百貨店などで定期的に開かれる全国駅弁大会、
上野駅や東京駅など大きな駅では駅弁屋が盛況です。
そんな駅弁の歴史と現代の駅弁事情とについて調べてみました。
駅弁の定義
駅弁とは広義には「駅構内で販売される弁当」を意味します。
狭義には、社団法人日本鉄道構内営業中央会に加盟している業者が調理製造して駅構内で販売し、かつ米飯が入っている弁当のみを指します。
日本国有鉄時代には幕の内弁当を普通弁当、それ以外を特殊弁当と称しました。
「押し寿司」や長万部駅の「そば弁当」大船軒の「サンドウイッチ」は特殊弁当とされていました。
駅弁の歴史
日本初の駅弁は?
日本で初めて鉄道が新橋~横浜に開通したのが1872年(明治5)です。
駅弁発祥はこれ以降ですが、発祥の時期と駅については諸説あります。
1説.1877年(明治10)頃 大阪梅田駅
乗客が車外で購入2説.1877年(明治10)7月 神戸駅
1957年(昭和32)神戸駅発行「神戸駅史」に記載。立売弁当を販売。3説.1883年(明治16)7月28日 上野駅
1883年12月に日本鉄道株式会社発行の「改正日本鉄道規則及諸賃金明細案内」に記述
上野停車場構内で弁当料理ふぢのやの濱井啓次郎が販売4説.1883年(明治16)7月28日 熊谷駅
1883年12月に日本鉄道株式会社発行の「改正日本鉄道規則及諸賃金明細案内」に記述
すしとパンの販売の要望あり5説.1884年(明治17)5月1日 高崎駅
昭和31年11月19日配布の国鉄構内営業中央会発行「祝東海道線電化完成駅弁当のしおり」に記述あり6説.1885年(明治18)7月16日 宇都宮駅
白木屋旅館(のちの白木屋ホテル)が販売。ごまをふった梅干しのおにぎり2個とたくあんを竹皮に包んだもの ホーム売り5銭7説.1885年(明治18)7月16日 小山駅
駅弁屋「柏屋」が販売。海苔、油揚げ、玉子の「翁ずし」を販売、5銭
諸説ありますが、1885年の宇都宮駅説が一番ポピュラーとされ、7月16日は駅弁記念日とされています。
面白いことに駅弁の日は4月10日です。
1993年(平成5)日本鉄道構内営業中央会が制定しました。
「弁当」の「とう」から10日、アラビア数字の「4」と漢数字の「十」を合成すると「弁」の字に見えることから制定されたようです。
駅弁が広まった明治時代
1889年(明治22)7月1日、東京~神戸間に東海道本線が全通します。それに伴い駅弁の販売や食堂車の営業も広まり始めます。
1889年、姫路駅で初めて、幕の内弁当が販売されます。
1890年、一ノ関と黒沢尻駅で特殊弁当の海苔巻き寿司が販売
1899年、初めて食堂車が走ります。
当時の駅弁の掛け紙は素朴な木版刷りでした。
第一次世界大戦~第二次世界大戦期の駅弁
日清・日露戦争に勝利し、好景気に沸く日本では、駅弁の掛け紙のデザインも「大正モダニズム」の香るラベルが登場します。
満州鉄道が走る朝鮮や満州にも駅弁が登場します。
好景気と共に物価も上昇、明治末期に25銭程度だった2段重ねの上等弁当は、大正時代に入り30銭、あっという間に40銭まで値上がりしました。
1929年(昭和4)世界恐慌のあおりを受け、上等弁当は30銭まで値下がりします。
1940年(昭和15)米穀統制令で駅弁にも雑穀が混じり、そば海苔巻き、おいも弁当、蒸しパンが登場します。
1945年(昭和20)7月終戦直前「外食券制度」により駅弁が変えなくなります。
軍弁
日本軍の部隊が演習・出征などにより鉄道移動する際の車内での食事用に軍から駅弁業者に発注されたものを軍弁といいました。
戦時中の厳しい食料事情の中、駅弁業者は簡素でありながらも大きな需要に応えてきました。
戦後の時代
1946年(昭和21)駅弁業者の団体、社団法人日本鉄道構内営業中央会が設立されます
食糧難とインフレは続き、1951年までに駅弁はどんどん値上がりしていきます。
1950年(昭和25)外食券なしでパンやうどんは自由に買えるようになります・
1952年駅弁業者が生産者から屑米の配給を受け、等外米お弁当を販売します。ご飯の入った駅弁らしい弁当の復活です。
戦後の復興期
戦後旅行ブームが到来します。
1956年(昭和31)東海道本線の全線電化が完成。
1958年(昭和33)には特急「こだま」にビュッフェ車が登場します。
この年に横川駅に「峠の釜めし」が売り出されます。
1964年(昭和39)東海道新幹線開業、高度経済成長期の波に乗り駅弁も多様化、特殊弁当も多く売り出されます。
1956年から63年まで駅弁業者の数はピークに、全国で業者の数は400を超えました。
全国各地の大きな駅には、到着した列車の窓から販売員が駅弁を売る、立ち売りが多くみられました。
デパートでの駅弁販売の始まり
1953年(昭和28)大阪のデパートで始まります。
