江戸時代

剣豪・平山行蔵 〜生まれる時代を間違えた「べらぼうめ」

平山行藏とは

剣豪・平山行蔵

平山行蔵肖像『近世名家肖像』より

平山行蔵(ひらやまこうぞう)とは、江戸時代後期の幕臣で武芸百般に通じる兵法家、忠孝真貫流(後の講武実用流)を起こし「地獄稽古」と言われる厳しい修行を行い、常に「べらぼうめ」が口癖だった剣豪である。

幕末の剣聖と謳われた、男谷精一郎勝小吉(勝海舟の父)に多大な影響を与えたことでも知られる。

幕府に北辺防衛の建白書を提出して謹慎をくらい、道場を閉鎖させられた豪快な人物だが、和漢の書物8,000冊を読破して学問にも造詣が深く、間宮林蔵・近藤重蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれた人物でもある。

背丈が低かったのに長刀を差し、天下無双の横綱・雷電為衛門と力比べをして3連勝したという生きる伝説の男でもあった。

生まれる時代を間違えた「べらぼうめ」剣豪・平山行蔵の生涯について解説する。

生い立ち

平山行蔵は宝暦9年(1759年)江戸幕府の御家人で伊賀組同心・平山甚五右衛門の子として生まれた。
祖父・父とも剣をよく行い、母もまた「髭なしますらお」と呼ばれるほどの女傑であったという。

そんな剣術一家に生まれた行蔵は、真貫流の山田松斎に剣を学んだ後、自らの流派「忠孝真貫流」を起こし、後に「講武実用流」と称した。

行蔵は父と同じ伊賀組同心として30俵2人扶持の微禄でありながら、四谷北伊賀町(現在の東京都新宿区三栄町)の稲荷横丁にあった自宅に、道場「兵聖闇武道塾(兵原草虜)」を構えていた。

行蔵の師である山田松斎は「女は修行の妨げ」と言って自分の一物を斬って捨てたと言われた男で、行蔵はそこまではしなかったが、修行に明け暮れて生涯独身を通したという剣の猛者であった。

行蔵は自ら道場を構えても兵法修行を怠らず、軍学を斎藤三太夫(長沼流)、槍術を松下清九郎(大島流)、柔術と居合を渋川時英(渋川流・柔術は竹内流も)、砲術を井上貫流左衛門に、それぞれ学んだ。

この他にも水泳・馬術・弓術・棒術などを学び、いわゆる「武芸百般」に通じていた。

また、学問についても和漢の書物8,000冊を読破し、昌平黌で古賀精里に学んだ儒学を基礎に、農政や土木学に至るまで習得した文武両道の人物だった。

地獄稽古

剣豪・平山行蔵

イメージ画像 illustAC ニッキー

行蔵は毎朝、寅の刻(午前4時)に起きて冷水を浴び、9尺(約270cm)の棒を振ること500回、4尺(約120cm)の居合刀を抜くこと300回、丸太に鬼の面を立てかけてこれを8尺(約240cm)の樫の棒で打っていたという。

元々、行蔵が修行した真貫流は、剣聖と名高い上泉信綱の高弟である丸目蔵人に師事した奥山左衛門太夫が開いた流派で、行蔵の道場「兵原草虜」は地獄稽古で名高かった。

行蔵の剣談には独特の見識があった。

「剣術の要諦は、敵を打つ一念をまっしぐらに敵の心に貫通さすことにある。すなわち必死三昧である。よく戦う者は人に致されることはない。いたすのは主で、致されるのは客である」

「敵の打ち込んでくるのを受けたり流したりする稽古は人に致されるものである。だから、このような稽古を幾ら積んだところで、受け流しの名手となるばかりで、敵を制する呼吸はつかめない」

そうとう独断と偏見が目立つ意見であり、行蔵は「武人においては敵の刀刃を前にしても精神がくじけないように心胆を固める。つまり、まずは精神を鍛えねばならない」という重要な真理をついているのである。

門人たちは激しく厳しい「地獄稽古」を科せられたという。

行蔵の門人には、別格筆頭の相馬大作(下斗米秀之進)の他、平山の四天王と呼ばれた吉里信武(呑敵流)、妻木弁之助、小田武右衛門、松村伊三郎がいる。
※一説には幕末の剣聖こと男谷精一郎も四天王の1人だったともされている。

