過去に世界三大バブルと呼ばれるバブルがありました。
それは(チューリップバブル)(南海泡沫事件)(ミシシッピ計画)の三つです。
ミシシッピ計画は、18世紀に北アメリカを植民地にしていたフランスによって、ミシシッピ川周辺における、開発と貿易によって引き起こされました。
この計画は、開発バブルを引き起こし、会社の実態がないにもかかわらず発行価格の40倍にまで株価が暴騰する事態を招き、フランスの社会を混乱させました。
ミシシッピ計画の関連人物
ミシシッピ計画は少し複雑なバブルなので、分かりやすくするうえで時代背景と人物について先に解説していきたいと思います。
<ルイ14世>
歴史の教科書にもよく出てくる、フランスにおいて絶対王政を敷いたフランス王。
浪費家としても有名です。
・豪華絢爛なベルサイユ宮殿を建造
・毎日300人の料理人に大量の料理を作らせ、ほとんど手を付けない
・戦争が大好きで何度も戦争をしているがまともな勝利を収めていない
などお金がかかることが大好きで、国家財政を破綻寸前に陥らせミシシッピ計画の原因となった人物。
<ルイ15世>
先代のルイ14世の後を継いでフランス王になった人で、ルイ14世の浪費による国家財政の破綻のために金融改革を実行し、何とかフランスの経済を建て直すそうとする。
<ジョン・ロー>
スコットランド人で、銀行家の父に子供のころから金融の知識を教え込まれた金融と経済の専門家、知識人としては非常に優秀な人物です。
人としては
・ギャンブル好きの浪費家
・決闘によって人を殺した罪で投獄された前科もち
とお世辞にもまともな人物とは言えません。
今回のミシシッピ計画はジョン・ローによって引き起こされました。
ミシシッピ計画の起きた時代背景
<ルイ14世の浪費>
ルイ14世の浪費はすさまじく、贅の限りを尽くした生活と何度も引き起こした侵略戦争によって国家は疲弊していました。
ベルサイユ宮殿は総工費700万リーブル、現在の日本円にして400億円
アメリカ新大陸やインドにおける植民地戦争を経て、第2次英仏百年戦争、南ネーデルラント戦争、オランダ戦争、ファルツ戦争、スペイン継承戦争など、戦争は非常にお金がかかります。
国民は食べるものに困っていながら国王は贅沢三昧で、不満がたまっていました。
<当時のフランスの国家財政の状態>
年間の歳入は1億4500万リーブル、一方で毎年の歳出は1億4200万リーブル。
つまり300万リーブルの貯金にはなっていましたが、高級役人から下級役人に至るまで贅沢や腐敗が蔓延しており、借金の残高は30億リーブルと、貯金の額を借金の返済に充てても1000年かかる計算です。
<ルイ15世の金融改革>
当時の通貨であった金貨、銀貨を一旦国民から回収して硬貨を溶かして25%薄めた硬貨を国民に再度返すことで、新しい硬貨を発行して国の財政を立て直そうとしました。
しかし効果は8000万リーブルほどで、借金を返すにはまだ遠く及びません。
当時は金資本制で金の総量が国の財務の量になっていましたので、お金を増やすには金を産出するか他国の金を奪うしか方法がありませんでした。
<ジョン・ローの経済政策>
そんな財政状態に頭を悩ましていたルイ15世の前に、スコットランド人のジョン・ローが現れました。
ジョン・ローは「硬貨だけで紙幣を使わない国は、商業国として極めて不適切である」とルイ15世に進言し、話に乗ったルイ15世はジョン・ローに「ロー・アンド・カンパニー」という政府認定の王立銀行を作り、そこで貨幣と紙幣を交換させ、ジョン・ローが発行した王立銀行券という紙幣を通貨として使うことにしました。
薄められたことにより価値が下がっていた硬貨よりも、発行上限に決まりがあった紙幣の方が信用が高く、瞬く間に国民に広まりました。
ジョン・ローは、王からも国民からも絶大な支持を集めることに成功したのです。
ミシシッピ計画(ジョン・ローの恐ろしい計画)
王立銀行券の発行上限は、元々国民の持っている硬貨の総量だけしか発行してはいけない決まりがありましたが、ジョン・ローは宮廷からの圧力によって発行上限を超える王立銀行券を発行しはじめ、非常に危険な状態になりました。
硬貨に交換したいと国民が思ったときに硬貨がなければ、王立銀行券の信用は地に落ちてしまいます。
そんな状況に頭を悩ましていたジョン・ローは、ある計画を国王に提案しました。
