どうする家康

岡崎体育が全力疾走!鳥居強右衛門こと鳥居勝商の壮絶な最期【どうする家康】

名もなきヒーロー、戦国版“走れメロス”
鳥居強右衛門 とりい・すねえもん
[岡崎体育 おかざきたいいく]

“ろくでなし強右衛門”と呼ばれる、ふだんはやる気も勇気もない奥平家の地侍。武田軍に攻め込まれ、絶体絶命の長篠城を救うため、武田包囲網を突破して、岡崎城の家康のもとに助け求めるミッションを帯びる。走ると自然に歌を口ずさむ癖がある。

※NHK大河ドラマ「どうする家康」公式サイトより。

……出ました。この「いつもはしょうもないけど、やる時はやる」系キャラ。徳川家臣・奥平信昌(演:白洲迅。九八郎貞昌)の家臣として、長篠の合戦(天正3・1575年5月)で活躍した鳥居強右衛門(とりい すねゑもん)こと鳥居勝商(かつあき)です。

人物紹介にある通り、武田勝頼(演:眞栄田郷敦)の大軍に包囲された長篠城に援軍(後詰)を求めて徳川家康(演:松本潤)の元へ走るのですが……。

果たして、その結末がどうなるのか、さっそく『三河物語』を読んでみましょう。

城内の仲間たちへ、命懸けの伝言

楊洲周延「鳥居強右衛門敵捕味方城中忠言」

……鳥居寿祢右衛門と申者出して。信長ハ御出馬か。見て参れとて出ス。城寄ハ。や寿や寿と出而。此由を家康へ申上たれバ。信長へ指被越たれバ。信長御悦被成而。御出馬之由仰■か召されけれバ。寿祢右衛門。おうけを申而罷立而。武田之せうやうけんの。責口へゆき。竹たばをのぞきて。早かけいらんと見合ける處丹。見出されて召とら寿。勝頼之御前へ引出ス。勝頼ハ聞召。其儀奈らバ。汝が命ハた寸け置。国へ召■れ。過分に地行を可出。然者は里付にかけて城へ見せだき。其時ちか■き共をよび出して。信長ハ不出候之間。城を渡せと申候へ。其時汝を■おろ志なんと云け寿バ。寿祢右衛門申ハ。忝奉存候命さえ御た寸け候ハゞ。何たる事を成共可申候に。あまつさへ御地行を可被下と。御意之候ヘバ。目出度事何かあらんや。はやはや城ちかくに。はた物にあげさせ給へと申たれバ。其ごとく城ちかくに。かけたれバ。城中之衆出而。聞給へ。鳥居寿祢右衛門こそ。志のびて入とて召とら寿。如此に成而候へと申たれバ。ことこと出而寿祢右衛門かと云。其時。寿祢右衛門申たるハ。信長は出させ給ハぬと申せ。命を扶け、其故地行チくれんとハ申が。信長は岡崎迄御出馬有ぞ。上之助殿ハや■た迄御出馬也。先手ハ。市之宮本野が原に。まんまんと陣取而有。家康信康ハ。野田へう津らせ賜ひて有。城けんご尓毛ち給へ。三日之内に御うんを■らかせ給ふべしと。此由を奥平作志うと。同九八郎殿と。親子の人へ。よく申せと云たれバ。帰つて敵の■よ見を云や■奈れバ。はやくとゞめをさせとて。とゞめをぞさしける。……

※大久保彦左衛門『三河物語』第三下

「……その方、命は助けてやろう。ただし……」

武田の包囲を突破して長篠城より脱出、家康より援軍の確約を承った強右衛門でしたが、帰路において武田逍遥軒(たけだ しょうようけん。信玄弟・武田信廉)の軍勢に捕らわれてしまいました。

