史上最悪の偽書
「シオン賢者の議定書」とは、ユダヤ人・民族を貶める目的で流布された史上最悪の偽書とも称されている文書のことです。
この偽書が歴史に登場したのは1902年〜1903年頃で、以後100年以上の年月が経た現在でもその内容が自らに都合のよい勢力によって利用され続けています。
「シオン賢者の議定書」が偽書でありながらその命脈を連綿と保ってきた背景には、欧米におけるユダヤ人・民族に対する排斥の思想が色濃く反映しています。
このためアドルフ・ヒトラーがこの文書を利用してユダヤ人の排除を進めたことも、ある意味でドイツの大衆にすんなりと受け入れられたと言えます。
結果ナチスは人類史上類を見ない犯罪・ホロコーストを実行するに至り、この偽書は大きな災厄をもたらすことになりました。
出所は帝政ロシア政府
「シオン賢者の議定書」は出所も作者も定かではない代物ですが、概ね1900年代初頭のフランスにおいて諜報活動に従事していた帝政ロシアの政府機関の関係者が、パリで作成したものと考えられています。
「シオン賢者の議定書」は、1897年8月にスイスのバーゼルにおいて開催された第一回シオニスト会議の中で披露された決議文という体裁を纏っています。
いずれにせよ、当時の帝政ロシアにおいて体制に不満を募られせいた民衆の批判の矛先をロシア政府から逸らすために、ユダヤ人・民族をスケープゴートにする意図で作成された偽書だったと見られています。
「シオン賢者の議定書」では、世界経済をユダヤ人たちが操作し、マスメディアを支配し、宗教の対立を画策することで全世界を勢力下に置こうと企図していると謳われています。
自動車王も加担
「シオン賢者の議定書」が世界に広まったのは、1917年に発生したロシア革命の後でした。
革命を指導したボルシェビキに反抗した者たちによって、ヨーロッパ、アメリカ、南米、日本までも波及していきました。
1920年代に入ると、アメリカの自動車王ヘンリー・フォードがこの議定書の内容の一部を元にして「国際ユダヤ人」という著作を新聞の連載から刊行し、ナチスからの歓迎されることになりました。
こうした著名な人物までが反ユダヤ思想に裏打ちされた考えを披露したことは、根深いユダヤ人排斥の感情が当時の欧米に蔓延していたことを示していました。
因みに、フォードは1927年にはこの本に対しての抗議や裁判などを通じて内容の誤りを認め、刊行された本の回収に同意しています。
偽書の元ネタ
1921年にはイギリスのロンドンタイムズによって「シオン賢者の議定書」は偽書であるという報道が成されました。
この報道では「議定書」の大半がフランス人・モーリス ジョリーが1864年に刊行した「マキャベリとモンテスキューの地獄での対話」という本の焼き直しに過ぎず、その本の中のマキャベリをユダヤ人に置き換えて捏造されたものだと断定されました。
そもそもこの「マキャベリとモンテスキューの地獄での対話」も、当時のナポレオン三世を批判するために書かれたもので、あからさまにナポレオン三世を批判することが出来なかったため、ナポレオン三世をマキャベリに置き換えて表記されたものと伝えられています。
イスラム諸国への蔓延
現代の社会においても、欧米ではネオナチ、白人至上主義者、ホロコースト否定論者らによって「シオン賢者の議定書」は利用され続けており、この内容に基づいた刊行物は絶えない状態です。
加えて、現在ではイスラエルに対する憎悪に利用するためにアラブ・イスラム諸国の多くの教科書で「議定書」を事実として教育しています。
パレスチナの反イスラエル組織であるハマスは「議定書」の内容を用いて、イスラエルに対するテロ行為の正当性を主張しています。
参考文献 : ユダヤ人世界征服陰謀の神話 シオン賢者の議定書
この記事へのコメントはありません。