日本統治時代の監獄
台湾の嘉義市(ジアーイー/かぎし)では日本統治時代の監獄が保存され、現在は観光スポットになっている。
台湾在住の筆者は最近、そこを訪れた。
建物は大正8年(1919年)に建てられたのだが、その保存状態は非常に良かった。
日本統治時代に建てられた建物は非常に造りが良い。床は大理石で作られており、普通のタイルよりも耐久性があってなかなか割れることはない。
筆者宅も築30年以上なのだが、台湾の住宅は床が美しいことが多い。入居当時はしばらく人が住んでいなかったこともあり、掃除してもあまり綺麗にならない印象だった。ところが頻繁にモップがけすると光沢が出てきて、今では裸足で歩きたくなるほど輝いている。
監獄の廊下やホールの床は大理石で大変美しく、屋根の梁も木製であるが頑丈な造りである。
女監獄
監獄の中には女性が収監される場所があった。
女性監獄特有の興味深い点がいくつかあったので、取り上げてみよう。
男性が収監される部屋のトイレは、丸出しで便器が端にポツンと置いてあるだけだった。
女性の場合は、トイレに簡単な木の板が設置されており、用を足すとき隠すことができるようになっている。
女性の中には妊婦もいて、牢獄で出産した場合もあったようだ。
生まれた赤ん坊は一つの部屋で世話が行われたようで、赤ちゃん用の小さなベットや木馬などのおもちゃが設置されていた。
日本統治下では「男尊女卑」の考え方であったため、男性囚人と女性囚人では扱いに違いがあったという。
現代であれば、それは「差別」と表現されるだろう。
各部屋の壁には、食事を受け取るための穴が空いていた。
男性囚人の部屋には、男性の腰の位置の少し上あたりに穴があり、ちょうど受け取りやすそうな位置である。
ところが、女性囚人の部屋の穴はなぜか非常に小さかった。筆者の拳を通して少し余裕があるくらいの小ささだ。これでは食事を受け取ることは無理である。
では、一体どこから食事を受け取っていたのだろうか?
ふと見ると、足元に猫が通るような穴と小さな扉があった。
つまり、そこから食事を受け取っていたのである。まるで動物に餌を与えるかのような印象を受ける。
ガイドは「これも男尊女卑の表現だ」と語っていた。
猫道
監獄の壁には、非常階段のようなものが取り付けられていた。
筆者は初め、火災など非常時に使われるものかと思った。
だが、建物は平屋の木造で、緊急時に上に登ったとて逃げることはできない。では一体何に使われたものなのだろうか。
上をよく見てみると、屋根との間に木製の「すのこ」のようなものがあった。
これは「猫道」と呼ばれ、看守が階段を登って、上から囚人の部屋を見ることができるようになっていたのだ。
まるで、猫が天井裏に登って下を見るかのようである。
当時は監視カメラなど存在していなかった。そこで囚人たちを監視するために「猫道」が作られたのである。
日本統治時代、日本人は犯罪者に厳しい処置をとっていた。
その効力もあってか、日本統治時代は犯罪者が比較的少なかったという。
「窃盗を犯したものは手を切り取られる」などと聞けば、とても窃盗などする気になどなれなかっただろう。
日本が去った後の台湾は犯罪者が激増し、現存の監獄では収監しきれなくなり、規模を拡大したり新たに建てる必要があったそうだ。
また、当時使われていた「手錠」の中にも大変興味深いものがあった。
当時の手錠は非常に重く、つけるだけでもかなりの身体的負担だったろう。
そのうちの一つに、千元札(現在日本円で約4700円程度)がくくりつけられていた。
それは死刑囚がつけるもので、その死体を処理する人に対するいわゆる「チップ」だったという。
このように嘉義監獄では、日本では見られない当時の歴史の風景を垣間見ることができる。
嘉義監獄は誰でも入館無料で見学できて、写真撮影も自由となっている。
台湾を訪れた際は、是非足を運んでみてほしい。
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