「城方へ向かって『後詰は来ぬ。織田殿も来ぬ』と申すのじゃ。さすれば知行を与えるゆえ、武田家に仕えるがよい」

「……承知した」

果たして強右衛門は磔にされた状態で、城内の仲間から見える場所まで引き出されます。もちろん、裏切ればその場で殺されるでしょう。

「さぁ、申せ!」

「……織田殿は岡崎城までお越しじゃ!御屋形様(家康)と若君(徳川信康)も、野田までお越しじゃ!皆の衆、どうかわしに代わって城を守り抜いてくれ!」

その叫びを聞いた長篠城は気勢を取り戻し、武田勢は地団太を踏みます。

「おのれ、裏切りおったな!」

「戦さ場に敵を欺くは武略なれば、裏切りに非ず。さっさと止めを刺すがいい!」

かくして強右衛門は串刺しにされ、命を棄てた一大任務を果たしたということです。

終わりに

四四 鳥井ス子右衛門事 家康公御持城へ、敵取りかけ御城番難儀の由聞し召され、「明日後詰なさるべく候間、その間持ち怺へ候様に。」と、御使ス子右衛門遣はされ候。城へ忍び入り候處を、敵見合はせとらへ、懐中の一通に右の趣相見え候。「ス子右衛門命を助け申すべく候間、城に向つて家康公御詰、近日の中たるべきとの御使に、参り候由申し候へ。」と申し聞け候に付、「畏り候。」と申して、縄下にて、木戸口へ引き向ひ候時、高聲に申し候は、「家康公の御使鳥井ス子右衛門、不運にして虜となりたり。明日後詰なさるべき由に候間、随分持ちこらへ候へ。」と申し候に付、忽ち切り殺し申し候由。

※山本常朝『葉隠聞書』第十一

旗指物の図案になった強右衛門。「落合左平次道久背旗 鳥居強右衛門勝高逆磔之図」

命を棄てて仲間を守る使命を果たした鳥居強右衛門。その精神は永く伝えられ、江戸時代の武士道バイブル『葉隠(葉隠聞書)』にもそのエピソードが紹介されています。

※文中に寿祢右衛門(『三河物語』)・ス子右衛門(『葉隠』)とあるのはどちらも「すねゑもん」と読む当て字です。

更には後世の映画や小説、教科書にも取り上げられ、命懸けで仲間を守る大切さを伝えています。

果たしてNHK大河ドラマ「どうする家康」では、どんな鳥居強右衛門が熱演されるのか、楽しみですね(正直、ろくでなし設定は不要じゃないかと思いますが……)!

※参考文献:

  • 『日本戦史材料 第貮巻 三河物語 全』国立国会図書館デジタルコレクション
  • 古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、1941年9月
角田晶生(つのだ あきお)

角田晶生(つのだ あきお)

投稿者の記事一覧

フリーライター。日本の歴史文化をメインに、時代の行間に血を通わせる文章を心がけております。(ほか政治経済・安全保障・人材育成など)※お仕事相談は tsunodaakio☆gmail.com ☆→@

このたび日本史専門サイトを立ち上げました。こちらもよろしくお願いします。
時代の隙間をのぞき込む日本史よみものサイト「歴史屋」https://rekishiya.com/

✅ 草の実堂の記事がデジタルボイスで聴けるようになりました!(随時更新中)

Audible で聴く
Youtube で聴く
Spotify で聴く
Amazon music で聴く

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

関連記事

  1. 武田勝頼を滅ぼした主犯? 木曾義昌・穴山梅雪・小山田信茂…それぞ…
  2. 徳川家康が尊敬していた源頼朝。 『徳川実紀』が伝えるエピソード …
  3. 「バカな甥っ子」家康を思いやる水野信元(寺島進)。愛敬のある伯父…
  4. 徳川家康の三大危機「神君伊賀越え」を助けた多羅尾光俊とは何者?そ…
  5. 現地取材でリアルに描く『真田信繁戦記』 第6回・大坂夏の陣編 ~…
  6. 【どうする家康】「本能寺の変」の当日、家康はどこにいたのか?
  7. 武田勝頼の滅亡は外交にあり。長篠の大敗から7年間の迷走【どうする…
  8. 本多正信の最期を記した『三河物語』 大久保彦左衛門の皮肉がエグい…

カテゴリー

新着記事

おすすめ記事

楠本イネについて調べてみた【日本初の女性産科医】

楠本イネとは  (くすもと いね)、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した日本人医師である…

今も昔も歯は大事だった 【中国で最も古い歯磨きの歴史】

どんな人でも歯が命一昔前、テレビCMで「芸能人は歯が命」というキャッチフレーズのもと、歯磨き粉が…

皇帝になることを拒否した男〜 劉虞 「人望はあったが戦が下手すぎた幻の皇帝候補」※正史三国志

皇族の座を拒否した男天下を狙って多くの人物が現れては消えた後漢末期、皇帝の座を拒否した劉…

旅の参考書「地球の歩き方」が存続の危機!?

海外旅行のガイドブックでお馴染みの「地球の歩き方」は1979年の発行以来、旅人をしっかり支え…

空論(うつろ)屋軍師 江口正吉【信長や秀吉が称賛した丹羽家の猛将】

江口正吉とは丹羽長秀・長重の親子2代に仕えて忠義を尽くした軍師が 江口正吉(えぐちまさよし)…

アーカイブ

PAGE TOP