西洋史

『ロシア史上最も恐れられた皇帝』イヴァン雷帝の凶暴すぎた治世 〜怒りの果てに皇太子も犠牲に

画像 : 『イヴァン4世の肖像』(ヴィクトル・ヴァスネツォフ画) public domain

イヴァン4世(1530年〜1584年)は、ロシア史において極めて特異かつ重要な位置を占める君主です。

1547年、彼はロシアで初めて「ツァーリ(皇帝)」として戴冠し、国家権力の集中と制度改革を推し進めました。

しかしその一方で、彼の治世は苛烈な暴力、粛清、恐怖によっても知られています。

彼がいかにして血にまみれた歴史を刻むに至ったのか、その業深き道程を辿ってみました。

孤独な幼少期とツァーリ即位

画像 : 象牙製のイヴァン4世の玉座 wiki c Stan Shebs

イヴァン4世は1530年、モスクワ大公ヴァシーリー3世とその妃エレナ・グリンスカヤの間に誕生しました。

父ヴァシーリーの死去により、わずか3歳で大公位を継承しますが、実際の政治は母エレナが摂政として掌握していました。

しかしエレナは1538年に急死し、その後は複数の貴族たちが実権を奪い合うようになります。権力争いの渦中に投げ出された幼いイヴァンは冷遇されるだけでなく、時に虐待を受け、暗殺の恐怖に覚えながら成長したのです。

孤独と不自由、そして暴力の中で育ったことで、イヴァンには極端な猜疑心と強い支配欲が芽生えるようになったと考えられています。

それでも1547年、イヴァンは16歳になると正式にツァーリとして戴冠しました。

これは単なる即位ではなく、ビザンツ帝国の後継者としてのロシアを明示する儀式でもありました。

この時期、イヴァンは教会と協力して法律の整備や軍制改革に取り組み、一定の成果を上げており、若き改革者として希望を抱かれていたのです。

愛妃アナスタシアの死

画像:アナスタシアのブロンズ像 wiki c Дар Ветер

イヴァン4世の初期の統治は比較的安定していましたが、それを支えていたのは最初の妃アナスタシア・ロマノヴナの存在でした。

アナスタシアは温和で思慮深い女性であり、衝動的な気質を持つイヴァンの心を落ち着かせ、政治の面でも彼を支えていたといわれています。

しかし、1560年に彼女が急死すると、イヴァンの精神状態は大きく揺らぎ始めます。

彼はアナスタシアの死を貴族たちの陰謀による毒殺だと疑い、周囲へ激しい不信感を抱くようになったのです。
それ以降、彼は敵と見なした者たちに対して容赦のない粛清を行うようになり、次第に暴力的な手段が常套化していきます。

異常なほどの猜疑心を抱えた彼は、忠実な家臣や聖職者でさえも信用せず、処刑や拷問を命じることが常態化していきました。

この時期から、イヴァン4世は理性的な改革者から、恐怖と暴力によって国を支配する「雷帝」へと変貌していったのです。

恐怖支配とオプリーチニナ

画像 : イヴァン4世 public domain

1564年、イヴァン4世は突然、皇帝の座を自ら降りると宣言し、政務を放棄してモスクワを離れました。

この予想外の行動に、国中は騒然となります。

政情の混乱に直面した国民や聖職者たちは、ツァーリの復帰を懇願し、イヴァンはそれに応じて復位しました。
しかしその見返りとして、彼は「オプリーチニナ」という制度の導入を要求したのです。

オプリーチニナとは、国家をふたつに分割し、その一方を皇帝の直轄地として完全な支配下に置く制度でした。

そしてこの直轄領には、皇帝の親衛隊である「オプリーチニキ」が配置されました。

画像 : オプリーチニキ public domain

彼らは黒衣をまとい、馬には犬の首とほうきを吊るして街を巡回していました。
これは「敵を嗅ぎ出し、掃き清める」ことを象徴していたとされます。

オプリーチニキは皇帝の命令を受け、反逆の疑いをかけられた人々を拷問し、財産を没収し、時には家族全員を処刑することさえありました。

また、イヴァン自身も粛清に積極的で、政敵を容赦なく処分していきます。

たとえば、東方遠征で功績をあげた貴族シュイスキー父子は、皇帝暗殺を企てたという疑いをかけられ、共に斬首されました。父は息子の目の前で首をはねられ、息子もその後、同じように処刑台へと送られました。

