大正&昭和

学校が「こっくりさん」を禁止した理由 〜子どもたちに起きた異常行動とは?

「こっくりさん、こっくりさん、おいでください」と唱えると、五十音や数字の書かれた紙の上で10円玉が動き出し、質問に答えてくれるという占い遊びのこっくりさんは、1970年代のオカルトブームにのって爆発的に流行しました。

しかし、子どもたちが熱中するのと同時に異常行動が散見されるようになり、こっくりさん禁止令を出す学校が相次ぎました。

子どもたちに起きた異常行動とは、一体どのようなものだったのでしょうか?

こっくりさんとは?

画像 : テーブル・ターニングの風景(19世紀・フランス) public domain

こっくりさんは、19世紀に欧米で流行していた「テーブル・ターニング」という占いの一種が、日本にもたらされたのが始まりといわれています。

当時のこっくりさんでは、竹を三叉に結わえ、その上にお盆やおひつの蓋を置いた装置が使われました。

降りて来るのは動物の霊と考えられており、「狐狗狸さん」の表記も見られます。

画像 : 宮武外骨『奇態流行史』より「コツクリ様といふ遊戯」(1922年)public domain

明治18年から20年にかけて初の全国的な流行をみた後、道具や方法などを変化させながら受け継がれてきたこっくりさんは、1970年代に『ノストラダムスの大予言』や、スプーン曲げ、心霊写真といった当時のオカルトブームと相まって、空前の大ブームとなります。

1970年代のこっくりさんの遊び方は、五十音と数字、鳥居などを書いた紙と10円玉を使って占う比較的シンプルなものでした。

全国の小中高生が夢中になり、特に中心となったのは思春期の女子生徒です。多感な時期にある彼女たちは、恋の悩みや勉強のこと、友人関係などを占っていました。

そして、こっくりさんの爆発的な流行とともに、さまざまな問題が起こり始めるのです。

学校でこっくりさんが禁止された理由

画像 : 女子学生イメージ public domain

こっくりさんの流行とともに現れた問題の一つが、イジメでした。

たとえば、教室で物がなくなった時、こっくりさんで犯人捜しをし、名指しされた子がクラス全員からイジメを受けるといったトラブルが起きています。

また、1980年(昭和55年)には、大阪府で中学2年生の女子がこっくりさんの「お告げ」を信じ、同じクラスの女子を集団リンチするという事件がありました。

被害者A子さんが友人宅でこっくりさんをやった際、「A子を襲え」という結果が出たため、一緒にこっくりさんをやっていた3人がA子さんに殴る蹴るの暴行を加えました。

顔面血まみれの状態で自宅に帰ったA子さんの両親が警察に通報して事件が明らかになったのですが、実は数カ月前から「A子を恨む」という結果がこっくりさんで出るようになり、その頃からA子さんに4人ないしは5人で暴力を振るっていたというのです。

こっくりさんの結果には、こっくりさんをしている者の強い潜在意識(予期意向)が反映されるため、参加者の中の誰かがA子さんに対して恨みに近い感情を持っており、「A子を襲え」という結果が出たのでした。

もはや、イジメとはいえない犯罪が起きる事態となり、こっくりさんは問題視され、学校で禁止令が出されるに至ったのです。

しかし、イジメ以上に世間を騒がせ、学校が子どもたちへの影響を危惧したのは、こっくりさんによる異常行動でした。

こっくりさんによって引き起こされた異常行動とは

画像 : 救急車 public domain

こっくりさんは遊びに留まらず、心身の異常を引き起こすことが多々ありました。

症状は、抑うつ状態や不眠、集中力困難感、集団ヒステリーなど多岐にわたっています。

集団ヒステリーは、強い不安や恐怖などによって引き起こされた身体症状や精神症状が、集団に伝染する現象です。

一例をあげると、1974年(昭和49年)7月15日、学校でこっくりさんをしていた中2の女子Aが過呼吸のような状態になり、意識を消失し床に倒れました。駆け付けた教師が頰を叩いて覚醒させましたが、翌日、友人のBとこっくりさんの話をしていたAは再び意識を消失。そのまま病院に運ばれ、1時間後に覚醒しました。

17日には、教室でこっくりさんの結果を気にして泣いていたBが意識消失をきたし、翌18日には教室でこっくりさんをしていたCが意識を消失。その数時間後には同じクラスのDが、これまたこっくりさんの最中に意識を失い、近隣の病院に運ばれました。

Dのすぐ後に、Eも同じ症状を呈し、同じ病院に搬送されたのですが、Eは「次に倒れるのは誰か」をこっくりさんで占っていたところでした。

同じ病院に運ばれてきたEを見たDが、再び同様の発作を起こしたため、集団ヒステリーの疑いで全員が精神科を受診し、その後は症状の再発もなく、全員が平穏な日々を取り戻したそうです。

後日、グループの一人は、「誰が自分に悪意をもっているか」「誰が仲間はずれになるか」の占いをするようになった頃から友人間の雰囲気が険悪になり、続けざまに全員が症状を発症したと語っています。

こっくりさんで異常行動をおこす人の特徴

画像 :『7つの望み』ヨン・バウエル イメージ public domain

こっくりさんは「最後にきちんと帰っていただかないと、祟られたり呪われたりする」といわれており、こっくりさんが帰ってくれず自分にのり移ってしまったと思い込み、心身に不調を訴える者もいました。

1974年(昭和49年)、中学1年生の女の子が学校でこっくりさんをした後、歩行困難となりました。

検査をしても特に身体に異常はなく、精神科にて催眠面接を行ったところ、「俺はこの子にのり移ったこっくりさんだ。邪魔するでないぞ」と男のような口調に変わり、面接を続けていくと「この子の両親がちゃんとしないかぎり、歩けなくなるぐらいではすまされないぞ!」と語り出したそうです。

実は、彼女の両親は夫婦仲が悪く、夫婦ゲンカが絶えないことを幼少の頃から悩んでいた彼女は、こっくりさんの口を借りて心のうちをさらけ出したのかもしれません。

こっくりさんの最中に起こる現象は催眠現象で、通常こっくりさんが終わると催眠状態から覚醒し正常な意識に戻ります。

しかし彼女のように、のり移られたと思い込み異常行動を起こしてしまう者も多く、その原因として以下のようなことが考えられるそうです。

(コックリさん遊びの)後遺症を呈するメカニズムにはいろいろ複雑な問題がふくまれるが、(略)持続的な感動体験(悩み、不安、不満など)を抱いている者が、コックリさん遊びをきっかけにヒステリー反応を起し、その結果、憑依状態を呈することにより現実逃避を果たした。『催眠学研究』

こうしたイジメによる事件や事故、異常行動による騒動が後を絶たず、全国的にこっくりさんを禁止する学校が増えていき、結果、ブームは下火になっていったのでした。

参考文献 :
・中島節夫、山角駿、住吉秋次(北里大学精神神経科)(1976)「コックリさん遊びの精神医学的考察」『催眠学研究』20(2)p37-43
・日下部康明、日下部和子(1979)「学校場面で多発した過呼吸症候群-思春期の”2人でのヒステリー”について-」『精神神経学雑誌』81(5) p301-310
・東京都立教育研究所 編『教育じほう』(325),東京都新教育研究会 1975-02 国立国会図書館デジタルコレクション
・一柳 廣孝『「こっくりさん」と「千里眼」 ―日本近代と心霊学―』講談社
文 / 草の実堂編集部

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