ミリタリー

エーリヒ・ハルトマン 【史上最多撃墜数のドイツ空軍の黒い悪魔】

史上最多の撃墜王 エーリヒ・ハルトマン

エーリヒ・ハルトマン

※エーリヒ・ハルトマン 1943年

エーリヒ・ハルトマンは、第2次世界大戦において352機という撃墜数を挙げた、ドイツ空軍のエースパイロットのみならず世界最多を誇った戦闘機パイロットです。外見は華奢なイケメン風ですが、優れた動体視力を誇り黒い悪魔と恐れられました。

ハルトマンはその卓越した撃墜数から、永い戦歴を持つ軍人と思われるかもしれませんが、初の撃墜は1942年11月と遅く、ここから1945年5月までの約2年6ケ月で、そのすべてがソ連軍機との空戦の戦果だった人物でした。

同じドイツ空軍の戦闘機パイロットであり、ハルトマンに次いで301機を撃墜したゲルハルト・バルクホルンの初の撃墜が1941年の7月だったことと比較しても、1年4ケ月も短い期間でそれを上回る実績を残したことになりした。

黒い悪魔の異名

ハルトマンは、最初から順調に撃墜を出来た訳ではありませんでした。

1940年10月にドイツ空軍へ入った彼は、機銃の射撃訓練では秀でた成績を残したとされていますが、初の実戦となった1942年10月には友軍機を敵機と勘違いして逃げ回ったとも伝えられています。

そうして実戦に突入したハルトマンは、1943年3月にようやく5機ほどの撃墜数を挙げたに過ぎませんでした。

※クルクスの戦い

そうした中、ハルトマンが撃墜数を向上させたのは、陸上では史上最大の戦車戦となった1943年7月のクルスクの戦いにおいてでした。

翌月までに50機の撃墜を達成したハルトマンは、同年の9月には100機の大台を突破し、愛機に黒いチューリップを描いていたことから、ソ連側からは「黒い悪魔」と呼ばれました。

このペイントを見た敵機が戦闘を避けるようになり、それを止めるまで一時的に撃墜数が減ることになったと伝えられています。

味方の犠牲なし

※ハルトマンらに供与された戦闘機と同型のBf109G

ハルトマンはその華々しい戦果から想像される印象とは異なり、戦闘機同士の格闘戦を可能な限り避けて味方機を失わない戦いを徹底していました。

つまり撃墜するより、されないようにして、攻撃は奇襲とすることを徹底していたのです。

攻撃は奇襲での一撃のみとする戦法を旨とし、勝利とは撃墜されないことと考えたと言われています。

殊にハルトマンが秀でていた点は、出撃した戦いすべてにおいて、味方の機を失うことがなかった点でした。一度味方機が撃墜されたことはありましたが、パイロットは生還したため、戦死した味方は一人もいなかったと伝えられています。

日米との違い

独ソ戦の東部戦線においては、ハルトマンのみならず、前述のバルクホルンなど多数の戦闘機パイロット達が100機を超える撃墜数を記録しました。

これらは、太平洋戦争における日米と比較した場合、桁違いな戦果ですが戦闘機パイロットとしての技量が格段に高かったという訳ではありません。

最もその違いに影響を与えたものは、戦場の下が広大な地続きであり、戦う場所までの距離が近かったこととされています。

事実ハルトマン自らも16回撃墜されていますが、地上を歩いて生還するなど再度出撃することが出来ました。

これに比べ日米では広い海に落ちた場合、そのほとんどが生還することは出来ず、一度でも撃墜されればそれは即座に死を意味していました。

戦後も空軍に復帰

1945年ドイツの敗戦後、ハルトマンはアメリカ軍へ投降しまたが、連合軍内の取り決めからソ連へと送られ、そこで戦争犯罪人とされて重労働の刑を科せられることになりました。

ようやく10年後、当時の西ドイツとソ連との交渉の結果、抑留されていたハルトマンらは帰国することが出来ました。
西ドイツへ戻ったハルトマンは、戦後のドイツ連邦空軍に迎えられここで戦闘機パイロットへの復帰を果たしました。

しかし軍が採用を進めていた戦闘機の機種に異を唱えたことから、上層部に疎まれて1970年には退役することになりました。

その後1993年9月まで生きて病没、稀代の撃墜王はその71年の生涯を終えました。

関連記事:
坂井三郎について調べてみた【2000年まで生きた零戦の撃墜王】
紅の豚のモデル?!レッド・バロンと呼ばれた男【WW1シリーズ】

  • Xをフォロー
好きなカテゴリーの記事の新着をメールでお届けします。下のボタンからフォローください。

swm459

投稿者の記事一覧

学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

草の実堂Audio で聴く

コメント

    • 名無しさん
    • 2020年 12月 03日 2:51pm

    こんだけやっても貰えない宝剣付黄金柏葉騎士鉄十字勲章 ルーデルはやっぱレベチ

    0 0
    50%
    50%
  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 『サザエさん』を生んだ長谷川町子の人生とは 「15歳で漫画家デビ…
  2. 【MA-1ブーム再燃!】フライトジャケットの魅力
  3. ラスプーチンの怪奇な能力について調べてみた【ロシアの怪僧】
  4. モスクワの戦いについて調べてみた【冬将軍到来】
  5. 【童謡詩人・金子みすゞ】なぜ26歳で自殺したのか? 亡くなる直前…
  6. マリアナ沖海戦の一方的勝利を演出したアメリカの技術・レーダーとヘ…
  7. 第一次世界大戦・地上の主力は大砲だった【WW1シリーズ】
  8. 明石元二郎 〜日露戦争の影の功労者【一人で日本軍20万に匹敵する…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

『国王をも改宗させた寵姫』王妃になれなかったガブリエル・デストレの悲劇

16世紀のフランスは、政情不安が続き、宮廷内も混乱に満ちた時代でした。このような状況…

日本の呪術について調べてみた

「希望」「愛」「怒り」「憎しみ」人間の力が及ばない世界に働きかける「呪術」という行為は、世界に共…

疋田豊五郎(景兼)【柳生石舟斎より強かった?新陰流の四天王】

疋田豊五郎とは疋田景兼(ひきたかげとも)通称豊五郎(ぶんごろう)は剣聖として名高い新陰流…

西郷隆盛の手紙が約100年ぶりに発見 「大久保利通に宛てた直筆の手紙」

幕末の英雄、西郷隆盛の手紙が100年ぶりに発見3月22日、滋賀県は琵琶湖文化館に預けられた古…

まつと前田利家のエピソード 「加賀百万石の存続」

江戸時代、加賀百万石の大名として栄えたのが前田家である。その礎を築いたのは戦国大名「前田利家…

アーカイブ

人気記事(日間)

人気記事(月間)

人気記事(全期間)

PAGE TOP