その他にも、大貴族シチェヴィレフが残虐な拷問を受けて処刑されたほか、主計官テューティンは家族もろとも惨殺されるなど、凄惨な事件が相次いだのです。

画像:オプリーチニキの到着に逃げ惑う人々 public domain

そして1570年には、恐怖政治を象徴する「ノヴゴロドの虐殺」が起こります。

ノヴゴロドは、リトアニアやスウェーデンとの交易で栄えていたロシア北西部の都市でしたが、オプリーチニキの度重なる干渉により、市民の不満と混乱が高まっていました。

イヴァンはこれを反逆の兆候と捉え、モスクワからノヴゴロドへ懲罰遠征を行います。

進軍の途中では各地の村々が焼き払われ、住民は殺害されていきました。そしてノヴゴロドに到着すると、市全体を柵で封鎖し、市民の逃亡を防いだ上で、1か月以上にもわたる組織的な虐殺を断行したのです。

この大虐殺による犠牲者数は今も議論がありますが、数千人から数万人にのぼるともいわれています。
しかもイヴァンはモスクワへ戻った後も、「ノヴゴロドの陰謀に関わった」として、さらに多くの人々に処罰を加えました。

その猜疑心はとどまるところを知らず、ついには信頼していた側近ヴャーゼムスキーにまで及びます。

イヴァンは彼に毒味役を任せるほど信用していましたが、ある日突然オプリーチニキに命じて屋敷を襲わせ、公の場で処刑させてしまいました。

こうしてイヴァン4世は、国家全体を不安と恐怖、そして暴力の空気で覆い尽くしていったのです。

凶暴さが招いた悲劇

画像:『イヴァン雷帝と皇子イヴァン』(イリヤ・レーピン画) public domain

しかし、イヴァン4世のとめどない凶暴さは、彼自身にも暗い影を落としていきます。

イヴァン4世には後継ぎとなる皇太子イヴァン・イヴァノヴィチがいました。
この息子は同じく残忍な性格で、父と共に拷問や処刑に好んで立ち合い、その様子を見ては興奮するような性質の人物でした。

ところがある時、息子イヴァンの妻エレーナが身重であるにも関わらず、相応しくない軽装をしているのを見咎めたイヴァン4世が、エレーナを殴打したのです。

妊娠中の妻に暴力を振るう父を前に、さすがの息子も止めに入らざるを得ませんでした。
しかし身内に反抗され逆上したイヴァン4世は、ついに息子にも襲い掛かったのです。

イヴァン4世は、鉄鉤のついたこん棒で息子を滅多打ちにしました。
やがて我に返った時には、こめかみを割られた息子が血まみれで横たわっており、すでに意識はありませんでした。

4日後、息子は息を引き取り、妊婦であったエレーナも流産の末、命を落としました。

この事件以降、イヴァン4世は深刻な不眠症に悩まされ、身体も急速に衰弱していきます。
皮膚は剥がれ落ち、悪臭を放つほどに健康は崩れ、かつての威容はすっかり失われていました。

そして1584年3月8日、イヴァン4世はチェスの最中に突如として倒れ、そのまま息を引き取りました。享年53。
幾万の命を奪った暴君は、あまりにも静かにこの世を去ったのです。

その後、イヴァン4世が築いたツァーリ権力と中央集権体制、そして領土拡張の基盤は、ロマノフ朝へと受け継がれ、帝政ロシアの骨格となっていきます。

彼の政治は確かに血にまみれたものでしたが、国家形成という視点では重要な転換点でもありました。

イヴァン4世の名は今なお「恐怖」と結びつけて語られますが、その支配の形が、現代ロシアの原型のひとつを形作ったことも、また否定できない歴史の事実なのです。

参考文献:世界禁断愛大全 / 桐生操 他
文 / 草の実堂編集部

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草の実学習塾、滝田吉一先生の弟子。
編集、校正、ライティングでは古代中国史専門。『史記』『戦国策』『正史三国志』『漢書』『資治通鑑』など古代中国の史料をもとに史実に沿った記事を執筆。

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