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宝塚記念の歴史「淀に咲き、淀に散る」ライスシャワー

宝塚記念(3歳以上オープン 国際・指定 定量 2200m芝・右)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で毎年6月末に施行する重賞競走(GⅠ)である。年末に中山競馬場で行なわれる有馬記念と同じくファン投票で選出された馬が出走し「春のGⅠシリーズ総決算」「夏のグランプリ」とされる。

この宝塚記念について創設からの歴史をひもといてみる。

なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事では現在の表記で記す。

宝塚歌劇の町 宝塚市

競走名の「宝塚」は阪神競馬場の所在地の兵庫県宝塚市のこと。宝塚記念では宝塚歌劇団のタカラジェンヌが優勝馬の関係者への花束贈呈のプレゼンターを務める。

宝塚記念の前の第10レースは「花のみちステークス」といい、阪急宝塚駅から宝塚大劇場に通じる遊歩道の愛称「花のみち」にちなむ。

また宝塚記念の後の第12レースは「リボン賞」といい、宝塚市出身の漫画家の手塚治虫の代表作「リボンの騎士」と、紐状の織物で競馬の上半期を締めくくる意味を掛けている。

阪神競馬場

宝塚記念の歴史「淀に咲き、淀に散る」ライスシャワー

阪神競馬場 wiki(c)Cake6 (talk) 

阪神競馬場の前身は現在の兵庫県西宮市にあった鳴尾競馬場である。

かつては馬券の売り上げが日本一で天皇賞(春)はここで開催されていたが、太平洋戦争中の1943年(昭和18年)に海軍に接収された。

戦後現在地で再開され、1954(昭和29)年の日本中央競馬会の発足後に競馬場の各施設が建設、整備された。

中山競馬場に新設されたファン投票で出走馬を決める有馬記念を関西でも、という気運が高まり、1960年(昭和35年)に宝塚記念が創設された。
阪神競馬場が改修工事や震災により使用できない年は、主に京都競馬場で開催している。

宝塚記念の歴史

第1回宝塚記念は芝1800mで施行された。優勝馬はファン投票4位のホマレーヒロ(牡4)である。

施行距離は1961年(昭和36年)第2回から1965年(昭和40年)第6回まで芝2000m、1966年(昭和41年)第7回以降は2200mになっている。

出走資格は第1回は4歳(現 3歳)以上だったが、1968年(昭和43年)第9回以降は5歳(現 4歳)以上、1987年(昭和62年)第28回に再び4歳(現 3歳)馬になり現在に至る。

1984年(昭和59年)(第25回)グレード制の導入によりGⅠに格付けされた。

親子制覇

宝塚記念では親子制覇でも難易度の高い母子制覇の方が先に達成されている。

達成したのは1966年(昭和41年)第7回のエイトクラウン(牝4)と1975年(昭和50年)第16回のナオキ(牡6)母子である。
ナオキはエイトクラウンの初仔で、この母子は鳴尾記念も制覇している。

エイトクラウンは宝塚記念で初めて優勝した牝馬でもあり、この後2005年(平成17年)第46回のスイープトウショウ(牝4)まで39年間牝馬の優勝はなかった。

2組目の親子制覇は1999年(平成11年)第40回のグラスワンダー(牡4)と2011年(平成23年)第52回のアーネストリー(牡6)で、2019年(令和元年)現在これが唯一の父子制覇である。

「淀に咲き、淀に散る」ライスシャワー

1995年(平成7年)(第36回)指定交流競走に指定され、地方競馬所属馬が出走可能となる。

阪神競馬場は1995年(平成7年)1月17日に発生した阪神淡路大震災により壊滅的な被害を受け、無事だった厩舎地区が地域住民の避難所になった。
そのため春(3月・4月・6月)と秋(9月)は休止になり、12月にようやく第1回阪神競馬を開催することができた。

第36回宝塚記念は「震災復興支援競走」の副称を付けて京都競馬場で施行され、ダンツシアトル(牡5)が優勝した。

このレースのファン投票1位はライスシャワー(牡6)だった。

宝塚記念の歴史「淀に咲き、淀に散る」ライスシャワー

ライスシャワー 1995年6月4日 京都競馬場 wiki(c)TRJN 

1992年(平成4年)の第53回菊花賞と、天皇賞(春)には1993年(平成5年)第107回と直前の第111回に勝つなど、京都競馬場を得意としていたので期待を集めていた。

しかし京都競馬場名物の3コーナーの坂の下りで躓いて転倒、左第一指関節開放脱臼で予後不良と診断されその場で安楽死処置をとられた。

この年の秋、京都競馬場にライスシャワー記念碑が建立された。

宝塚記念の歴史「淀に咲き、淀に散る」ライスシャワー

京都競馬場内のライスシャワー記念碑。栗林育子の姉が詠んだ「疾走の馬 青嶺の魂(たま)となり」という句が刻まれている wiki(c)Goki

遅咲きの優美な百合 リスグラシュー

1997年(平成9年)(第38回)国際競走に指定され、外国調教馬が5頭まで出走可能になった。

1999年(平成11年)(第40回)この年から一般公募によって決まった専用ファンファーレに変更された。

2001年(平成13年)(第42回)国際GIに格付けされた。

2011年(平成23年)(第52回)アメリカのブリーダーズカップ(BC)チャレンジ競走に指定され、優勝馬に当該年に行なわれるアメリカ競馬の祭典ブリーダーズカップワールドチャンピオンシップのうちのBCターフ(GⅠ・芝約2400m)への優先出走権が付与されることになった。

2019年(令和元年)(第60回)優勝馬に当該年の10月にオーストラリアのムーニーバレー競馬場で行なわれるコックスプレート(GⅠ・芝2040m)への優先出走権が付与されることになった。

紅一点で出走して勝利し、優先出走権を得たのはリスグラシュー(牝5)。

リスグラシュー(第60回宝塚記念出走時)wiki(c)Ogiyoshisan 

4月に香港へ遠征していたためオーストラリアと香港との検疫規定によりオーストラリアへの出国は不可能となった。

しかしオーストラリア農務省などの尽力により検疫規定の改定が間に合い、無事に入国することができた。

その恩に報いるかのように、第99回コックスプレートに横綱相撲で圧勝した。

 

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