夢枕縛の小説「陰陽師」を初めとして起きた陰陽師ブームも、今ではすっかり落ち着いている。
しかし、「安倍清明」の名は日本に定着し、陰陽師という職についての知識も一般的に広まった。フィクションのように派手な術を使うわけではないことも。しかし、陰陽師は、知識の探求者でもあった。この世界を形作る根源を求めるべく、彼らは哲学的なアプローチを試みたのである。
その過程で生み出された副産物が魔除けの術であった。
森羅万象を紐解く
中国の春秋戦国時代ごろ(紀元前770年~紀元前221年)に発生した、陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想を「陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう)」といい、陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになった。
陰陽思想も五行思想も自然を観察した結果の哲学だ。
世の中のすべてには陰と陽に分けられると考えられるのが「陰陽思想(いんようしそう)」である。五行思想は、万物が木、火、土、金、水の5元素から構成されているという理論で、互いに影響しあって世界が変化、循環しているとする。
現代でも使われている十二支にも陰陽と五行が配されている。その前提として、季節に対応する五行(五時または五季)は、春が木、夏が火、秋が金、冬は水である。土はどこへ来るかというと、四季それぞれの最後の約18日(土用)である。有名な「土用の丑の日」は夏の最後の時期(土用)の丑の日(丑は土の五行)ということである。
いささか分かりにくいが、例を挙げてみよう。
五行が互いに影響するということは「木が燃えて火を生む、火が燃えた後には炭となって、土に還る」といった具合になり、これに季節を当てはめると「春は草木が芽吹く季節なので木、夏は暑い季節なので火」というように配される。
このように、季節の他、方角など森羅万象に五行が配されており、その知識を基礎として占いや観測などに使用していた。
陰陽寮
※讃岐に流された崇徳上皇(歌川国芳画)
こうした陰陽五行思想にさまざまな学問、宗教、呪術を取り入れ、独自に発展したものが陰陽道である。朝廷には陰陽寮(おんみょうりょう)という役所があり、平安時代のカリスマ的陰陽師「安倍清明」も陰陽寮の役人であった。
この時代には、「怨霊」「悪霊」といった存在が当然のように信じられていたので、朝廷を中心に怨霊を鎮める御霊信仰が広まり、それが陰陽寮の職務に含まれるようになる。
陰陽師が学ぶ陰陽道は、呪術や占術の技術体系だが、「道」のという文字は国家機関の各部署での技術一般を指す用語であり、思想ないし宗教体系を指す用語ではない。つまり、陰陽師は技術職だったのだ。その技術を厄払いに用いたために、陰陽師が呪術師の代名詞のように思われてしまった。
怨霊も陰陽道の陰陽五行思想に照らし合わせれば、その正体も解き明かすことができる。正体がわかれば穢れを清めたり、厄を祓うこともできるというわけである。
厄払い
※漢代の式盤
では、実際にどのようにして厄を祓ったのだろうか。
たいていは大掛かりな儀式などを行うことはなく、本職の「方角や日取りを観測して吉凶を決める」技術を応用した。
式盤という現代のコンピューターのような道具を使ったのである。式盤は、天盤と呼ばれる円形の盤と地盤と呼ばれる方形の盤を組み合わせたものが基本形で、円形の天盤が回転する構造となっている。天盤や地盤の形状は、天は円く地は四角いとする中国の天地観に基づいていた。
式盤で占うことにより、対象者が「いつ、どの方角に向かうと凶となるのか」を予知して、それを回避させたのだ。
現代で似たような職業を探すとすれば、「天気予報士」あたりだろう。
怨霊や厄災は雨や雪のようなものであり、それを過去の統計に照らし合わせたり、コンピュータの計算により今後の動きを予測する。
しかし、どうしても禁忌の方角へ向かわなければならないときは、一端迂回して違う方角から目的地に向かう「方違え(かたたがえ)」の術をアドバイスしたり、陰陽師が書いた霊符を持たせて災いや厄を祓うお守りとさせた。
呪文
呪術とは、唱えることで効果を発揮するものと、文字や絵を記した護符、霊符、呪符によって、呪力を持ち運んだりすることもできる。
陰陽師の唱える呪文で有名なのは「急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」というものがある。「急いで律令(法律)の如く行え」の意であるが、転じて「早々に退散せよ」の意で悪鬼を払う呪文とされた。道教で呪文に取りいれたものを陰陽師も用いたものであろう。この文言が記された奈良時代の木簡が発見されており、よほど古くから日本で使われていたようだ。
しかし、急急如律令だけでは意味を成さない。他の呪文と組み合わせることで目的別の呪文となる。
例えば、『六根清浄(ろっこんしょうじょう)急急如律令』とすると、『至急、六根(眼、耳、鼻、舌、身、意)を清めよ! 』となる。
また、九字(くじ)と呼ばれる呪文は、密教の『臨兵闘者皆陣列在前』としても有名だが、陰陽道における九字では、刀印で空に四縦五横に切りながら『青龍・白虎・朱雀・玄武・勾陳・帝台・文王・三台・玉女(せいりゅう・びゃっこ・すざく・げんぶ・こうちん・ていたい・ぶんおう・さんたい・ぎょくにょ)』を唱えるものがある。
護符
陰陽師が書いた護符は、当時の権力者にとって手放せないお守りだった。
なにしろ、目的に合わせた護符を所持することで、さまざまな厄を祓うことができたからだ。
夜中他行符は、懐に入れれば怪しいことに出会わない。
※夜中他行符
諸病治癒符は、病人にこの符を浸した水を飲ませることで回復させる。
※諸病治癒符
祓悪夢符は、不吉な夢を見たときにこの符を掌に書くことで厄を寄せない。
※祓悪夢符
これらの護符は、陰陽師でない素人でも半紙に書いて所持することは可能だが、せめて書く前には入浴などして身を清めたほうがいい。
最後に
これらの技術や知識は陰陽道の一面、しかもほんの一部でしかない。
しかし、厄を祓うことができたのは、陰陽五行などの哲学を学び、日々の統計や観測の実績があったからこそである。
厄払いも占いなどと変わらない陰陽師の技術に過ぎなかったのだ。
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