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阪神ジュベナイルフィリーズの歴史《偉大な母 ビワハイジ》

阪神ジュベナイルフィリーズ

レシステンシア(第71回阪神ジュベナイルフィリーズ出走時)

阪神ジュベナイルフィリーズ(2歳オープン 牝馬限定 国際・指定 馬齢 1600m芝・右)は、日本中央競馬会(JRA)が阪神競馬場で毎年12月上旬に施行する重賞競走(GⅠ)である。

英語で「少年」「少女」をジュベナイル(Juvenile)、4歳以下の牝馬をフィリー(Filly)という。

翌年の4月に行なわれる桜花賞と全く同じコースを使用するため、3歳牝馬クラシックに直結するレースといえる。

この阪神ジュベナイルフィリーズについて創設からの歴史をひもといてみる。

なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事ではレース名以外は現在の表記で記す。

阪神3歳ステークスは朝日盃3歳ステークスと対になって誕生

阪神ジュベナイルフィリーズは「阪神3歳ステークス」を前身とする。

阪神3歳ステークスは1949年(昭和24年)に中山競馬場で創設された関東馬の2歳チャンピオンを決める朝日盃3歳ステークスと、対を成す形で同じ年に阪神競馬場の芝1200mで創設された。

阪神競馬場は1907年(明治40年)に設立された阪神競馬倶楽部が建設した鳴尾競馬場を前身とする。1930年代に馬券の売上高が日本トップクラスになり、「帝室御賞典」(現 天皇賞春)や「阪神優駿牝馬競走」(現 優駿牝馬)が創設された。

太平洋戦争中に海軍に接収され、終戦後に空襲で破壊された工場跡地を整備し、ようやく1949年(昭和24年)に阪神競馬場として再開された。

第1回の優勝馬はウイザート(牡2)。デビュー以来阪神3歳ステークスを含めて8戦7勝、うち4回はレコード勝ちの好成績を収めているのに出生時にクラシック登録(3歳馬5大特別競走登録)をしておらず、大きなレースとは縁のない競走生活を送った。

「関西の秘密兵器」発掘の場に

1971年(昭和46年)(第23回)混合競走に指定され外国産馬の出走が可能になった。
1984年(昭和59年)(第36回)グレード制施行によりGIに格付けされた。

《流星の貴公子 テンポイント》

この頃中央競馬は「東高西低」といわれ、関東馬が圧倒的に関西馬よりも強かった。馬券が全国発売されるレースも少なく、ファンだけでなく競馬サークル内の人も東西対抗意識が強い時代だった。

1975年(昭和50年)(第27回)優勝馬のテンポイント(牡2)は顔の流星(顔面にある白い模様)と光り輝くように美しい栗毛の馬体から「流星の貴公子」と呼ばれた。彼の母は「幽霊の子」こと1966年(昭和41年)第26回桜花賞馬ワカクモである。

見てくれ、この脚!これが関西の期待、テンポイントだ!」4コーナーで馬なりで追い上げ2着に7馬身差を付けて圧勝したレースを実況の杉本清アナウンサーがこう叫んだ。

同じ年齢の関東馬のトウショウボーイ、グリーングラスと合わせて「TTG」と呼ばれ、3頭の激闘にファンは熱狂した。

1978年(昭和53年)、第25回日経新春杯のレース中に左後第三中足骨開放骨折と第一趾骨複骨折を発症。当時としては異例の大手術が行なわれたが蹄葉炎を併発し衰弱死した。

栗東トレーニングセンターで日本初のサラブレッドの告別式が行なわれた。

西の代表決定戦から2歳女王決定戦へ

1991年(平成3年)(第43回)「2歳の東西地区代表決定戦」が「2歳の牡馬・牝馬代表決定戦」に衣替えされ、朝日杯3歳ステークスは牡馬と騸馬、阪神3歳ステークスは牝馬限定に分かれた。

それに伴い名称が「阪神3歳牝馬ステークス」に変更された。

《大波乱 スエヒロジョウオー》

1992年(平成4年)第44回の優勝馬は9番人気のスエヒロジョウオー(牝2)だ。390kgの小柄な牝馬だが4コーナーから大外を回り、人気馬の集団を鮮やかに交わして差しきった。

2着に最内から伸びてきた12番人気のマイネピクシーが入ったことで、馬連が12万740円のGⅠレース史上最高払い戻し金額(当時)の波乱を演出した。

スエヒロジョウオーは高額配当だけでなく、JRA史上2番目の軽量馬によるGⅠレース勝利も成し遂げている。

《震災後最初の重賞で勝利 ビワハイジ》

1995年(平成7年)(第47回)には特別指定交流競走に指定され地方競馬所属馬が出走可能になった。

阪神競馬場は1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災により壊滅的な被害を受け、無事だった厩舎地区が地域住民の避難所になった。
そのため春(3月・4月・6月)と秋(9月)は休止になり、12月にようやく第1回阪神競馬を開催することができた。
復旧後初めて開催された重賞競走が第47回阪神3歳牝馬ステークスである。

優勝馬はビワハイジ(牝2)。エアグルーヴ、シーズグレイス、イブキパーシヴ、ロゼカラーなど良血馬揃いの豪華メンバーによる闘いはビワハイジの軽やかな逃げ切り勝ちで幕を閉じた。

阪神ジュベナイルフィリーズに名称変更

2001年(平成13年)(第53回)馬齢表記を国際基準へ変更したのに伴い、レース名称が「阪神ジュベナイルフィリーズ」に変更された。

2010年(平成22年)(第62回)国際競走に指定されて外国調教馬が出走可能になり、格付表記をGI(国際格付)に変更された。

《偉大な母 ビワハイジ》

ビワハイジは第47回の優勝後クラシックの有力候補となったが、桜花賞は直前に体調を崩して惨敗。日本ダービーに出走するがレース中に故障を発生して惨敗。その後も故障に悩まされ5歳で引退した。

自身は不完全燃焼だったが、6番子のブエナビスタが2008年(平成20年)第60回、9番子のジョワドヴィーヴルが2011年(平成23年)第63回阪神ジュベナイルフィリーズで優勝し、母娘2代制覇を2回も成し遂げている。

 

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