ミリタリー

風船爆弾について調べてみた【実はアメリカ本土に着弾していた】

第二次世界大戦での最長距離到達兵器

風船爆弾

風船爆弾」は、太平洋戦争の中期から後期にかけて日本軍によって開発され、後期に実用化された兵器のことです。

「風船爆弾」は戦後の一般名称であり、当時の軍の正式な名称は「気球爆弾」であったと言われています。
この兵器は日本からアメリカ本土まで太平洋を横断させた気球に爆弾を搭載したもので、第二次世界大戦で使用された兵器としては、最長の距離を記録したものでした。

長距離攻撃用の兵器と言えば、ドイツが開発したV-1号や、V-2号などのロケット兵器がよく知られていますが、そうした最新のテクノロジーに寄らない兵器として実用化されたものでした。

風船爆弾 アメリカは箝口令で対応

「風船爆弾」は陸軍での秘匿名称は「ふ号兵器」と呼称されていました。

初めて「風船爆弾」が使用されたのは、1944年(昭和19年)11月3日でした。千葉県の上空を飛行する軍用機から放たれたとされています。以後翌年の1945年(昭和20年)の3月にかけて約6000個から約9000個もの「風船爆弾」が、千葉・茨城・福島の3地点から放たれ、その中の約355個がアメリカ本土の全26州に到達したとされています。

この数字は少ないと感じられるかもしれませんが、当時の爆撃機による爆弾投下の命中率を上回るものであり、日本側が作戦を継続した場合、重大な被害が発生することもアメリカでは予想されました。

このためアメリカは報道機関への箝口令を敷き、日本側に戦果が悟られないようにすることで無意味な作戦と思わせる戦術をとりました。
この「無視」作戦はアメリカの思惑通りの結果を生み、日本は1945年(昭和20年)3月までで「風船爆弾」による攻撃を中止することになりました。

1930年代に着想

「風船爆弾」は、1930年代初頭に陸軍において着想されたと伝えられています。

当初このアイデアは軍に採用されなかったものの、1939年(昭和14年)に関東軍で研究が進められ、翌年には神奈川の陸軍登戸研究所において実用化されました。

「風船」部分は和紙にコンニャク糊を練り込んだ素材が使用され、直径約10mにもなりました。「風船」の使用用途は宣伝ビラの散布で、後の爆弾を積載することは想定されていませんでした。

これが1942年(昭和17年)の秋頃に、中央気象台から偏西風を利用することでアメリカ本土への攻撃を行うという案が出され「風船爆弾」の具体化が進むことになりました。

陸軍と海軍の邂逅

当時、日本の陸軍と海軍とは敵対関係にあり、それぞれが個別に気球を用いた兵器を開発していました。前述のように陸軍では気球部分の開発は進んでいましたが、宣伝ビラの散布が主目的でした。

海軍では爆弾を積載した気球を開発するコストや耐久性が問題となり、一旦計画が休止されていました。

この状況が陸軍にも共有されたことで「風船爆弾」は海軍が発案、陸軍が実施を担当する「ふ号作戦」として動きだしました。

ジェット気流の認知

「風船爆弾」の計画を具体化させたものは、自然現象の偏西風でした。正確にはこの中の一種のジェット気流です。

これは北半球の高高度において北極を中心として反時計回りに常時吹いている強い風でした。このジェット気流に乗った気球は日本から約50時間でアメリカへと到達しました。

当時、第二次大戦以前ににジェット気流を認知していたのは日本のみで、気象学上発表は行われていましたが注目されていなかったとされています。

ジェット気流を認識していなかったアメリカでは、「太平洋上の日本軍の極秘基地の存在」や「生物・化学兵器の積載」などの脅威を感じて衝撃を受けたとされています。そんなアメリカがジェット気流の存在を認識したのは、B-29などを用いた日本本土への空襲を行うようになってからだったとされています。

科学技術でアメリカに劣った日本でしたが、この分野の研究では先行していた稀有な兵器でした。

 

アバター

swm459

投稿者の記事一覧

学生時代まではモデルガン蒐集に勤しんでいた、元ガンマニアです。
社会人になって「信長の野望」に嵌まり、すっかり戦国時代好きに。
野球はヤクルトを応援し、判官贔屓?を自称しています。

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 【日本史を動かした異国の神様】 謎に包まれた八幡神とは?
  2. 最新の超音速旅客機【ソニックブームを克服せよ!】
  3. 長宗我部氏-始まりから四国平定まで
  4. 中世の騎士の生活 「鎧は高額だった」
  5. 「源頼朝の肖像画は別人だった」 今と昔でこんなに違う歴史教科書の…
  6. 「偉かったのはどっち?」日本では『神と仏』 どちらが上位とされた…
  7. 第一次世界大戦・地上の主力は大砲だった【WW1シリーズ】
  8. 戦国時代の人口について調べてみた

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

誕生日石&花【11月21日~30日】

他の日はこちらから 誕生日石&花【365日】【11月21日】気品があり社交的。発想が豊かで創…

高橋紹運について調べてみた【立花宗茂の実父】

高橋紹運 の生い立ち高橋紹運(たかはしじょううん)は天文17年(1548年)に大友義鑑(…

オディロン・ルドン 【幻想を描いた孤高の画家】~花恐怖症とは

読者の皆さんはオディロン・ルドンという画家をご存じだろうか。ルドンは印象派の巨匠クロ…

【イレズミは悪か?】日本のイレズミの歴史 ~縄文の伝統と江戸の刑罰、そして現代まで

多くの日本人にとっては、「イレズミ=不良文化」といったイメージが根強いだろう。若年層のファッ…

万里の長城は時代と共に変化していった 「春秋、秦、漢、金、明」

中国大陸の誇る世界遺産万里の長城とは、中華人民共和国に存在する城壁の遺跡である。ユネスコ…

アーカイブ

PAGE TOP