江戸時代

江戸時代の武士の仕事について調べてみた

私たちが持つ武士のお仕事の印象

江戸時代の武士の仕事
※町を行く江戸時代の武士たち。左から2人目と4人目が武士。山東京伝の風俗書

江戸時代の「武士」のお仕事というと、私たちはつい参勤交代やいつでも戦が起きてもいいようにと、武芸に励み、何かあったらいつでも駆けつけられるような、今でいう自衛隊のような存在だったとか、士農工商の身分制度の頂点に立つ武士であるから、生活をするだけのお金もあり、働く必要もなかったといったイメージがあります。

しかし調べてみると江戸時代の武士の仕事ぶりは、私たちのイメージとは随分違うことが、近年わかってきました。

そこで今日は江戸時代の武士の仕事ぶりと、生活について書いていこうと思います。

江戸時代の武士の勤務時間と就業ルール

江戸時代の武士の階級を現代で例えるなら

将軍=内閣総理大臣
老中=官房長官
旗本=内閣官僚
御家人=国家公務員
藩主= 知事
藩士= 地方公務員
です。
江戸時代の武士の勤務時間ですが、藩の会計を司る勘定奉行を除いては概ね10時から13時の、3時間だったようです。

ただしこれは、老中や若年寄などの、位が上の方の人たちであり、もっと下の身分の方はもっと短かったようです。ただ勘定奉行だけは、一日の収支報告をしなければならないので、昼から出勤し、夕方、夜まで頑張って仕事をしていました。休日は月に5.6回は保障されていたようです。城での業務は帳簿つけといった事務的な仕事が多く、現代でいう公務員のような仕事だったようようです。また夜に城の番をする、夜勤の仕事も月数回はあったようです。

次に就業ルールですが、勤務中の私語はたとえ仕事のことに関してであったとしても、完全禁止です。トイレでの私語も許されませんでした。また食事をする場合でも、一人ずつ交代で食事をしなければなりませんでした。さらに遅刻、早退はもちろん厳禁であり、無断欠勤に至ってはその年の給料をすべて没収されました。しかし残業などはなく、定時には必ず帰ることができたようです。

ただそれでも、仕事を行きたくないといって仮病を使って仕事を休む者もいたようです。

現代では、仮病の代表格と言えば、風邪ですが、当時は眼の病気にかかったといって、休んだようです。というのももし、道端で上司と会ってしまった場合でも、目の病気であれば、取り繕いやすかったからであるようです。

江戸の武士の副業事情

ここまでは江戸時代の勤務時間と勤務実態について、書いてきましたが、当然この仕事だけで食べていくことができたのは、偉い武士だけであって、下級武士はとても生活できませんでした。加えて武士の中でも城の仕事ができたのは、長男だけであり、次男以降は他の武家に婿養子に出されでもしない限りは、実家で過ごさなければならず、武士の家系でありながら、武士とは認めてもらえませんでした。そのような人たちが何をしていたかというと、副業です。

幕府では武士が生活に困らないように、いくつかの副業を公認していました。ここではそのうちの3つを紹介していきたいと思います。

まずは寺子屋の先生です。寺子屋とは今でいう、小学校のようなものでした。

ただし現代の小学校と違うところは、一般教科というものがなく、農民の子は農業の本を商人の子は商業の本というように専門的な勉強をやっていました。そして驚くことに卒業というのも特に決まりはなく、自分が卒業だと思ったら卒業だったようです。

二つ目は剣術道場の師範です。これらは武士が幼い頃から、武芸と教養を叩きこまれているからこそ、できた副業で、中にはそれで成功をおさめ、多くのお金を得ている者もいました。

そして3つ目は農業です。意外なことに武士は土地を耕し、農業をすることも許されていました。生活に窮した武士などは自給自足して生活をする者も多かったようです。

一方で武士が絶対やってはいけなかったのは、何かというと「商い」です。

よく時代劇などで武士や浪人が、傘の皮の張り替えをやっている場面がありますが、あれがもし上司にばれた場合下手をすれば切腹だったようです。

逆に言えば切腹の可能性があろうと、それをしない限りは生活できないくらい困窮していたことになります。なぜ「商い」が禁止だったかというと、商人は士農工商の一番下位に位置し、金儲けは武士にとっては一番卑しい行為とされたからです。

結果としてそれが武士のさらなる窮乏化を招き、武士の身分を捨てて没落する者もいました。

趣味でお金を得た者のいた

江戸時代も中期になると、空前の出版ブームが起きます。

武士は幼いころからの教養を活かし、恋物語小説を書くようになったのです。

金々先生栄花夢」を出版した恋川春町や、南総里見八犬伝を出版した曲亭馬琴(きょくていばきん)ももともとは武家の出身です。


※曲亭馬琴(國文学名家肖像集より)
彼らはそれぞれ次男、五男でしたが、この小説が大当たりして本業になりました。

最後に

このように武士の仕事と生活ぶりを見てきましたが、現代と同じく本業だけで食べて行くことはなかなか難しかったようです。

ただ彼らはそんな逆境をものともせず、自分のもてる能力を活かし、活躍していたのだなということがわかりました。私も見習いたいと思います。

今日も読んで頂きありがとうございました。

 

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Rio

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コメント

    • 宮嶋 あいか
    • 2020年 5月 09日 1:11pm

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