源平合戦のヒーローと聞いたら、多くの方が思い浮かべるであろう源義経(みなもとの よしつね)。
兄・源頼朝(よりとも)公を助けるために颯爽と駆けつけ、平家方を攻めあぐねていた仲間たちを尻目に大胆な戦略で勝利をつかむ勇姿は、今なお多くのファンを惹きつけてやみません。
しかし、そのスタンドプレーが周囲との確執を生んでしまい、ついには兄の圧力によって追い詰められ、非業の死を遂げるのでした。
今回はそんなキッカケの一つとなった「逆櫓(さかろ)の論争」エピソードを紹介。もし皆さんがその場にいたとしたら、どのように感じられるでしょうか。
「猪武者」と批判され……逆上する義経
時は平安末期の寿永2年(1183年)、京の都を追われた平家一門は西国各地をさまよった末、讃岐国の屋島(現:香川県高松市)に本拠地を構えました。
そこへ源氏方の軍勢が押し寄せ、一進一退の攻防を繰り広げたものの、水軍力に乏しくなかなか攻め落とせずにいた元暦2年(1185年)、仲間たちの苦境を救うべく義経が出陣します。
義経と総大将に迎えた一同は軍議を開き、そこで軍目付(いくさめつけ。軍監)の梶原景時(かじわらの かげとき)が提案しました。
「我らは舟戦さに疎く、地上で戦さする如き駆け引きが難しい。そこで逆櫓をつけて、進退を機敏にしてはいかがか……」
逆櫓とは舟の舳先(へさき。船首)にも櫓(オール)をつけることで方向転換をせずに後退できるようにするもので、櫓の抵抗で船足は若干弱まるものの、いちいち船首を回転させずに敵との距離を稼げるようになります。
悪くないアイディアと思われましたが、義経はこれを一笑に付しました。
「戦う前から逃げる算段をしておっては、兵どもも臆病風に吹かれて勝てる戦さも勝てぬようになる。左様の小細工は必要ない」
これを聞いて景時は反論します。武道においても敵と間合いを保つことがあるように、後ろへ下がるのは必ずしも逃げるばかりではなく、時に無用の損害を避けるために必要な駆け引きでもあります。
「お言葉ながら、進むのみで退くを知らぬは猪武者と申すもの。戦さの駆け引きは将の務めにございましょうぞ」
思いがけぬ反論に義経は逆上、景時を怒鳴りつけました。
「おのれ平三(へいざ。景時)、目上を猪呼ばわりとはいい度胸だ、覚悟はできておろうな!」
「何をおっしゃる。それがしは鎌倉殿より仰せつかりし軍目付、たとい総大将であろうと我が監督下にあることをお忘れか!」
「……ぐっ」
頼朝公の弟である自分に対して遠慮のない景時の態度に怒り心頭の義経は刀の柄に手をかけ、陣中はあわや一触即発の状態となります。
「そもそも九郎(義経)殿は常日頃から鎌倉殿の弟というだけで我らを目下扱いなされるが、我らがお仕えしているのは鎌倉殿であって、貴殿ではない!」
「えぇい、うるさい!」
諸将のとりなしもあって何とかその場は収まったものの、怒りの収まらない義経は2月18日の丑の刻(午前2時ごろ)、吹き荒れる暴風雨の中を無理やり出航、5艘150騎で屋島の平氏に奇襲をかけ、まんまと勝利を収めました。
「どうじゃ平三、余計な小細工などせずに勝利したぞ!」
「……ぐぬぬ」
義経に後れをとってしまった景時らは「六日の菖蒲(むいかのあやめ)」と笑い者にされてしまい、それを恨んで頼朝公へ讒訴(ざんそ)を行い、二人の仲を引き裂くようになったと言われています。
逆櫓から だんだん梶(≒舵、転じて景時のへそ)が 曲がりだし
狂歌
(※)六日の菖蒲:5月5日「端午の節句」に必要な菖蒲を6日に持って来ても役に立たないことから、役立たずの意。
(※)讒訴:相手を陥れる目的で虚偽の訴えを起こすこと。景時はこれを多用して御家人たちを牽制する務めを果たしたが、同時に買った怨みも多く、やがて身を亡ぼすことになった。
終わりに
以上が『平家物語』などの伝える逆櫓論争ですが、実際は『吾妻鏡』などの記述から、景時は当時九州地方を制圧していた源範頼(のりより)と共に行動していたとみられることから、このエピソードは後世の創作と考えられます。
日本人は「負けられない戦い」「不退転の覚悟」と言ったフレーズが大好きですが、勝敗は武門の常であり、負ける度にすべて破滅していたら、いくつ命があっても足りません。
負ける時は負けるのですから、退く時は退いて力を蓄え、次に勝つための時機を待つ。そういう強かさが義経には欠けていたのではないでしょうか。
(そんな「滅びの美学」に魅力を感じる方も多いでしょうが、現場で運命を共にする部下としてみれば、たまったものではないでしょう)
2月18日の暴風雨を突いて出航したのだって、あくまで結果オーライだったから義経の天才性が強調されたものの、もし船が嵐で遭難でもしていれば、後世の評価はまるで違った筈です。
人の上に立つということは、部下や仲間の命を預かることであり、苦楽や勝利を共にすることでもあります。
いかに天才であろうとも、功績に驕って「俺が俺が」と周囲を見下してかかる者が孤立してしまうのは、いつの時代も変わらないのではないでしょうか。
※参考文献:
- 菱沼一憲『源義経の合戦と戦略 その伝説と実像 (角川選書)』角川選書、2005年4月
- 川合康『源平の内乱と公武政権 (日本中世の歴史)』吉川弘文館、2009年10月
- 『NHK2022年 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」完全読本 (NIKKO MOOK)』産経新聞出版、2021年12月
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