その男谷精一郎の従兄弟・勝小吉(勝海舟の父)も行蔵の門弟の1人で、勝小吉はヤンチャで暴れん坊だったが、行蔵の話に耳を傾けたために好かれ、稽古を真面目に取り組み、その稽古で息子・海舟を厳しく鍛え上げたという。

行蔵はこの当時、外国船が日本近海に度々現れていることを憂い、海防や国防を説いた。そのことを勝小吉は息子・海舟に教えている。

勝海舟が幕臣として活躍する一端には、行蔵の影響があるとも言えるのだ。

行蔵の生活振り

行蔵は平生読書をしつつ、槻(けやき)の木の板2尺(約60cm)四方のものに拳を突きあてる習慣があり、そのため拳が石のように固まってしまい、「拳で胸板ぐらいは楽に突き砕ける」といつも豪語していた。

剣豪・平山行蔵

鎧 イメージ画像

行蔵はいつも燃えるような気迫を持った男で、61歳まで武器や武具と一緒に板の間や土間で寝具を使わずにそのまま寝ていたし、甲冑を着けたまま寝ることも多かったという。

居間には長刀・木刀・長竹刀・槍など数十本に始まり、大砲・抱え筒・鉄砲・鉄棒・薙刀などの武具、具足柩、木箱が乱雑に詰め込まれ、庭は草がボウボウという有様であった。
玄関には「他流試合勝手次第。飛道具その他矢玉にても苦しからず」と書いた板を掲げていた。

まるで常に戦国時代にいるような変わり者であったという。

扶持米を俵のまま玄関に置き、食事は常に玄米を食し、副菜は味噌と香の物という質素なものだったが、冷や酒を呑むことだけは年老いてもやめず、居間の押し入れに酒の入った4斗樽を据え付けていた。

晩年中風になって体が不自由になっても、酒だけはやめなかったという。

晩年の逸話

晩年の逸話としては、泰平の世となり座敷武芸となり果てた林道場との抗争や清水道場との遺恨、元相撲取りの満天山との素手での戦いがあったとされている。

文化10年(1813年)に幕府に北辺防衛の建白書を提出するが、その内容が過激すぎると咎めを受けて道場「兵原草虜」を閉鎖せざるを得なくなる。

終生「」一辺倒の人物だったが、高名な幕府用心や儒学者などとも交流が深く、世の文弱な風潮に噴激しながら文政11年(1828年)12月14日に70歳で死去した。

おわりに

平山行蔵は事理一体観に基盤を置いた近世稀に見る兵法家であり、総数2,980巻、1,085部の莫大な和漢の兵書名、362種の戦地兵器類を収集していた。

もし、戦国時代に生まれていれば武芸者・兵法家として重宝されたと思うが、平和な時代にあって行蔵の「武」への追及は行き過ぎで変人と言われても仕方がなかった。

そんな変人でも交流の幅が広く、間宮林蔵・近藤重蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれ、外国の脅威(北辺警備)を幕府に建白した日本の将来を見据えていた人物でもあった。

 

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コメント

  1. アバター
    • 名無しさん
    • 2022年 6月 29日 6:25am

    幕末って数多くの剣豪が出たんですよね、戦国時代以来外国の脅威があったから、だから幕末の剣聖・男谷精一郎やなどが知りたいなあ。

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  2. アバター
    • 名無しさん
    • 2022年 6月 29日 6:41am

    なんかこれに出てきた勝海舟のお父さん「勝小吉」ってすごい人だったらしいですね。知りたいなあ?

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  3. アバター
    • 名無しさん
    • 2022年 6月 29日 6:46am

    この記事に出てた勝海舟のお父さん「勝小吉」ってすごい人物だったらしい、知りたいなあ。

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  4. アバター
    • 名無しさん
    • 2022年 6月 29日 6:55am

    ごめんなさい、同じ勝小吉を2つ書いてしまいました。でも本当にしりたいんです。

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    • 時代劇ドラマ大好きおやじ
    • 2022年 6月 29日 9:39pm

    NHKのBSドラマで「小吉の女房」をやってましたね、私も知りたいです。

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