「八幡」と名の付く神社は日本各地の至るところで見かけます。
私たちにとって身近な神様である八幡神ですが、実際のところ、この神様の由来やその背後に隠された物語は一体何なのでしょうか。
今回の記事では八幡神の謎に迫り、歴史的背景を探っていきます。
最も身近な神さま八幡神は異国からやってきた!?
八幡神社は日本で最も数が多い神社とされています。
日本にある神社の数は約8万社。そのうち、「八幡」が付くのが最も多い4万600社、実に半数を占めているのです。
そして八幡は、神社のみならず地名や駅名でもその存在感を発揮しています。
京都府八幡市や滋賀県近江八幡市。静岡・福岡・愛知にある「八幡駅」。
千葉の「京成八幡駅」に「JR本八幡駅」など、いずれも八幡神に関係があるのです。
そんな至るところで祀られている八幡神は、実は日本書紀や古事記といった日本古来の書物には一切登場しません。
八幡神は渡来人、つまり朝鮮半島の新羅から来た人たちが祀っていた神様だったため、書物の編纂時にも無視されたと云われています。
しかし、その後突然現れて日本史を動かすような重大なご宣託を次々と下すようになります。
大仏建立計画で協力する
もっとも有名で歴史が古いご宣託は、「奈良の大仏の建立計画」のときでしょう。
奈良時代の中期、聖武天皇は疫病や社会不安から国を守るための国家的大事業として、東大寺を建立する計画を立てました。
ところが「そんな莫大な費用を払って寺を建てるのはけしからん」と、貴族からの反対で計画は頓挫しかけました。
このとき、宇佐の八幡神から「われ天神地祇を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、わが身を草木に交えて障ることなくなさん」と協力の御宣託が下されたのです。
そんな八幡神全面協力の元、大仏建立計画が進められました。
しかしまた困った事態が発生します。材木や銅は用意できましたが、最後に黄金が足りなくなりました。
困り果てていたとき、八幡神が「必ず金は出てくるから大丈夫」とまた宣託を下します。その後、そのご宣託通りに陸奥の国から金が送られてきたことで天皇は大感激したのです。
八幡神は東大寺の守護神に任命され、その後、八幡神は各地の寺社の守護神の役を担当することとなりました。
八幡神は絶大なお墨付きを与えられたことで、なんと天照大神に次ぐNO.2の神になるという異例の大出世を果たしたのです。
とにかく人間に口出ししてくる八幡神
八幡神は769年、女性天皇の称徳天皇に跡継ぎが居ない、という緊急事態に彼女が寵愛していた僧侶の道鏡を「天皇にしなさい」と御宣託を下しました。かと思えば「それは偽の託宣である。天皇の血筋以外の人間は即位するのは不可能だ」と前言撤回し、これは宇佐八幡宮神託事件として大問題となりました。
また、関東で覇権を握った平将門には「あなたが新しく天皇になりなさい」と神託を下したり、政治利用されることが多かったようです。
八幡神は異国からやってきた謎の多い神さまで、現在もはっきりとしたことはわかっていません。
そんな神様が日本の歴史を大きく変えてきた、と考えると面白いですね。
終わりに
異国からやってきた神様は、どのようにして日本の歴史に影響を与えてきたのか、その流れを追ってきました。
今後「八幡」と名の付く神社へ参拝に行く際には、思いもよらぬ物語や歴史が詰まっていることを思い出すと、新たな視点や深みを感じることができるかもしれませんね。
参考 :
八幡信仰とは何か?由緒や歴史と日本で一番多い理由を解説 – 株式会社 折橋商店
東大寺の大仏建立 | 八幡総本宮 宇佐神宮
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