真里谷円四郎とは
真里谷円四郎(まりやえんしろう)とは、純粋な剣理を追求した「無住心剣流(むじゅうしんけんりゅう)」の最強の使い手とされた剣豪である。
「無住心剣流」というのは、子供の戯れのような無垢な心で剣を使うことを求める、禅問答のような特殊な剣術だった。
今回は、他流試合を千回行いただの一度も不覚を取らなかった最強の剣豪と呼ばれた男・真里谷円四郎について解説する。
出自
真里谷円四郎は元の名前は「山名勝之助(やまなかつのすけ)」といい、寛文2年(1662年)に上総国の真里谷村(現在の千葉県木更津市近辺)で生まれた。
幼い頃から剣術で身を立てようと江戸に出て、無住心剣流二代目宗家・小田切一雲(おだぎりいちうん)に学んだ。
師である一雲は「無住心剣流」の開祖・針ヶ谷夕雲(はりがやせきうん)の思想をさらに徹底し、怒りを忘れ私利私欲を離れた「柔和・無拍子」を哲理とした剣豪であったという。
無住心剣流の歴史と心得
無住心剣流の開祖・針ヶ谷夕雲は「真新陰流(しんしんかげりゅう)」の開祖で幻の技(秘術)「八寸の延金」を編み出し、当時敵なしの剣豪と言われた小笠原長治(おがさわらながはる)の一番弟子であった。
針ヶ谷夕雲は「八寸の延金」を唯一継承した男であり、生涯52回の試合を行い一度も敗れなかったという。
しかし仕官をせずに、40歳を過ぎた時に本郷駒込の龍光寺・虎白和尚のもとで参禅するようになると、突然「真新陰流」を捨てた。
夕雲は
我より劣った者には勝ち、我より勝った者には負ける。技量が同じならば相打ちとなり全くラチがあかない。こんなものは畜生剣法と呼ぶべきである。
むしろ高い境地に至った者同士であれば、互いに剣を交える前に相手の力量を感じ取り、戦わずして剣を納める。
という境地にいたり、これを「相抜け(あいぬけ)」と称した。
「真新陰流や八寸の延金」も虚構のものに過ぎないとし、新たな「無住心剣流」の開祖となった。
その夕雲と円四郎の師・一雲は、三度立ち会って三度とも「相抜け」となり、一雲が「無住心剣流」の二代目継承者となったのである。
最強の男誕生
円四郎は修業の甲斐あって、25歳の時に師・一雲から免許皆伝を受け、同じように師と試合を行った。
ここで「相抜け」となれば問題はなかったが、円四郎は一雲と二度立ち会って二度とも勝ってしまったのである。
このため一雲は潔く円四郎の剣技を認め「無住心剣流」を円四郎に託した。
「無住心剣流」は、太刀を眉間まで引き上げて落とすという太刀捌きのみで相手に対応するユニークな剣術だったとされている。
剣の神髄を得た円四郎は千度の他流試合を行い、一度も不覚を取られなかった。
円四郎の外見は白髪頭(後年)で、細めた瞳、釣り上げた口角、いつも酔っているかのようにフラフラと歩いていたという。
常にヘラヘラと笑い、人を喰ったような言動で他人を煙に捲き、誰に対しても馴れ馴れしい態度で接し、当時最強の剣術の使い手とは思えないような人物であったという。
最強剣術の途絶え
「無住心剣流」は、禅問答のような特殊な剣術であったことから、弟子たちには中々その神髄は伝わらなかった。
円四郎は弟子たちに「生まれついたままの純粋な赤子の心でもって種々の分別を離れ、外面に捉われることなく、ただ刀を引き上げて自然の感ずるところ、落ちるべきところへ刀を落とすだけ」と神髄を教えたが、それを聞いても理解できないのが普通である。
まるで禅の悟りに等しい剣理を追い求めた「無住心剣流」は、最強の使い手・真里谷円四郎を最後に継承者が現れず途絶えてしまった。
中国(明)に渡って柔術を学び、それを剣術に活かした幻の秘術「八寸の延金」を編みだした小笠原長治は、剣聖・上泉信綱を超えたとまで評された。
その秘術「八寸の延金」を受け継いだ唯一の人物である針ヶ谷夕雲は「相抜け」という禅の悟りのような境地に辿り着き、秘術「八寸の延金」は幻となった。
針ヶ谷夕雲と三度立ち会い「相抜け」の境地に辿り着いた小田切一雲、その一雲と二度立ち会い、二度とも勝ってしまった最強の剣豪・真里谷円四郎、彼の境地と強さに辿り着く弟子は現れなかったのである。
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来ました「真里谷円四郎」千勝無敗の剣豪は剣豪界一の実績だが、実際にどのような相手とどのような立ち合いをしたのか、全く謎の剣豪なんですよ!
剣豪好きな私が調べた中で1000勝無敗、最強な勝率な男が
真里谷円四郎だ。
剣聖・上泉信綱から奥山公重、小笠原長治、針ヶ谷夕雲、小田切一雲からの真里谷円四郎、師に遠慮しないで合抜けにならず連勝した場の空気を読まない最強剣豪が彼です。
宮本武蔵や柳生連也斎と勝負が見てみたい、私が思う剣豪です。
催眠術を使う松山主水とも勝負させたい、江戸の剣聖・辻月丹とも似ている感じが大好き
さすがは(草の実堂さん)いいとこ来たね、最高
この地球上で独学独力で悟りに到達した者は釈迦と私だけです。元佛教大学教授の袴谷憲昭氏は維摩経批判を展開して維摩経のことを似非仏教呼ばわりしていたので「維摩経批判の誤り」として私のホームページに掲載しましたがエッジとグーグルのどちらでもトップにランクされているので簡単に見ることができます。その「維摩経批判の誤り」の冒頭部分に、辻月旦と針ヶ谷夕雲の事を禅の悟りからヒントを得て無外流と無住心剣流が誕生したことを記していますが興味があったら一度ご覧になってはいかがですか。