「今日は何年の何月何日ですか?」と聞かれたらあなたはなんと返答するだろうか。
または「あなたの生年月日を教えてください」と言われたらどうだろうか。
「20××年×月×日です」と答える人もいれば「昭和○○年の○月○日です」と答えることもあるだろう。
我々日本人は年号を言うときに西暦を使ったり,和暦を使ったり,時と場合に応じて使い分けているが「○月○日」の部分は変わることはないだろう。
この「○月○日」を定めている暦法だが,現在日本を含めた多くの地域で採用されている暦法が「グレゴリオ歴」である。
このグレゴリオ暦と,グレゴリオ暦が採用される前にヨーロッパ圏で広く使用されていた「ユリウス暦」についてまとめてみた。
1500年続いたユリウス暦
ユリウス暦は紀元前45年にローマのユリウス・カエサルが制定した。
その前は太陰暦(月の満ち欠け周期をもとに作られた暦法。)が使われていたが,暦と実際の季節にだんだんとずれが生じてきたため,カエサルはエジプトの太陽暦をベースに新たな暦を作ったのである。
ユリウス暦のルールは以下の通り。
・1年を365日とし,12の月で区切る
・4年に一度うるう年を設け,その年は366日とする
基本的なところは現在のグレゴリオ暦と変わらない。
このユリウス暦はヨーロッパの多くで使われることとなり,カトリック圏のほとんどが採用した。
325年のニケーア公会議では,キリスト教の重要な行事である復活祭(イエス・キリストが十字架にかけられて死んだあと,3日目に復活したことを記念した日。イースターとも呼ばれる。)の日付について以下のように決定された。
「春分日であるユリウス暦3月21日の後の最初の満月の次の日曜日」を復活祭とする。
ユリウス暦による誤差
ユリウス暦は太陰暦に比べれば実際の季節との誤差が少なく,紀元前当時の精度としては悪くなかった。
ユリウス暦では1年間の日数の平均は365日と6時間(4年に一度のうるう年があるため)であったが,実際に地球が太陽の周りを一周する時間は365日と5時間48分45.179秒であるため,毎年11分ちょっと長いのである。
別に10分やそこら違くたって別になんの支障もないだろうと思ってしまう。
実際にひと一人が一生の中で感じるずれなど,当時の寿命を思えば数時間でありなんの支障もなかったのだが,それが100年…1000年となってくると話は変わる。
1582年には,塵も積もったそのずれは12日となった。
これでも,まあ半月でしょ?と思わなくもないのだが,キリスト教会としてはとても無視できるずれではなくなっていた。
ニケーア公会議で決定した,キリスト教で最も重要な復活祭は春分日を基準に決められている。
そんな重要な日が半月もずれていたら大変なのである。
そこで時のローマ教皇グレゴリウス13世が新たな暦法を採用することとなった。
グレゴリオ暦
グレゴリオ暦のルールは以下のとおりである。
・1年を365日とし,12の月で区切る
・4年に一度うるう年を設け,その年は366日とする
・ただし西暦年が100で割り切れるが400では割り切れない年はうるう年としない
3つ目のルールを追加することにより,一年の平均は365日と5時間49分12秒となり,実際の周期とかなり近くなったのである。
ユリウス暦では1日のずれが生じるまでに128年ほどしかかからなかったのに対して、グレゴリオ暦では同じく1日のずれが生じるまでに3221年ほどを要するまでに精度が高まった。
一万年経っても3日しかずれないのであれば,おそらくもう問題はないだろう。
ちなみに1500年ほどでずれた12日は,1582年10月4日の翌日を10月15日とすることで帳尻を合わせた。
グレゴリオ暦の導入
ローマ教皇によって改暦されたグレゴリオ暦だが,当時は宗教改革の真っただ中。
カトリックの最高権力者が制定した暦法には従わないとする地域は多かった。
1582年にローマ教皇の制定通りに改暦したのはカトリック信奉国であったイタリア,スペイン,ポルトガル,ポーランド,フランスくらいであった。
他のカトリック国も数年のうちに改暦を果たしたが,プロテスタント国は1700年代まで導入が遅れた。
「プロテスタントは教皇と仲良くなるくらいなら太陽と不仲になる方がまし」という言葉も残っている。
また正教会のように今現在でもグレゴリオ暦を使用していない地域はいくつもある。
ちなみに日本は明治の初めにグレゴリオ暦が導入され,それ以前は太陰暦が使用されていた。
所謂「旧暦」というやつである。
日本人であるあなたの誕生日が「その日」であるのは,実は結構最近決まった話なのである。
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