ミリタリー

ミッドウェー海戦 ~わかりやすく解説【負けるべくして負けた】

1941年12月、真珠湾への攻撃によってアメリカ太平洋艦隊の主力艦艇を壊滅させた大日本帝国海軍は、その後、陸軍と協力して南方の資源地帯を攻略し、資源の確保に成功した。翌1942年には長期持久戦も可能だとの意見が陸海軍部内で大勢を占めるようになる。

しかし、長期持久戦は不可能だと考えていた将校もいた。

連合艦隊司令長官・山本五十六(やまもといそろく)である。山本は、いまだ健在なアメリカの空母艦隊との早期決戦を求めていたのだった。

決戦の海はミッドウェー!

ミッドウェー海戦
※山本五十六

山本は、千島列島の北方に位置するアリューシャン列島とハワイの北西にあるミッドウェー島を同時に占領し、その阻止のために出撃してくるであろうアメリカ艦隊と決戦を挑むという作戦を立案した。

決戦の舞台はミッドウェー近海。これが「ミッドウェー海戦」の始まりである。

対するアメリカは日本の次の目標がミッドウェーであることを察知すると、これに総力を上げて対抗することを決定した。修理のために本国へ向かっていた空母ヨークタウンも真珠湾へ引き返すよう命じられ、エンタープライズホーネットの両航空母艦と合流。この3隻の空母がミッドウェーでの作戦に参加することになった。空母の数は少ないが、搭載機数では日本の機動部隊と互角といえた。

駆け引きと決断

ミッドウェー海戦
※ミッドウェー環礁。手前が飛行場、奥の島に軍事施設があった。

「赤城」「加賀」「蒼龍」「飛龍」の4隻の空母を主力とする南雲忠一提督指揮下の第一機動部隊は、1942年5月27日に瀬戸内海を出撃、6月5日にはミッドウェー近海に到着した。このとき、戦艦大和に座乗する山本長官率いる主力部隊は、機動部隊から500km以上後方に位置していた。現地時間4時30分、機動部隊は第一次攻撃隊108機を発艦さて、ミッドウェー基地への攻撃を開始する。しかし、先に敵の動きをとらえていたのはアメリカ軍だった。

ミッドウェー基地を発進した哨戒機から「敵空母発見」の報告を受けたとき、ミッドウェー島の北320kmに位置していたアメリカ機動部隊のフレッチャー提督は、ただちに攻撃隊の発艦を決断したのである。

一方の南雲機動艦隊は、敵艦隊を捜索する捜索機がトラブルにより数が足りずにいたため、依然としてアメリカ艦隊を発見できないままでいた。また、ミッドウェー基地を攻撃した第一次攻撃隊から「第二次攻撃ノ要アリ」との進言を受けた南雲は、ミッドウェー攻略と敵艦隊殲滅という二つの目標のうち、どちらを優先すべきか判断を迫られることになる。

敵機、艦隊の直上に現る!

ミッドウェー海戦
※空母エンタープライズ艦上のTBD雷撃隊。

ミッドウェーへの第二次攻撃を決断した南雲により、対艦戦用の魚雷を装備していた第二次攻撃隊は、一旦格納庫へ収められ、陸上攻撃用爆弾への兵装転換を始めた。
ところが、8時30分になり索敵機より空母を伴う敵艦隊発見の報が届く。南雲はミッドウェー基地への攻撃中止を命じるとともに、攻撃隊にはふたたび魚雷装備に兵装転換するようにも命じた。このとき、第二航空戦隊司令官の山口多聞少将は、兵装転換をせずに直ちに攻撃隊を発艦させるように進言するが、南雲に受け入れられることはなかった。

その後、南雲機動部隊は帰還してきた第一次攻撃隊の収容と第二次攻撃隊の兵装転換作業に忙殺されることになる。

その作業の最中であった。

アメリカ機動部隊の攻撃部隊が艦隊上空に現れたのだ。先鋒が低空で魚雷を投下する雷爆機を中心とする部隊だったため、直掩に上がっていた零戦隊は迎撃のために低空へ降下せざるを得なかった。

南雲機動艦隊、壊滅す

ミッドウェー海戦
※B-17爆撃機の攻撃を受け、回避行動中の空母飛龍。

しかし、まさに零戦が高度を下げたとき、後続の急降下爆撃部隊が高空から4隻の日本軍空母めがけて急降下を開始した。空母の甲板では作業に追われていて見張り員すら低空に気を取られていた状況である。「敵、急降下!」の叫びも間に合わない。対空砲火も間に合わず、わずか6分ほどで赤城、加賀、そして蒼龍が被弾し、燃料や爆弾が誘爆して炎に包まれた。

敵雷撃機の攻撃回避のために、離れたところを航行していた山口少将の飛龍は攻撃隊を発艦させ、アメリカ軍空母ヨークタウンを大破させることに成功するが、みずからもヨークタウンの攻撃隊によって大破炎上させられた。なお、ヨークタウンは後日、日本軍の潜水艦の雷撃によって轟沈している。

ミッドウェー海戦 後


※空襲下の空母ヨークタウン。

夜まで炎上を続けた加賀と蒼龍は沈没し、赤城と飛龍は翌朝に味方駆逐艦の魚雷によって処分された。帝国海軍は、ただ一度の海戦で1隻のアメリカ軍空母と引き換えに、4隻の空母と歴戦の搭乗員・乗組員を一挙に失ってしまったのである。

この海戦の結果、太平洋における戦力バランスは大きく変化し、一気にアメリカ軍有利に傾いた。帝国海軍はこのミスをついに挽回できず、敗戦へと追い込まれてゆく。歴史に「もし」はタブーだが、仮に日本軍がこの海戦に勝利していたとしても、国力で劣る日本が戦線を維持できたとは思えない。

アメリカはこの後、日本が追いつけない圧倒的なペースで空母や航空機を増産し、あまつさえ太平洋とヨーロッパという2方面において勝利しているのだから。

最後に

この戦いは、日米両軍のターニングポイントになったとともに、空母と空母艦載機の重要性が認識される戦いともなった。大艦巨砲主義の時代にありながら、空母群の戦闘能力で敵艦隊を壊滅させられるという事実は、その後のアメリカ海軍の思想を大きく変えてゆくきっかけにもなったのだ。

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