600年眠る明朝の皇女の墓…発掘したら中に「生きた人間」がいた!?

明朝皇帝・朱元璋の娘の墓

1998年、南京市の開発工事の最中に、一基の明代の古墓が発見された。

画像 : 洪武帝(朱元璋)の肖像画(国立故宮博物院蔵)public domain

この墓は、明の初代皇帝・朱元璋(しゅげんしょう)の第八皇女である福清公主(ふくせいこうしゅ 1370年~1417年)の陵墓であることが判明した。

発掘後、墓は元の場所から約300メートル西に移設され、復元・再建が行われた。

福清公主の墓は、明代の皇族墓としては保存状態が極めて良好であり、規模も大きく、構造が複雑であることが特徴である。
2006年には南京市の文物保護単位に指定され、歴史的価値の高い文化財として現在も厳重に保護されている。

発掘調査では、陶器の大壺や三足の銅製炉、金製のボタンなどが出土した。これらは明代の皇族の葬儀習慣や工芸技術を知る上で貴重な資料となっている。特に金製のボタンは、生前に使用していた服飾品の一部と考えられ、当時の宮廷文化や衣装の特徴を知る手がかりとなる。

墓室の壁には装飾品が埋め込まれていた痕跡が残っていたが、そのほとんどは盗掘によって失われていた。

また、墓内にはガラス細工の破片や鳳凰の文様が施された装飾部品が散乱しており、かつて天井や壁を彩っていたと考えられる。

福清公主とは?

画像 : 南京市にある福清公主の墓 Berthe CC BY-SA 3.0

福清公主(ふくせいこうしゅ)は、明朝の初代皇帝・朱元璋の第八皇女であり、母は鄭安妃(ていあんひ)である。

彼女は皇女の中でも特に寵愛を受けていたとされるが、その詳細な記録は限られている。

洪武十八年(1385年)、福清公主は当時の有力武将だった張龍の子、張麟(ちょうりん)に嫁いだ。
この結婚は、明朝の皇室と功臣家系の結びつきを強めるものであったと考えられる。

二人の間には息子の張克俊が生まれたが、夫の張麟は侯爵を継ぐ前に早世し、張家の地位も低下したという。
そのため、張克俊が皇族としての立場を持つことはなかった。

福清公主は永楽十五年(1417年)に48歳で亡くなり、南京の安徳山(現在の南京市雨花台区邓府山)に埋葬された。

福清公主は、歴史上においては明代の皇女の中でもあまり目立たない存在だった。

しかし、1998年の発掘調査により、彼女の墓から驚くべき事実が明らかになった。

なんと、墓の中に「生きた人間」がいたというのだ。これは一体どういうことなのだろうか。

墓の中に生きた人間がいた?

画像 : 福清公主の墓 wiki © Berthe

まずは、この墓が福清公主のものであると判明した経緯から紹介しよう。

1998年、南京市の都市改造プロジェクトの一環として、雨花台区の一部で工事が進められていた。
その際、工事関係者が偶然、大きな穴を発見した。

はじめは単なる地下の空洞かと思われたが、慎重に調査を進めると、それが明代の墓であることが判明したのである。

現場には考古学者が派遣され、慎重に発掘が進められた。墓の構造は精巧で、石門には明代のものと考えられる文字が刻まれていた。
そして、墓室の中央には見事な細工が施された棺が安置されていた。

その棺の表面に「福清公主」と刻まれていたことから、この墓が明朝の初代皇帝・朱元璋の八女・福清公主のものであることが確定したのである。

しかし、驚くべき発見はこれだけではなかった。

考古学者たちが棺の調査を進めようとしていたその時、突然、「一人の老人」がどこからともなく現れ、棺を開けるのを制止したのだ。
突然の出来事に、現場は騒然となった。この老人は一体何者なのか。なぜ墓の中にいるのか。

考古学者たちは老人に何度も問いかけた。

すると、老人はゆっくりと口を開き「私は福清公主の墓を代々守ってきた『墓守』の一族であり、ここに37年間住み続けていた」と語ったという。

この衝撃的な証言に、誰もが耳を疑った。
どうやってここで生活を続けてきたのか?そもそも37年間も墓の中に住むということがあり得るのか?

さらに話を聞いてみると、この墓に住んでいたのは彼だけではなかったという。

なんと、これまでに二つのグループが墓に住み着いていたというのだ。

画像 : 福清公主の墓(埋葬室の入口) Berthe CC BY-SA 3.0

盗掘集団

最初に墓に住み着いたのは、盗掘団だったという。

福清公主の墓は、かつて極めて豪華な副葬品を収めていた。壁には琉璃瓦や精巧な装飾品が施され、墓室内には貴重な工芸品が多数存在していた。しかし、それらの財宝はこの盗掘団によってことごとく奪われてしまったのだ。

老人は、盗掘の様子を記録するために写真を撮影しており、その証拠を専門家に見せた。

そこには、かつての墓室の壮麗な姿や、無残にも破壊された墓の内部の様子が映し出されていたという。

ホームレスの集団

盗掘集団が去った後、新たに墓に住み着いたのはホームレスの人々だった。

彼らは墓を雨風をしのげる格好の避難所と考え、布団や生活用品を持ち込んで住み始めた。

画像 : 福清公主の墓に残されていた寝具 © flicker

そして信じがたいことに、彼らはなんと福清公主の棺の上で寝ていたという。

老人は、墓がこのような状況になってしまったことに深い自責の念を抱いていた。彼は常に墓を守ろうとしていたが、力及ばず、盗掘を防ぐことも、住み着いた人々を追い出すこともできなかったのだ。

そのため、考古学者たちに「福清公主の墓を適切に保護してほしい」と強く願い、長年見守り続けた墓を後にしたのだった。

この出来事は、長年忘れ去られ、放置されていた福清公主の墓の実態を明るみにした。

歴史的に貴重な遺跡が盗掘や不法占拠の対象となっていた事実は、文化財保護のあり方を問い直す契機となったのである。

参考 : 『明史』列傳第九公主『1998年南京挖出朱元璋女儿墓 里面有人生活37年』他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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