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皐月賞の歴史を調べてみた

皐月賞とは

※第79回皐月賞出走時(2019年4月14日) wiki(c)フランケル 

皐月賞とは

皐月賞(3歳オープン 牡・牝 国際・指定 定量 2000m芝・右)は、日本中央競馬会(JRA)が中山競馬場で毎年4月中旬に施行する重賞競走(GⅠ)である。第5着までに入着すると東京優駿(日本ダービー)への優先出走権が得られる。

三冠(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)の第1冠めのレースで、「最も速い馬が勝つ」といわれる。スピードだけでなく持久力や競り合いでの強さも必要である。ここでのライバル関係が古馬(4歳以上)になっても続くことが多い。

この皐月賞について創設からの歴史をひもといてみる。

なお2001年(平成13年)から競走馬の年齢表記が数え年から満年齢に変更された。この記事ではレース名以外は現在の表記で記す。

皐月賞の歴史

皐月賞は1939年(昭和14年)にイギリスの「2000ギニー」(3歳牡・牝 芝の直線コース 距離8ハロン(約1609m))に範をとり、「横浜農林省賞典4歳呼馬」として創設、横浜競馬場(根岸競馬場)の芝1850mで施行された。

皐月賞とは

※第1回皐月賞優勝馬ロックパーク

第1回の優勝馬のロツクパークは、なんとデビューしてわずか6日めでの制覇である。

1943年(昭和18年)(第5回)横浜競馬場が閉鎖したため東京競馬場で芝1800mで施行。
1944年(昭和19年)(第6回)は「農商省賞典4歳」として、勝ち馬投票券は販売せずに能力検定競走として行なわれた。

1945年(昭和20年)・1946年(昭和21年)は太平洋戦争のため中断。
名称を「農林省賞典」と変えて1947年(昭和22年)(第7回)から東京競馬場2000mで再開した。

1949年(昭和24年)(第9回)のとき名称を「皐月賞」に変更、距離を中山競馬場の芝1950mとしたが翌1950年(昭和25年)(第10回)に2000mに再変更して現在に至る。

1984年(昭和59年)(第44回)グレード制導入、GⅠに格付けされた。
1995年(平成7年)(第55回)地方競馬所属馬の出走が可能になった。

2002年(平成14年)(第62回)外国産馬も出走可能になる。

2007年(平成19年)(第67回)日本はパートⅠ国に昇格したが、皐月賞は外国調教馬の出走を認めていなかったため、格付表記がJpnⅠに変更された。

2010年(平成22年)(第70回)国際競走に指定され、外国調教馬は外国産馬と合わせて最大9頭まで出走可能となった。また格付表記がGⅠ(国際格付)に変更された。
2013年(平成25年)(第73回)外国調教馬の出走枠が拡大された。

皐月賞の回顧

競馬には血統のロマンがある。特に古い歴史を持つレースには数多くのドラマがある。

ここでは4頭のストーリーをご紹介する。

神馬 シンザン

皐月賞とは

※谷川牧場で繋養される最晩年のシンザン wiki(c)Hahifuheho

 

1964年(昭和39年)(第24回)の優勝馬。このあと日本ダービーと菊花賞にも勝利してクラシック三冠馬、翌年天皇賞秋と有馬記念にも勝って「五冠馬」と呼ばれた。生涯19戦15勝、2着が4回。連対率100%である。

5歳で競走馬を引退し、種牡馬になった。

海外から輸入した種牡馬が優勢な時代に二冠馬ミホシンザンなど優れた産駒を輩出して、冷遇されていた内国産(日本生まれ日本育ち)の種牡馬の地位を向上させた。産駒の24年連続勝利の記録はノーザンテーストが破るまで日本最長記録だった。ミホシンザンは1985年(昭和60年)第45回皐月賞で優勝、日本ダービーは骨折で回避したが第46回菊花賞で勝利している。

1996年(平成8年)に35歳3か月11日で大往生。当時の軽種馬の日本最長寿記録を更新した。

奇跡の名馬 トウカイテイオー

皐月賞とは

※トウカイテイオー(社台スタリオンステーション)wiki(c)Goki (talk)

1991年(平成3年)(第51回)の優勝馬。父は1984年(昭和59年)の三冠馬シンボリルドルフである。父子2代の無敗の三冠の期待がかかった菊花賞は骨折で回避した。以降、彼の競走馬生活は骨折との闘いに明け暮れることになる。

1993年(平成5年)第36回有馬記念で363日ぶりの出走で勝利、「奇跡の復活」といわれた。

種牡馬となり重賞競走を勝利する産駒は出たものの、後継種牡馬は出なかった。2020年(令和2年)にクラウドファンディングにより種牡馬登録をすることができた、地方馬のクワイトファインただ1頭を残すのみになっている。

超光速の粒子 アグネスタキオン

※アグネスタキオン wiki(c)もがみますみ

2001年(平成13年)(第61回)の優勝馬。父はサンデーサイレンス、母のアグネスフローラは1990年(平成2年)第50回桜花賞優勝・第51回オークス2着。

祖母のアグネスレディーは1979年(昭和54年)第40回オークス優勝。全兄(父も母も同じきょうだい)のアグネスフライトは2000年(平成12年)第67回日本ダービー優勝馬という超良血馬である。

兄以上の活躍を期待されたが、日本ダービーの前に左前浅屈腱炎を発症し4戦4勝のまま引退した。

種牡馬になってから大活躍をする産駒を多数輩出し、1957年(昭和32年)のクモハタ以来の内国産種牡馬によるJRA総合リーディングサイヤーを獲得した。

「夢の馬」 ネオユニヴァース

※ネオユニヴァース 2003年宝塚記念 wiki(c)TRJN 

2003年(平成15年)(第63回)の優勝馬。続く第70回日本ダービーにも勝ち、1994年(平成6年)のナリタブライアン以来の三冠の期待が高まった。しかし距離が長かったのか菊花賞では3着に敗れた。4歳の夏に浅屈腱炎と骨折により引退。

2009年(平成21年)に初年度産駒のアンライバルドが第69回皐月賞、ロジユニヴァースが第76回日本ダービーで優勝し、いきなり大活躍馬を輩出する。

2世代目のヴィクトワールピサは2010年(平成22年)に第70回皐月賞と第55回有馬記念、そして2011年(平成23年)に第16回ドバイワールドカップ(GⅠ ドバイ・メイダン競馬場 AW2000m)で日本調教馬として初めて優勝した。

ほか2017年(平成29年)に第43回クイーンエリザベス2世カップ(GⅠ 香港・沙田競馬場 芝2000m)で優勝したネオリアリズム(牡)がいる。

 

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