新選組といえば、江戸時代末期、京都にて尊王攘夷派の弾圧のため活動した剣客集団のことである。
1862(文久2)年に結成されてから、鳥羽伏見の戦い(1868年)に敗れ解体するまで、6年間あまりの活動期間の中で、京都の治安維持に努めた。
隊員の中には、新選組局長である近藤勇や、副局長の土方歳三、25歳という若さでこの世を去った天才剣士の沖田総司など、現在も多くの人に愛される人物がたくさんおり、今日にいたっても彼らを題材にした多くの作品が作られている。
今回は、そんな新選組隊士たちを影で支えた、彼らの恋人たちについて追ってみたいと思う。
近藤勇が愛した遊女
近藤勇は、美しい女性よりも聡明な女性が好みであったと言われている。
いわく「美人は貞淑を欠く。醜女は自分が人並みでないということを知っているから、夫によく仕えるものだ」と発言したのだとか。
女性の立場からすると、カチンと来るような発言であるが、江戸時代の貞淑観念とはこのようなものだったのだろう。
彼の正妻である「つね」は、決して美人ではなかったそうだが、武士の娘ということもあり、聡明な性格をしており、さらに誇り高い強い女性であったと言われている。
近藤勇は元々農家の生まれであり、養子にもらわれたことによって、剣の道を志すことが出来たと言われている。
そんな彼には、身分に対してコンプレックスのようなものがあったのではないだろうか。
ゆえに、女性に対しても身分の高さを求めたとされており、妻・つねなどはまさに近藤の理想形であったのかもしれない。
そんな近藤であるが、実は一度、遊女を身請けしたことがあったという。
身請けをしたのは、当時の遊女の中では最高ランクとされていた「太夫」の称号を持つ深雪太夫。
「美人は好みの範疇にない」と豪語していた近藤であるが、この深雪太夫という女性は、スラリと背が高くとても美しい女性であったといわれている。
さらに、遊女の中でも最高級の位を持つだけあって、芸事にも秀で、相当な教養を持ち合わせていたのである。
聡明な女性が大好きな近藤勇は、すっかりこの深雪太夫にほれ込んでしまったのだろう。
めでたく近藤勇に身請けされた深雪太夫だったが、その1年後に、病気のため急死してしまう。
深雪太夫が病死してからすぐ、近藤勇は彼女の妹である御幸太夫を身請けし、「お孝」と呼んで可愛がったと言われている。
しかし、この話には諸説あり、深雪太夫に飽きてしまった近藤勇が、金を握らせて深雪太夫を自分の元から去らせ、代わりに妹を身請けした…というひどい説もあるという。
もしもそのことが真実なら、新選組局長として名を馳せた近藤勇も、ひとりの男性としては現代の視点ではダメダメと言われそうである。
土方歳三の婚約者
後年の創作にもあるように、土方歳三は美男子で、女性関係は多いに派手であったと言われている。
土方歳三の写真が残っているが、なるほど、女性にモテそうな色気たっぷりである。
彼は17歳の時、奉公先の年上の女性を妊娠させてしまい大騒ぎになったり、京都で「君菊」という女性に子どもを生ませたりと、女性関係でのトラブルが尽きなかったようである。
残念ながら、君菊とのあいだに生まれた女の子は生後間もなく亡くなってしまい、奉公先の女性についても示談という形でお金を払い、手を切ったようである。
振り回された女性側にとってはたまったものではないだろうが、土方歳三は懲りることなく、数々の女性と恋に落ちていたようである。
特に花街の玄人女性(芸妓など)に人気が高く、土方歳三にあてられた恋文を集めて、小冊子が出来るほどのモテぶりだったのだとか。
そんな超・プレイボーイの土方歳三には、幻の婚約者がいた。
それは、土方が京都へ上洛する前のこと。
土方の兄・為次郎が通っていた三味線屋の看板娘である「琴」という女性である。
為次郎は俳句や浄瑠璃が大好きで、自身も三味線を嗜んでおり、近所でも美人として評判であった琴の存在を知り、弟と縁談を…と持ちかけたのだそうだ。
しかし、土方は兄に「私は何か一事業を遂げて名をあげたい。よって、なおしばらくは、私を自由の身にしておいてくれ」と言い放ったという。
このことにより、2人の縁談は一時延期になったのだが、この後土方は京都へ上洛、新選組の隊士として壮絶な日々を送ることになり、結局、琴とは結ばれることなく終わってしまった。
天下無敵のプレイボーイであった土方歳三であるが、運命の人と結ばれることはなかったのである。
沖田総司の悲恋
沖田総司といえば、女性もうらやむほどの美貌を持っていたといわれている。
肺結核により、20代前半で命を落とした沖田であったが、生涯の中で結婚することも、恋人を持つこともなかったと言われている。
しかし、沖田には悲しい恋愛譚が残っている。
それが、「医者の娘」との身分違いの恋である。
その「医者の娘」について詳しいことは何もわかってはいないが、沖田は近藤勇やその妻・つねに、たびたび彼女のことを語っていたのだという。
普段はとても陽気な男だったという沖田だが、この女性のことを語るときには涙を流しながら、自身の恋心を語っていた。
しかし、近藤勇は沖田に「武士の娘と結婚させよう」と考えていたようで、医者の娘との恋愛は認められることはなかった。
医者の娘、というのは平民なので、「沖田と結婚させるには釣り合わない」と近藤は考えていたのだろう。
近藤勇にそう説かれると、沖田はその娘と手を切ることにしたという。
彼女のことを真剣に想っているからこそ、一緒になれないならば早く縁を切らなければ…と思ったのかもしれない。
最後に
近藤勇、土方歳三、沖田総司。
性格も、剣客としての生きざまもそれぞれに違ったものを持っているこの3人だが、恋愛に関してもそれぞれに違ったやり方で、女性を愛しているということがわかる。
あなたが女性なら、誰の恋人になりたいだろうか?また、あなたが男性ならば、誰の恋愛観に共感するだろうか?
そんなことを考えながら、隊士たちに思いを馳せるのも、楽しいかも知れない。
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