ミシシッピ会社という「アメリカのルイジアナ州との独占貿易権」を有する会社設立を提案し、当時フランスの植民地であった今のアメリカのミシシッピという場所に、「大量の金銀財宝が埋まっており、さらに異国と貿易することで莫大な利益が見込める」と宮廷に熱弁しました。
こうしてジョン・ローはミシシッピ会社を設立し、ミシシッピ会社の株を国民に買ってもらおうと計画しました。
<ミシシッピ会社>
このミシシッピ会社はジョン・ローの考えた「大量の金銀財宝が埋まっており、さらに異国と貿易することで莫大な利益が見込める」という何の根拠もない会社であり、実態さえしないペーパーカンパニーでした。
国民は王立銀行券の功績によりジョン・ローのことを信用しており、どんどん株を買っていきました。
<ミシシッピスキーム>
ミシシッピ会社の株を、国民に国債と交換してもらうことにより国の借金を減らす仕組みでした。
ここで国債と株の違いについて触れます。
国債とは、国が国民に対して返済の義務がある有価証券
株は、国民に株式を買ってもらうことで会社の経営や設備投資の資金集めをする方法で、企業価値によって株価が上下します。ただし株式は投資であって企業に返済の義務はありません。
つまり返済義務のある国債と返済義務のない株を交換することにより、国の借金を減らしていくというとんでもない取引を国民に行いました。
しかも全く実体のない会社というのだから問題です。
これが悪名高き、ミシシッピスキームです。
<ミシシッピバブル>
ミシシッピ会社の株はどんどん値上がりを続け、みんなが欲しがる株になりました。
ジョン・ローは株の分割払い、ミシシッピ株を担保にお金を貸すことまで始めてしまいます。
こうなると
ミシシッピ株の株価が上がるほど銀行券の発行枚数が増える → 国民が株を買いたがる、株は買ったら値上がりするのでみんなお金を借りて株を買う → 銀行券の発行枚数が増えると株価が上がる → ミシシッピ会社の株が発行され、買ってもらうと国債を減らせる
という、国も国民も誰もがお金持ちになれる仕組みが出来上がりました。
ミシシッピ株の売り出し当初の1719年に500リーブルだった株価が、1720年頭には10,000リーブルとなり、なんと20倍にも跳ね上がりました。
ミシシッピ計画の世間的影響
<フランス国民>
バブルの影響は国民の生活にも反映され、国民の給料、不動産の価格も上昇。
国民の生活にかかわるパンや野菜まで高騰しました。
ジョン・ローの住んでいたカンポワ通りの家賃は年間1000リーブル程度だったのが、なんと1万2000〜1万6000リーブルという10倍以上に跳ね上がりました。
バブルの崩壊
1720年の初め頃、ミシシッピ会社の株を買うことを断られた貴族の一人が、銀行券を金貨と銀貨にすべて交換してしまいました。
ローはこのことを受けて硬貨の3分の2を銀行に返すように要求します。しばらくして異常なまでに上がり続けた株に不信感を持った人たちは、株や銀行券を硬貨に換金して海外に持ち出していきました。
そのうち株や銀行券が硬貨に換金できなくなり、ついに株価は大暴落。
株価は高値の10000リーブルから20分の1の500リーブルにまで値下がりし、フランスは経済危機に陥りました。
バブル後の世界
<事態の収束>
最終的に政府は王立銀行の銀行券の価値を半分にし、てジョン・ローから王立銀行を取り上げました。
銀行券の発行枚数は硬貨の二倍以上の価値分が発行されていた事が後の調べで判明しました。
ジョン・ローは元々発行枚数に対して厳しい姿勢でしたが、政府の圧力に屈して自分の考えを変えなければいけなかったのは悲しい現実です。
<ミシシッピ会社のその後>
ペーパーカンパニーのミシシッピ会社は間もなく破綻しましたが、1723年にはルイ15世からタバコやコーヒーの専売権や、国発行の宝くじを催行する権利を与えてもらい復活を遂げました。
<ジョン・ローのその後>
前述したようにジョン・ローは政府の圧力をかけられて銀行券を発行したのですが、国民の怒りは彼に向けられ、フランス国内では命の危険もあったので国外に亡命しました。
そして無一文のギャンブル生活に戻ったようです。
彼の墓にはこう書かれています。
高名なるスコットランド人
計算高さでは天下一品
わけのわからぬ法則で
フランスを病院に送った
こうしてミシシッピ計画によるバブルは終焉しました。
国民の怒りは蓄積されて、フランスは革命の道を歩んでいくことになるのです。
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