英国の夫婦に起きた予想外の知らせ

画像 : 新生児集中治療(NICU)で使用される未熟児用の新生児保育器 Evan-Amos Public domain
1980年代のヨーロッパでは、未熟児医療や新生児集中治療(NICU)が急速に発展し始めていました。
人工呼吸器や新しい治療法の導入によって、これまで生存が難しかった早産児の命が救われる例も増えつつありました。
しかしそれでも、双子や三つ子などの多胎妊娠は大きなリスクを伴い、とりわけ当時は現在ほど医療が発達しておらず、その危険性はより大きいと見られていたのです。
そんな時代、イギリス人のグラハム・ウォルトンとジャネット・ウォルトン夫妻は、結婚後5年間にわたって子どもを望みながらも授かることができず、医師からは自然妊娠は難しいかもしれないと告げられていました。
夫妻は養子を迎えることも検討し、実際に養子縁組の手続きが進み始めていました。
ところがその矢先、夫婦のもとに思いがけない知らせが届きます。
妻・ジャネットの妊娠が判明したのです。
長く子どもを待ち望んできた夫妻にとって、それは大きな喜びでした。
しかし診察が進むにつれて、医師たちは驚くべき事実に気づきます。胎内には1人ではなく、複数の胎児が確認されたのです。
さらに詳しい検査の結果、判明したのはなんと「六つ子妊娠」でした。
極めて稀なケースであり、医療スタッフにとってもほとんど前例がありませんでした。
こうして1983年、イギリスの一組の夫婦は、世界中の注目を集めることになる出産へと向かっていくことになります。
世界の注目を集めた出産

画像 : 六つ子イメージ
1983年11月18日、英国リバプールの Liverpool Maternity Hospital で、ジャネット・ウォルトンは六つ子を出産しました。
妊娠31週半という早産で、出産は帝王切開で行われました。
生まれたのはすべて女児で、出生順にハンナ、ルーシー、ルース、サラ、ケイト、ジェニファーの6人。
体重はいずれも未熟児の範囲にあり、当時の医療水準から見ても決して容易な出産ではありませんでした。
しかし、この出産が世界的なニュースとなった理由は別にあります。
六つ子の誕生そのものも大変珍しい出来事でしたが、さらに注目を集めたのは、全員が女児で、しかも全員が無事に生存したという点でした。
ウォルトン家の六つ子は、世界で初めて確認された「全員生存の女子六つ子」となり、生存した六つ子としても当時世界で4例目とされました。
このニュースはすぐに各国メディアに広まり、病院には70人以上の記者やテレビ取材班が集まりました。
リバプールの産科病院は一時、世界中の報道陣で埋め尽くされることになり、六つ子の誕生はイギリスだけでなく国際的な話題となったのです。
6人全員生き延びた医療の舞台裏

画像 : 帝王切開による出産の様子 イメージ benjgibbs CC BY 2.0
六つ子の出産は、通常の出産とはまったく異なる医療体制が必要とされます。
胎児が6人いる場合、早産になる可能性が極めて高く、また出生後も未熟児として集中治療が必要になることがほとんどだからです。
これほど多くの未熟児を同時に救命すること自体が大きな挑戦だったのです。
この出産を支えた中心人物が、新生児医療の専門医であるリチャード・クック医師でした。
クックはリバプール産科病院に地域初の新生児集中治療ユニットを設立した医師で、未熟児医療の研究にも取り組んでいた人物です。
六つ子の出産が予定されたとき、最大の課題は医療そのものというより設備と人員の確保でした。
未熟児6人を同時に治療するためには、多数の保育器や医療機器、そして専門スタッフが必要だったのです。
当時の証言によれば、病院は周辺の医療機関から機材を借りるなどして体制を整えたそうです。
先述したように、1980年代はちょうど未熟児医療が大きく進歩し始めた時期でもあり、こうした医療環境が整いつつあったことも、六つ子の生存を支える大きな要因となったのです。
結果として、6人の赤ちゃんは全員無事に生まれました。
これは当時の医学界にとっても大きな出来事であり、ウォルトン家の六つ子は「全員生存の女子六つ子」として世界的に知られることになったのです。
「世界初の女子六つ子」が歩んだその後
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六つ子の誕生は医学的な成功であると同時に、ウォルトン夫妻の生活を一変させる出来事でもありました。
父のグラハムは後に、「突然、子どもが0人から6人になった」と驚きを込めて振り返っています。
グラハムは画家兼内装職人でしたが出産後は仕事を1年間休み、育児に専念しました。
6人の乳児を同時に育てるには、授乳やおむつ替えだけでも膨大な時間と労力が必要だったためです。
家族はマージーサイド州ウォラシーの7つの寝室を備えた家で暮らしながら、日々の育児に向き合っていきました。
また、六つ子の誕生は大きな話題となったため、家族は常にメディアの注目を浴びることになります。
テレビ番組や新聞の取材が続き、スポンサー契約の話も持ち込まれました。
しかし母のジャネットは後に、「人々が想像するほど大きな収入ではなかった」とコメントしています。
2001年ごろ、18歳を迎えた六姉妹へのインタビューでは、それぞれが思い描く進路も語られています。
ハンナはビジネス分野への進学を考え、ルーシーはテレビ司会者やモデルを夢見ており、ルースは保育の仕事を目指して勉強し、サラはリバプール市内の保険会社で働いていました。
ケイトはメディアや文化研究への進学を考えており、ジェニファーは模索中だったようです。
2011年には家族のその後を描いたテレビ番組にも出演し、2015年には母ジャネットが育児の経験をまとめた回想録『Six Little Miracles』を出版しています。
1983年に世界を驚かせた六つ子の誕生は、単なる珍しい出来事ではなく、ひとつの家族が歩んだ長い物語として今も語り継がれているのです。
参考 :
The Times, Sextuplet team meets again, 1983
BBC One documentary, The Walton Girls Come of Age, 2001
文 / 草の実堂編集部

























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