なく食べるもの」から「美味しくて種類も多く、写真栄えもする」と…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(週間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP