平安時代

【小野小町の美人メシ】 絶世の美女は何を食べていたのか?

画像 : 小野小町(鈴木春信画) public domain

小野小町(おののこまち)といえば、平安時代を代表する絶世の美女として有名です。

「古今和歌集」によると

小野小町はいにしえの衣通姫(そとおりひめ)の流れである。
(五世紀半ばの允恭天皇の后。美しさが袖を通り越して輝いていたと言われる)

とあります。

当時からその美しさは都中の評判で、憧れの的だったようです。

そんな奇跡の美女は、毎日どんなものを食べてその美貌を保っていたのでしょうか?

今回の記事では、小野小町が一体どんな女性だったのか、そしてその贅沢すぎる食生活について紹介していきます。

才色兼備だった小野小町の恋愛模様

画像 : 小野小町(『前賢故実』菊池容斎画、明治時代) public domain

小野小町は六歌仙、三十六歌仙のひとりで、絶世の美女として伝説化した女性です。
平安時代前期の仁明(にんみょう)天皇に使えたと言われています。

その美しさで都中の貴公子たちを虜にした小野小町は「草子洗小町」「通小町」「卒塔婆小町」など、謡曲の題材としても多く取り上げられてきました。

そんな多くの恋愛ストーリーがある中でも、特に有名なのは通小町(かよいこまち)です。

ストーリーを簡単に説明すると、小町に惚れた深草少将(ふかくさのしょうしょう)が「一日も休まずに私のところへ百日通い続けてくれたら、契りを結んであげましょう」と言われます。
深草少将は、小町への恋心を胸に、雨にも風にも負けず通い続けますが、九十九日目の夜に雪の中で凍死してしまう、という話です。

この話は実は史実ではなかったと言われていますが、小野小町のモテモテ美女っぷりがよくわかるエピソードです。

また、小野小町はただ美しいだけでなく、六歌仙にも選ばれるほど歌の才能があったことでも知られており、「古今和歌集」では十首以上も記載されています。

画像 : 歌碑(京都随心院)「花の色は」の歌が刻まれている。 wiki c PlusMinus

小野小町といったら、やはり有名なのはこの歌でしょう。

花の色は 移りにけりな いたづらに わが身世にふる 眺めせし間に

花の色を単なる花としてだけでなく「自分の美貌が知らず知らずのうちに失われてしまった」という嘆きを含んで読んでいます。

女性なら誰しも自分の若さ、美しさをいつまでも保ちたいと思うもの。

若さと美しさを武器に全盛を過ごした美女であれば、美貌を何とか留めたいという気持ちは切実だったでしょう。

玉造小町のモデル

平安時代中期、もしくは末期の作品で「玉造小町子壮衰書(たまつくりこまちこそうすいしょ)」というものがあります。

その中には「玉造小町」という絶世の美女が若さと美しさを武器に、ある金持ちの貴族の寵愛を受けながら贅沢三昧の生活をする逸話が描かれています。

主人公の「玉造小町」は小野小町をモデルにしたと言われており、当時から彼女の美しさは広く知れ渡っていたようです。

今回は、玉造小町子壮衰書に描かれた「玉造小町」の食生活を掘り下げていきます。

「玉造小町」は架空の人物ですが、小野小町をモデルとしていることから、本人も似たような食生活を送っていたのではないかと推測できます。

海の幸、山の幸がずらりとならんだフルコース

鮭の干し肉、カツオの煮物、鮎のあつもの、ウズラの汁、マグロ、熊の掌、スズキの鮨、煎りハマグリ、マスの焼き物、うなぎ、鯉のなます、柿、桃、アンズ…

玉造小町の食膳には、日本各地から取り寄せられた海の幸、山の幸をふんだんに使った豪華な料理がずらりと並んでいました。

当時の最高級食材をたっぷり使った、豪華絢爛な食事が描かれています。

コラーゲンたっぷり!お気に入りだった熊の掌と魚介類

中でも、玉造小町のお気に入りだったのが「熊の掌」です。

イメージ

中国料理の高級食材といえば「ツバメの巣」「ふかひれ」、そして「熊の掌」がありますが、小町はそれをぺろりと平らげていたようです。

美味しいことは言うまでもありませんが、熊の掌には美容効果の高いコラーゲンが豊富に含まれています。熊の掌はアンチエイジング食材なのです。

また、タイやウナギにはタンパク質の一種であるコラーゲンが豊富に含まれており、身体の細胞の保水力を高めてくれる働きがあります。

ビタミンCが豊富な果物も欠かさなかった

コラーゲンの効果をブーストしてくれるのがビタミンCです。

同時に摂取することでコラーゲンがより効率的に体内で合成されるため、美肌効果を狙うなら同時に摂ることが望ましいとされています。
小町の献立を見てみると柿や桃、アンズといったビタミンCを豊富に含んだ食材も一緒に食べていたようです。

コラーゲン×ビタミンCという組み合わせの食事をしていた小町は、肌のアンチエイジングという観点ではかなり理にかなった食べ方をしていたということです。

科学がまだ発展していない時代にも関わらず、小町は自分の若さ、美貌を保てる食べ方を知っていたのかもしれませんね。

おわりに

玉造小町は、非常に美容効果の高い食事をしていたことが分かりました。

もちろん『玉造小町子壮衰書』は創作物なので、小野小町そのものの伝記と言えるかどうかは分かりません。

小野小町が本当にこのような食生活を送っていたかは確証はありませんが、平安時代の食事と美容に関する書物としては、興味深い史料と言えるでしょう。

参考 :
たべもの日本史 著:永山久夫
信長の朝ごはん龍馬のお弁当 編集:俎倶楽部
栄養学の基本がまるごとわかる事典 著:足立 香代子

 

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