1960年(昭和35)より駅弁大会が始まり、全国に広がります。
駅弁立ち売りの禁止
1964年(昭和39)に開業した東海道新幹線は、ホームで駅弁の立売をすることは危険だという理由から禁止されました。
現代駅弁事情
鉄道の高速化、在来線の特急などの停車時間の短縮で、駅弁はホームで買いにくくなりました。
1975年(昭和50)自家用車の増加により鉄道離れ、外食産業の発展でファストフードやコンビニ弁当の普及によって駅弁産業は廃業、駅からの撤退、仕出し弁当のみの業務縮小など大打撃を受けます。
しかし、駅弁業界は
1 地域色の強い特殊弁当の開発
仙台駅「牛たん弁当」、新津駅「ひらめずし」、富山「ますのお寿司」2 経営の多角化・効率化を図る
駅弁だけではなく、仕出し弁当を手掛ける傍らドライブイン、外食産業など経営の多角化、工場生産などの効率化3 駅弁大会などのイベントへの参加や通信販売の開始
一部の百貨店で始まった駅弁大会は、1990年から全国のスーパーなどで客寄せのイベントとして急激に拡大します。
ホームページを利用して通信販売をする業者も増え、年間の売り上げを駅弁大会や通信販売で稼ぐ業者も増えています。4 加熱式弁当・キャラクター弁当・提携駅弁当などニーズに合わせて新しい弁当の開発
ハローキティ弁当(札幌、仙台、高崎、東京、小田原、敦賀、宝塚、岡山、小倉)
プロ野球応援の弁当(札幌、仙台、千葉、大阪、甲子園口、折尾)
などの様々な工夫を凝らし衰退を食い止めようと頑張っています。
駅弁まめ知識
時刻表に記載の「弁」マーク
全国の鉄道路線ダイヤを収録した「JR時刻表」「JTB時刻表」
この時刻表には、各路線の列車の運転時刻が表示される最初のページで駅弁を販売している駅には「弁」マークが、ページの下部には各駅で販売される弁当のメニューと価格が表記されていました。駅弁購入の情報ツールとして便利なアイテムでした。
残念ながら「JR時刻表」には2019年9月をもってこの「弁」マークは廃止されてしまいました。
https://www.j-cast.com/2019/08/30366175.html?p=all
かつて国鉄時代に国鉄の許可を得た、日本鉄道構内営業中央会に加盟している駅弁業者の情報のみ掲載していることから、それ以外の弁当も手軽に購入でき、時刻表自体もアプリにとって代わる現代には不向きであるという判断のようです。
「JTB時刻表」の方はいまだ掲載続行です。
日本で一番売れている駅弁
その数なんと1日焼く2万3000個!崎陽軒のシウマイ弁当です。
1950年(昭和25)チャイナドレスに身を包み、駅の構内でシウマイを売り歩くシウマイ娘は、1952年(昭和27)毎日新聞に掲載されて獅子文六の小説「やっさもっさ」にも登場し、翌年佐田啓二、淡島千景らのキャストで映画化され、映画の人気でこのシウマイ弁当は全国的に知れ渡ることとなります。
シウマイ弁当についているコレクターも多くいる醤油さしのひょうちゃんは、「フクちゃん」を描いた漫画家横山隆一さんが原画を書いています。
日本で一番、値段の高い駅弁は?
日光市の日光鱒鮨本舗株式会社の、日光埋蔵金弁当が18万円です。
鱒寿司、和牛ステーキ、タラバガニ、車エビ、キャビア、からすみ、日光ゆば、和菓子
村上豊八商店日光彫りに漆塗り、金粉使用の重箱と箸
http://www.masuzushi.com/maizou/maizou15.html
全国絶賛人気駅弁ランキング14
JR東日本駅弁味の陣の大会受賞弁当、東京駅売り上げ上位駅弁、全国駅弁催事情報、旅ルポ情報を元にされました。
・14位 群馬 峠の釜めし弁当
・13位 鳥取 ゲゲゲの鬼太郎丼
・12位 福井 越前かにめし
・11位 高崎 鶏めし弁当
・10位 東京 東京弁当
・9位 新潟 えび千両ちらし
・8位 横浜 シウマイ弁当
・7位 岩手 平泉うにごはん
・6位 北海道森駅 いかめし
・5位 東海道新幹線の停車駅 日本の味博覧
・4位 大船 大船軒のサンドウィッチ
・3位 明石 ひっぱりだこ飯
・2位 福島 海苔のりべん
・1位 山形 牛肉どまん中
海外の駅弁事情
弁当自体が海外にあまりない食文化なので、当然駅弁もほぼ日本だけの文化です。
台湾などではいくつか有名な駅弁もありますが、東西南北に国土が広がる日本と異なり、各駅特有の地場食材を使った特徴のある駅弁がこれほど豊富なのは日本だけです。
ちなみに駅弁マニアの方が海外の駅弁も食べ歩きをして、紹介しているサイトがあります。
http://kfm.sakura.ne.jp/ekiben/610kaigai.htm
各国の特色が出ていて面白いですね。
これからも駅弁を楽しみましょう。
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