クラシックは音楽好きの趣味としてはマイナーな部類に入る。
度々目にする統計だが、ある程度熱心にクラシックを聴いている人は日本の全人口の1%程度にすぎないそうだ。
クラシック好きはマイナーな趣味だが、それでも「誰もが知っているレベルのクラシック音楽家」は確実に存在する。
バッハ、モーツァルト、そしてベートーヴェン(1770‐1827)は、その代表格中の代表格だろう。
ベートーヴェンの楽曲では『交響曲第9番 合唱付き』や『ピアノソナタ第14番 月光』などが特に有名だが、名言とセットで知られている楽曲となると、やはり『交響曲第5番 運命』だろう。
あの「ダダダダーン」という有名すぎる冒頭動機について、ベートーヴェンが「運命がこのように扉をたたくのだ(独: So klopft das Schicksal an die Pforte)」と語った、という逸話は、教科書に載るレベルで知られている。
だが、実はこの発言は後年の研究により、捏造の可能性が高いとされている。
発言の元はどこなのか?

画像:ベートーヴェン最晩年の姿 ヨーゼフ・ダンハウザーによるスケッチ public domain
ベートーヴェンは存命中だった19世紀初頭の時点で、ウィーンを中心とするドイツ語圏では超がつくレベルの有名人だった。
1827年にベートーヴェンが亡くなると、葬儀には2万人に達する人々が参列し、三位一体教会からヴェーリング地区の墓地まで東西3kmにも及ぶ葬列が続いたと記録が残っている。
死去からしばらく経つと、生前にベートーヴェンと関わりのあった人物たちが、相次いで伝記や回想録を出版するようになる。
代表的なものの一つが、ベートーヴェンの弟子で作曲家でもあったフェルディナント・リースと、幼なじみのフランツ・ゲルハルト・ヴェーゲラーが共同でまとめた『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する伝記的覚書』である。
同書はベートーヴェンの死から約10年後の1838年に刊行された。
聴覚の悪化に苦しんだ話や、ナポレオンに憧れて『交響曲第3番「英雄」』を書いたものの、皇帝就任を知って激怒し、献呈先を変えたという有名な逸話は、主にリースの証言によって広く知られるようになった。
捏造の可能性が高いとされながら有名になってしまった例の発言は、別の作者による伝記が出展元である。
その伝記を執筆したのは、アントン・フェリックス・シンドラー(1795‐1864)。
彼はベートーヴェンの近くに出入りし、秘書役・世話役のような立場を自称していた人物である。

画像:シンドラーの晩年を映した写真 public domain
シンドラー版の伝記『ベートーヴェンの生涯』は、『ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する伝記的覚書』から2年遅れで発表された。
その後、1845年に増補版である第2版、1860年には内容を大きく改めた第3版が刊行されている。
同書は後のベートーヴェン解釈に多大な影響を及ぼした。
ピアノソナタ第17番の解釈をめぐる「シェイクスピアの『テンペスト』を読め」という有名な発言も、件の「運命がこのように扉を叩くのだ」という発言も、現在知られる限りシンドラーの伝記に依拠しており、それを裏づける独立した同時代資料は確認されていない。
さらに問題なのは、ベートーヴェンが聴力を失った後、筆談のために使っていた会話ノートである。
これはもちろん貴重な歴史資料だが、20世紀後半になって一部に改変の痕跡があることが判明した。
その第一容疑者と目されているのがシンドラーである。
シンドラーは会話ノートにアクセスする機会があり、件の発言にはシンドラー以外の確かな証言がない。
加えてどうもシンドラーには虚言癖もあったらしい。
こういった「状況証拠」を積み重ねると「運命がこのように扉をたたくのだ」発言は、シンドラーによる捏造の可能性が高い、というのが妥当な結論になってしまうのだ。
シンドラーはなぜ発言を捏造したのか?

画像 : ベートーヴェン public domain
シンドラーが生前に捏造について語った記録は、当然ながら残っていない。
だからこそ研究者を悩ませてきたわけだが、妥当な推測として考えられるのは、シンドラーがベートーヴェンを神格化し、伝記の中で理想のベートーヴェン像を作り出そうとしていた、ということだ。
また、シンドラーは伝記の著者であると同時に登場人物でもあるが、「無給の秘書」としての自身の献身ぶりを誇張気味に書いていたきらいがある。
そういった胡散臭さも捏造を疑われた理由だろう。(無給の秘書として仕えたのは事実だが)
そんなシンドラーのことを、ベートーヴェンはどう思っていたのか。
どうやら、かなりうるさがっていたようだ。
ベートーヴェンはシンドラーに「パパゲーノ」というあだ名を付けていた。
パパゲーノとは、モーツァルトのオペラ『魔笛』に登場するユーモラスな鳥刺し男である。作中には、パパゲーノが恋人を得るために「誰とも口を聞いてはならない」という試練を課される場面がある。
つまりベートーヴェンの真意は、「無駄口を叩くな」という皮肉だったようだが、シンドラー本人はむしろ喜んでいたという。
このようにシンドラーの評判は、あまり芳しいものではなかった。
前述のリースや、ベートーヴェンの弟ニコラウス・ヨハンからも「お目にかかったことがないぐらいしょうもない男」「ろくでなし」など、かなり辛辣な評価を受けている。
また、ベートーヴェンがシンドラーを信用していなかったことを示す例として、演奏会の収益着服を疑われた一件もある。
実際には無実だったようだが、疑いの対象にされてしまうほど信用されていなかったことがうかがえる。
だがそんな散々な扱いを受けながらも、シンドラーはベートーヴェンに仕え続けた。
ベートーヴェンが晩年に病に臥せると、流石にシンドラーへの態度も軟化し、素直に頼り、時には感謝の念を示すようにもなっていたという。
シンドラーの残した記録には怪しい部分も多いが、シンドラーがベートーヴェンを尊敬していたのは確かなのだろう。
「孤高の大芸術家」という、いま一般に知られるベートーヴェン像の何割かは、シンドラーの演出によって形作られたものなのかもしれない。
だが、その捏造めいた演出の根底には、近くで見たベートーヴェンへの強い憧れがあったと言えるだろう。
参考文献:
かげはら 史帆『ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』ほか
文 / ニコ・トスカーニ 校正 / 草の実堂編集部

























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