実家に帰省し、家族水入らずで過ごせる時間といえば、春のゴールデンウィークと、夏のお盆休みといった日本を代表する大型連休が思い浮かぶ。
特にお盆休みは、亡くなった親族の墓参を兼ねて故郷へ帰省する場合が多いため、ゴールデンウィークよりも多くの親戚と顔を合わせる機会が増える。
年に一度だけ、亡くなった先祖が現世に帰ってくるお盆には、その死者を迎え入れる『迎え火』と、現世からあの世に送り届ける『送り火』という儀式があり、それぞれ8月13日と8月16日の夕方に野火(のび)を焚くことが日本の風習とされている。
野火以外のお盆の風習では、川に浮かぶ無数の炎が暗闇を照らす「灯籠流し」が有名だ。
故人を供養するお盆の行事の中では、子供から大人までが気軽に参加できる行事でもある。
各地で異なるお盆の時期と「灯籠流し」の由来
地域によっては通常よりも1ヵ月早い旧暦のお盆を迎える所もあるが、一般的に知られているお盆の時期は、毎年8月13日から盆明けの8月16日の4日間を指す。
盆明けである8月16日に開催される「灯籠流し」の行事には、死者が道に迷うことなくあの世へ還れるようにと、灯籠の明かりで道を照らしながら見送るといった日本に伝わる祖霊信仰の考えが強く影響している。
しかし、全国の「灯籠流し」が必ずしも盆明けの当日に開催されている訳ではない。
亡くなった先祖や親族へのメッセージを書き留めた灯籠が人々の手で造られ、川や湖に放たれる「灯籠流し」には、原子爆弾投下により多くの命が失われた広島市への平和と復興、供養の気持ちを表した市民の行動から誕生したという諸説がある。
そのため広島市では、お盆を締め括る盆明けの8月16日ではなく、実際に原爆が投下された8月6日の当日に「灯籠流し」が行われている。
灯籠が川や湖に放たれるようになったのも、原爆による火傷に苦しむ人々が一斉に川に飛び込んだ実情を風化させないためとされている。
そんな広島市の取り組みを反映するかのように、全国各地で行われる「灯籠流し」では、戦争や自然災害で命を落とした人々へのメッセージも多く届けられるようになった。
「灯籠流し」と間違いやすい長崎県発祥の『精霊流し』とは?
哀悼の意や平和を願う気持ちを書き留めた灯籠を一つ一つ川へ流す「灯籠流し」は、長崎県を始めとした九州地方に伝わる『精霊流し(しょうろうながし)』と間違えられることも多々あるが、両者は全くの別物だ。
実際に『精霊流し』を体験した思い出を歌った、歌手さだまさしの名曲『精霊流し』をBGMに使用する「灯籠流し」の会場も多いことから、「灯籠流し」と『精霊流し』が同じものであるという人々の意識が自然と強く根付いてしまったようだ。
主に長崎県各地で大々的に行われている『精霊流し』とは、初盆を迎える故人の家族が輿ほどの大きさの『精霊船(しょうろうぶね)』に故人の霊を乗せて、流し場と呼ばれる終着地点まで歩いて運び届ける伝統行事のことである。
故人の慰霊を囲むように花や盆提灯で修飾された精霊船には、最終的に流し場である川や海に放つという追悼儀式の流れが存在するが、環境問題の観点から、厳密には禁止されている。
ただ一部地域では、自治体の判断により、精霊船を川に浮かべるまでの一連の儀式を実行しているケースもあるという。
また、魔除けや浄化の意味合いで、精霊船が通る道中で爆竹を鳴らす風習もあるが、参列者やその他の観覧者への安全を確保するため、家族の意向で爆竹を鳴らす儀式が省略されることもある。
「灯籠流し」に込められた希望への願いは永遠に続いていく
お盆に行う追悼儀式への意識が稀薄になる時代の流れや、戦争を知る世代の減少によって「灯籠流し」存続への懸念が囁かれている現状も把握してか、各自治体では供養の一環として「灯籠流し」の最中に打ち上げ花火を開催したり、自らの手で灯籠を作成できる場所を設けるなど、誰もが参加しやすい夏のイベント化に力を入れている。
会場では、本人に代わって故人の戒名やメッセージを代筆するスタッフも配備されているが、ここは是非、自分の素直な気持ちを伝える意味でも直筆で記入することをお勧めする。
日本各地で取り組まれている「灯籠流し」の順調なイベント化の効果もあり、川の水面に光を帯びながら浮かぶ灯籠の姿を『光の絶景スポット』や『日本の希望の光』と謳われることも多く、「灯籠流し」自体を『フォトスポット』として捉える人も急増している。
今後は、あの世と現世を繋ぐ道を照らし続ける『送り火』としての役割よりも、灯籠の光が織りなす幻想的な世界観を一望できる、観光名所に近い要素を発揮することが予想される「灯籠流し」だが、次世代に受け継ぐ希望への願いを灯籠に込める人々の心掛けが失われない限り、夏の夜に輝く「灯籠流し」は、前向きな未来を託す新たな場として継承され続けるだろう。
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