第一次世界大戦を通して、イギリスなど連合国側だけで約4,200万人もの兵士が動員されている。
ドイツなどの同盟国側の動員数は把握されていないのか、史料がないのだが、それでも開戦当初は連合国とはさほど差はなかったはずだ。
そのような状況であれば、後に著名人となった戦争経験者もいる。さらに歴史に名を残した戦争経験者もいる。
アドルフ・ヒトラーが従軍したことは有名であるが、今回は「意外な人物たち」を見てみよう。
アーネスト・ヘミングウェイ
※ヘミングウェイ
ノーベル文学賞を受賞し、『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』『老人と海』などで、日本でも有名なアメリカの作家、ヘミングウェイも大戦末期の1918年に赤十字の傷病兵輸送隊ドライバーとして大戦を経験している。このとき、若干19歳。
1864年のジュネーヴ諸条約締結により、戦地の傷病者は敵味方の区別なく赤十字のスタッフが救護することとなった。しかし、赤十字が出向くということは、そこが最前線であることも意味しており、特に戦闘の激化した地域では命の危険もある。
ヘミングウェイも、北イタリア・ヴェネツィア近くのフォッサルタ戦線で重症を負った。
1930年代には戦争を題材にした『武器よさらば』『誰がために鐘は鳴る』といった名作を残しているが、これはスペイン内戦において自分の目で戦場を見たためである。そうした行動が取れたのも、大戦での経験が大きかった。
ウォルト・ディズニー
※ウォルト・ディズニー
もはや語るべくもないほど世界的に有名なアニメーター、ウォルト・ディズニーも赤十字の衛生兵として大戦に従事している。アメリカの参戦は1917年であったが、ウォルトは当時16歳という若さながら、愛国心に突き動かされてすぐに陸軍に志願している。しかも、軍の採用条件が17歳からだったために、年齢を偽って志願したのだ。
だが、やはり若者を戦地に送ることを良しとしない軍の意向で、兵士ではなく赤十字社で負傷兵の看護や輸送などの任務を行った。兄のロイは兵士として従軍するも、二人とも無事に終戦を向かえて帰国している。余談だが、ウォルトの部隊には後にマクドナルドの創業者となるレイ・クロックも15歳という若さで所属していた。
F・スコット・フィッツジェラルド
※フィッツジェラルド
アメリカ人作家のF・スコット・フィッツジェラルドは、大学在籍中にアメリカが参戦したために、大学を中退して陸軍へと志願した。村上春樹が翻訳したことで日本でも有名な『グレート・ギャツビー』などの著者である。
訓練学校での訓練の日々のなか、創作意欲と戦争への不安にかき立てられ、『ロマンティック・エゴティスト』を執筆した。このときには出版はされなかったものの、編集者は彼のことを高く評価している。その背景には、訓練学校滞在中にゼルダ・セイヤーという美女と恋に落ちたことも影響していたのだ。
陸軍に入隊した翌年には大戦が終結したため、フィッツジェラルドは内地勤務のまま軍を除隊している。
バロン滋野
※バロン滋野
本名、滋野清武(しげのきよたけ)は男爵位を持つ日本人であった。バロンの名は男爵の英語読みから付けられている。
音楽留学のために渡仏中、ライト兄弟の初飛行に始まる飛行機ブームに感化され、フランスにある複数の飛行学校で操縦技術を学び、日本人初となる万国飛行免状を取得した。さらに自ら飛行機の設計を行うなどのエキスパートとなり帰国したが、第一次世界大戦の開戦によりフランス軍航空隊に志願、大尉に任命された。
さらに凄いのは、主な任務が戦闘機による地上支援だったなか、滋野は6機の敵機を撃墜して日本人初のエースパイロットとなった。戦闘機パイロットにとってエースとは、5機以上の撃墜スコアを持つものを指す。この戦功により、滋野はレジオン・ドヌール勲章、クロワ・ドゥ・ゲール勲章を叙勲している。
また、同大戦でフランス軍のパイロットとして活躍した日本人は8人ほどいたという。
オットー・フランク
※オットー・フランク
ユダヤ系ドイツ人であるオットーの名はほとんど知られていないが、彼の娘は後世に残る「日記」を残し、わずか15歳の生涯を終えた。娘の死後、オットーはその日記を書籍化して全世界へと広めたのである。
娘の名は「アンネ・フランク」。
『アンネの日記』で知らぬものはいないアンネ・フランクと、姉・マルゴット・フランクの父親も大戦に従軍していたのだった。銀行経営と金属会社の経営管理を行う忙しい毎日だったが、1915年に兄弟と共にドイツ軍に徴兵され、砲兵連隊に配属された。
1916年には、同大戦における最大の会戦である「ソンムの戦い」に動員され、46万人もの戦死者を出す戦いを生き残った。最終的には中尉にまで昇進し、一級鉄十字章も受章している。しかし、この勲章を叙勲したのはオットーだけではない。アドルフ・ヒトラーも叙勲していたのだ。
さらにヒトラーとは生まれ年も同じである。何という皮肉であろう。
第一次世界大戦後に娘たちは生まれ、強制収容所で命を落としたが、彼はなんとか生き残ってアンネの日記を出版することが出来た。
最後に
これだけの規模の戦争であれば、どのような人物が従事していたとしてもおかしくはない。しかし、そのなかにはこの戦争により大きく人生を狂わせたものもいる。そして、第二次世界大戦へと繋がってゆくことになった。
ちなみに第一次世界大戦に従軍し、生存していた最後の退役軍人はイギリス人のクロード・チョールズ氏であったが、2011年11月5日に110歳で亡くなっている。
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