真田氏2代の居城として有名な上田城。
真田(信繁)幸村の父である真田昌幸が1583年に築城し、真田氏が松代に転封されてからは仙石氏が入城しました。
天守は残っていないものの、市民にとっても憩いの場である上田城に行ってみました。
上田城とは
上田城は、元々は真田氏館の当主であった真田昌幸が戦国時代末期の1583年に築城を開始した平城で、2年後の1858年頃に居を移したと言われています。
武田家の家臣であった昌幸は、織田信長による甲州征伐で武田氏が滅んだあと、信長の宿老である滝川一益の与力となり、本能寺の変で信長が亡くなると再び自立し、近隣を治める北条氏や徳川氏、上杉氏と折衝し、豊臣政権で所領を安堵されました。以降は真田氏2代の城となります。
仙石氏、松平氏と城主を替えましたが、明治以降は破却や城外への移築などにより石垣と西櫓が残るのみとなっていました。
昭和に入り櫓2棟が再移築され、櫓門や塀などが木造復元されました。
真田神社
本丸跡には真田神社が建立されています。
上田城は仙石忠政が1628年に逝去し仙石氏が転封、その後藩主が交代され藤井松平家の城となりましたが幕末を迎えました。
そのような経緯から、戦で落城したことがない城として受験生などに人気があります。
真田井戸
真田神社の左手奥に真田井戸があります。
この井戸は城内唯一の大井戸で、城外への抜け道があったという説もあります。
人が入れるくらいの大きさは十分にあります。
西櫓
上田城が破却・移築された後も残っていた櫓(やぐら)です。
西櫓は真田神社左手から行くことができます。上田城内で江戸時代から残っている建物でもあります。
東虎口櫓門
上田城といえば「東虎口櫓門」です。
南櫓と北櫓(両方とも再移築)の間をつなぐ位置にあり、中には火縄銃のレプリカがあります。レプリカは自由に触ることができますが、子供が持つには少し重いようです。
北櫓と南櫓の中は史料の展示などが行われており、入ることができます。
東虎口門をくぐる手前の右側に石垣にあります。とても大きな石で城主の権威を示すために大きさを競ったといわれています。
この石は真田信之が松代に移封された際に持っていこうとしましたが、微動だにしなかったという伝承があります。
実際にはこの石垣は仙石忠政の時代に作られたものだということですが、地元の人たちから真田家が愛されていたということがわかるエピソードです。
東虎口櫓門手前から南櫓下の石垣を移したものです。尼ヶ淵方面を向いています。
現在は空堀になっていますが、写真左手の石垣部分に穴のような箇所が見えるので、もしかすると水堀だったのかもしれません。
上田市立博物館
上田城址公園内には、真田氏や仙石氏の歴史的史料が展示されている博物館があります。
大人500円で博物館と櫓の両方に入ることができ、北櫓の中以外は写真撮影も可です。
このような展示物があります。他にも山浦真雄作の太刀なども展示されています。
別館には主に真田氏に関する資料が展示されています。ただし、重要文化財に指定されているものは限定公開となっています。
上田城児童遊園地
上田城址公園の観光駐車場側に複合遊具がある遊び場があります。
この写真の撮った向きがよくないのですが遊具がお城仕様になっています。
公園内も広いので小さな子供を連れてお散歩するにはよいのですが、それでも体力を持て余しているときに連れていくと喜んでくれます。
終わりに
真田氏2代ののち小諸から仙石氏が移り松平氏が入城、上田合戦でも落ちることがなかった名城・上田城。
丑寅の方角が隅落としされた土塁など特徴的な部分もあり見ごたえがあります。特に桜の時期や紅葉の時期には県内外から多くの観光客が訪れます。
近くに来た際は、ぜひ立ち寄ってみてください。
参考 :
芝辻俊六「真田昌幸」吉川弘文館
上田HP 上田城跡公園 – 上田市ホームページ (city.ueda.nagano.jp)
上田市立博物館HP 上田市立博物館 (umic.jp)
真田氏3代の「城」は間違いじゃないでしょうか?
昌幸と信之の2代では?
上田市HPでも3代の「郷」という表現はありますが、3代も幸隆、昌幸、信之・信繁を指してます。
確かにそうですね、修正させていただきます。
ご指摘ありがとうございます!