東京から車で約1時間。神奈川県小田原市のゴールデンウィークは、他の街とは違う賑わいを見せる。
3・4・5日の3日間にわたり「松原神社例大祭」が行われるのだ。氏子の町会神輿が街を練り歩き、本社神輿も登場する。今回は、そんな小田原の祭りに行ってきた。
小田原の神輿
小田原の祭りとして有名なのは、例年5月3日に行われる「北条五代祭り」があるが、これは観光客向けの祭りといっていい。
北条五代の歴代城主を模した武者行列が市中を練り歩く。その一方で小田原っ子の祭りといえば例大祭である。3つの神社の例大祭が同時に行われるが、一際注目なのが「松原神社」の祭りである。
行ったのは中日の5月4日。当日は快晴で立っていても汗ばむくらいの陽気だが、街中も熱気に溢れていた。
松原神社は、戦国時代にこの地を治めていた北条氏以降、歴代城主が崇敬してきた総鎮守とされている。小田原以外ではあまり知られていないが、全国的にみてもかなり熱い祭りだろう。松原神社例大祭は、漁師の祭りを起源としている。神輿を船に見立て、神輿を止めて「木遣り」を唄う。
漁師が息を合わせながら仕事をするときのための歌で、この歌が終えると、一気に「オイサー」「オリャサー」の掛け声と共に商店や地区の例祭事務所などに練りこみ、ご祝儀をもらう。こうしたスタイルは全国的にも珍しいようだ。
世代を超えたコミュニケーション
現在の小田原漁港は、小田原の隣駅である早川にあるが、かつては松原神社の近くにあり、魚市場もあったという。
松原神社周辺はまさに漁師町だった。大漁祈願・家内安全などを願い祭りが行われてきたのがルーツとされている。町内神輿で街を練り歩いた後は公民館や例祭事務所で休むのだが、この休憩時間も祝いの酒を片手に世代を超えてコミュニケーションがとられる。こうして町内の行事が受け継がれていくわけだ。
決められた時間になると、氏子が例祭事務所から本社神輿を担ぐために出て行く。
小田原担ぎ
町会神輿は、町会により回る時間が異なるため、時間の空いている氏子たちが本社神輿を担ぐのだが、これがまた一際大きい。
「小田原担ぎ」という独特の担ぎ方が特徴で、漁場での作業を再現したものとなっている。練り歩くときはゆっくりと「オイサー」「オリャサー」と歩き、先導する提灯を持った若い衆が振り向くと静止。そこから木遣りが始まり、唄い終えると激しい「オイサー」「オリャサー」の掛け声とともに一気に走るのだ。これが実に迫力がある。ちなみにこの掛け声は、網を引き上げるときの交互の掛け合いからきている。
町会神輿は全体で約30基ほどもあるため、街全体のどこかしらで神輿や、山車などを見ることができる。こうした数も全国的には珍しい。
公民館にて
ざっと街の様子を見たところで、祭りの裏側も見たくなり、公民館のひとつにお邪魔させていただいた。
祭りということもあり快く入れていただいたが、一階では婦人会の方々が休憩していた。
2階は担ぎ手たちの休憩所となっていて、大人たちと若い衆がそれぞれ休憩中。
話を聞くとカレンダーの3・4・5日には「例・大・祭」と書き込んであらかじめ予定を空けておく人がいるほどに熱さを感じる。
ここでもコミュニケーションの場となっていて「どこそこにマンションが建つ」「あそこはどうなる」など街の開発の話などで盛り上がり、地元愛を感じた。皆、飲める人は酒を片手に話をしているが、せっかくだからということで私も枡酒をいただいた。なんとも開放的だ。
小田原城へ
この日行われていたイベントは例大祭だけではない。小田原城のお堀の内側にある広場で「小田原城名物市」と「小田原城六斎市」が行われていた。
これらは「特産市」と「うまいもの市」のようなもので、飲食ブースなど様々な店が出店していた。例大祭が小田原っ子の祭りなら、こちらは北条五代祭りと同じく観光客のためのイベントである。小田原城天守閣が改装されてから観光客は一気に増加し、この日も大勢の観光客で賑わっていた。
1年ほど前にも天守閣に登ったが、この日は順番待ちの行列が出来ていたので断念した。
最後に
最終日の5日には神輿が続々と松原神社の鳥居目掛けて一気に突っ込んでいく「宮入」が見られる。
普段は静かな街だが、ゴールデンウィークは、街中も小田原城も一年で一番の盛り上がりを見せるのだ。来年のゴールデンウィークには小田原の祭りへ行ってみてはどうだろうか。
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